先日、ディズニー映画『ファインディング・二モ』がテレビで放送されていて、
偶然見かけたために、最後まで見ることにしました。

ディズニーランドのエレクトリカル・パレードで、
二モのフロートが通りを泳ぐ姿が可愛らしく、どのような
ストーリーなのか気になっていたのです。

実際に見たところ、美しいサンゴ礁が印象的で、
次から次へと場面展開が著華々しく、
見ていて飽きない作りになっています。

私は二モ自身よりも、二モのお父さんとその相棒ドリーの活躍が
印象的だったと感じています。

人間にとらわれたニモを命がけで助けに行く親の強い思いは、
この物語の最大の見どころでしょうね。


ところで、かつては福祉の仕事に長年携わってきた私から見ると、
いくつかの気になる設定がありました。

それは、ハンディキャップをどのようにとらえるかという視点です。

第一に、主人公のニモです。

彼は立場上弱い子供であり、片方のヒレが短いというハンディキャップがあります。

二モの父親はヒレが短いから泳ぎに支障があり、皆に馬鹿にされるのではないかと
心配している姿が冒頭で見られます。

第二に、何でもすぐに忘れてしまう二モの父親の相棒のドリーです。

彼女は、言われた次の瞬間には忘れてしまうという弱点があり、
人間の世界においていえば、記憶障害ではないかと思われます。

第三に、社会に適応しようと試みるサメです。

サメはもともと小魚を食べる習性がありますが、
彼は「魚は皆、友達!」と自分に言い聞かせ、周囲に適応しようと努めます。

それでも本能が許さず、ついつい小魚を食べてしまいますが、
自力では完全には止められないのです。

状況が明らかに異なりますが、
犯罪やドラッグ等の常習化したものの印象をいくらか受けます。

ひとまず、ハンティキャップをもったこの三人の登場人物をあげますが、
これらの状態は、人間社会の中では本来、苦しむものです。

福祉に携わる人間は、精神や身体に障害のある方と接する際には、
それは一つの個性であるとし、さりげなくフォローをします。

その方が活躍できることが何よりもの喜びであり、
その支援を受ける方も、そのことをよくわかっている場合も多く、
社会の中で懸命に生きていきます。

『二モ』の世界においては、ハンディーキャップであると主張しつつ、
特にそれに対するフォローがありませんので、
完全に一つの“個性”として見ているようですね。

特別に誰かの助けを借りなくとも、自分の力で生き抜き、
周りとうまくやっていけるのだということでしょうか。


私は最初、何でもすぐに忘れてしまうドリーに嫌気を感じましたが、
すぐに一番お気に入りのキャラクターとなりました。

彼女は記憶障害にもかかわらず、その素直さと人(魚)のよさで
相手を和ませてくれますね。


ただいま、二モのシリーズとして『ファインディング・ドリー』が
上映されています。

ドリーは自分がすぐに忘れてしまう性質であることを気にしている一面がありましたが、
この映画では、一体どのように彼女を扱うのでしょうか。

そして、ディズニーが我々に送るメッセージはどのようなものでしょうか?


最近公開されましたディズニー映画『ズートピア』においても、
一見子供向け映画と見せつつ、大人に対してもしっかりとメッセージが
込められていましたので、侮れませんね。