• 01 Oct
    • アッキーのブログ

      おはようございます。 本日10月1日をもちまして、アッキーのブログは 四歳を迎えました。 この四年間、毎日アッキーの成長の様子を一日たりとも怠らず、 皆さまにお伝えしてきました。 発達の遅い子ですが、日々一歩ずつ前進しております。 生まれた当初から見守ってくださる方、途中から見に来てくださっている方、 いつもありがとうございます。 人間の子供で例えると、ゼロ歳から一歳児は、手足を動かし、ハイハイしていて、 全面的にお母さんのお世話を受けている時期ですね。 アッキーのブログは赤ちゃんのようには可愛らしくはないものの、 最初の一年は右も左も分からずでした。 「そもそもブログというものはどんな人が書くのか」 「一体何を書けばいいのか」「掲載してはいけない記事や画像のルールはあるのか」 等々、様々な疑問を抱えながら、つたない文章で日記を綴っていました。 時には友人からネタを提供してもらったり、画像をおくってもらったりと、 助けられていたのもこの頃です。 人間の子供は一歳から二歳になりますと、不安定ながらも自分の足で歩き、 様々なものに興味を示し、好き嫌いの感情も出てきて自我が芽生えてきます。 アッキーは一年目を過ぎますと、とりあえずはブログの質にとらわれず、 きちんと日々の日記を更新することだけを考え、 自分の足でしっかりと土台を築こうと意識していた時代ですね。 「本当にこの先、ブログが続くのか」と心配にもなり、 不安定にもなっていた記憶があります。 人間の子供は二歳から三歳になると、簡単な二言の言葉を発したり、 身近な人やものの区別ができるようになり、 自分と外の世界の違いを認識するようになります。 アッキーは二年目になりますと、ほとんど読者もいないにもかかわらず、 人の目を気にし、“読まれている”ということを意識し出すようになります。 今考えると笑ってしまいますが、普段使わないような 格好つけた言葉を用いるようになったりと様々な恥ずかしい工夫を凝らしたものです。 子供は三歳から四歳になりますと、トイレや食事がだんだんと上手にできるようになり、 日常生活の流れを理解できるようになります。 また、お友達と遊んだり、はさみなどの道具を使ったりと、 コミュニケーションや知能が発達してきます。 アッキーは三年目になりますと、だんだんと自分の“型(個性)”が出てきて、 自分なりではありますが、安定した文章が書けるようになります。 ようやくブログというものに対して向き合えるようになってきた 時期なのでしょうね。 人間の子供は四歳を過ぎると、自分の体験したことを伝えことができ、 上手に会話ができるようになります。 この頃になると驚くほどに表現力に磨きがかかりますね。 さて、これからアッキーのブログも四年目に突入します。 人間の子供と同じように、表現力豊かなブログに発達してくれるでしょうか…? 人間もブログも手掛けることすべてにおいては、“ある程度”は 誰しも必ず成長するものです。 しかしながら、その“ある程度”を過ぎますと、その伸びしろは停滞するか、 最悪の場合は後退することもあり得ます。 人間の場合は4歳、5歳と進むにつれて成長をしますが、 34歳、35歳と年をとるにつれて後退する姿は想像に難しくはありません。 果たしてアッキーのブログは前進するのか、それとも後退するのか、 あるいは成長が止まっているにもかかわらずそれと気づかずにいるのでしょうか。 いつ更新が止まるのかも分かりません。 とはいえども、できるかぎり私は アッキーのブログを育てていきたいと思っています。 四年間もの間、アッキーと毎日ともに過ごせば、 それはかけがえのないものとなるのですから!

