共通感覚というものを、大切にしていきたいと思う。
あらゆる状況があって、そこで誰もが共通にわきおこる感覚。
初対面の人同士が出会った状況、楽しい状況、悲惨な状況。
社会に適合することは、この共通感覚に自分を追いつかせることであるとも思う。
自分を平均値かさせて、周りと歩幅を合わせる。
そうするとどうだろう、とても楽であることかもしれないし、精神的な負担は軽減されるかもしれない。
でも。
自分は、そういったことにどうにも我慢がならない。
体のどこかで満足していない、不完全な部分が出てくるのである。
遠いところにいる友人は、今なにかとてつもなく大きな問題を抱えている。
考えすぎるととことん落ちてゆく人だから、きっと考えすぎてふさぎこんでいるのではないだろうか。
でも。
自分にはその問題を到底理解できない。
いや、理解しようと思えばできるのかもしれない。
ただ、自分のことで精一杯なのかもしれない。
自分は、彼のことを実は何にも分かっていないのかも知れない。
一緒に居て、そうか自分は彼のことが好きなのかもしれないと思うことがあっても、
実は彼のことをまったくわかっていない、ひょっとしたら独りよがりな思いなのかもしれない。
彼にとって、自分は彼の理解者になっているのだろうか。
彼にとって、安住できる、そんな存在になっているのだろうか。
彼には彼のやるべきことがある。
お互い、住んでいる世界は違うものの、
悩みとか不安を打ち明けて、お互い心安らげることの出来るような、そういう関係でいたい。
自分はきっと、人の夢に乗っかっていくとか、そういうことは出来ない気がするから。
人のサポートにまわるとか、そういうことは出来ない気がするから。