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  • 30 Sep
    • 普段の日と同じ誕生日

      おはようごさます。 9月30日は私の誕生日です。 この一年、無事に過ごすことができたことを 大変嬉しく思っています。 家族も友人も変わらずに、そして健康にも恵まれたことは とても幸せです。 誕生日を迎えるこの日に、ここまで生きてきたことに 感謝の気持ちを伝えたいと思います。 でも、現実には恥ずかしくて人には なかなか言えませんね。 普段の日と何一つ変わりない誕生日ですが、 心の中はとても明るいです。

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  • 29 Sep
    • ルドルフとイッパイアッテナ ~教育は信頼のもとに~

      先週の週末に、映画を四本見てきました。 映画については、本のようにこだわりを持たずに、 様々な種類を試しています。 中でも児童向けの作品については面白い作品も多いため、 なるべく見るようにしています。 すでに放映は終了してしまったと思いますが、 児童文学を原作とした『ルドルフとイッパイアッテナ』は 私にとってはなかなか見ごたえのある作品でした。 飼い猫のルドルフがふとしたきっかけから、誤って長距離トラックに乗ってしまい、 岐阜から東京へと迷い込んでしまいます。 甘ったれ子猫のルドルフは、ボス猫のイッパイアッテナに出会い、 野良猫として生きるための知恵を授かります。 この映画においては、教育の大切さが重点的に置かれています。 そもそもなぜ勉強することが必要なのか、どのような行為が相手を傷つけるのか、 最後までやり切る力はどこからくるのかなどと、 大人であってもなかなか気が付かないことが 多岐に渡り、しっかりと描かれています。 猫のルドルフはイッパイアッテナから、人間の文字を教わることで、 本が読めるようになり、一気に知識がつくようになります。 見聞が急速に広がることで、思い上がったような態度や 独りでなんでもできると過信するシーンも描写されています。 そのたびに、優越感に浸ったり、人を馬鹿にしてはいけないと注意を促され、 そしてなぜ自分は叱られたのかを理解するようになります。 智識を得ることで、色々な人々の考えの本質を読み取れるようになり、 数多くの体験をこなすことで、人生経験の引き出しがより増えることになります。 思い上がっている時間などなく、自分が物事を達成できるのは、 周囲の人々の力添えとこれまでの体験を掛け合わせたものであると理解をしていきます。 知識を身に着ける他に、感謝や思いやりを持つことが、 成長する過程でいかに必要であるかを イッパイアッテナはルドルフに根本的なことから教えているように思えました。 皆さまは、しっかり付き添ってくれて、 生きていく上での必要なことを向き合って教えてくれた人はいますか? もし、そのような人が一人でも身近にいるとすれば、 それは大変恵まれている環境だと私は思います。 私にも“師匠”というべき人がいましたが、一体なぜ、無償で様々なことを 教えてくれるのだろうといつも疑問に思っていたのです。 教える側の人間としては、その相手が物事の本質を理解してくれる時こそ 教えがいがあるのです。 どのような志を持っていれば人が幸せになれるのか、ということを 基礎に師匠は智識や経験を与えていきます。 そんな師匠の思いを感じ取り、次第に師匠が思う以上の成長を成し遂げたとき、 そこに強い信頼関係が生まれます。 例えば、親と子、上司と部下、師匠と弟子、時には夫婦やカップル間においても、 光る原石は存在します。 しっかりと磨きをかけ、カットを施し、美しい宝石に仕立て上げますが、 それはその原石の素質とそれを手掛ける人のバランスが 適合したときに最高の宝石が生まれます。 「これまでの自分の集大成を心底から理解してくれる人がいるなんて。」 「この人がいるからこそ、今の堂々とした自分がいるんだ。」 ルドルフとイッパイアッテナはお互いの存在に感謝をし、 信頼し合っているからこそ、ルドルフは 教育を経て、たくましい猫に成長したのでしょう。 文字を覚え、社会や物事の流れを知り、度胸のついたルドルフは 東京からトラックを乗り継いで、岐阜の自宅に帰ることを決意します。 また、その決意に影響を受けて、イッパイアッテナは、それならば自分は 元の飼い主のいるアメリカへ渡ろうという気持ちを起こしています。 無償の愛でもって成長を見届けたい相手はいますか? また、自分の成長を何よりも楽しみにしてくれる相手はいますか? もし、私にそのような関係を持てる人が現れれば、 それは本当に幸せなことだと思います。

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  • 28 Sep
    • 温泉日記

      先週、伊豆長岡にて温泉とお食事を楽しみました。 場所は「古奈別荘」いう宿泊施設であり、お食事や温泉だけをいただくという サービスもあります。 石造りの大門を潜り抜けると、 そこには古き良き美しい日本の風景が広がります。 幸いにも台風がちょうど過ぎ去った後で、少し湿った涼やかな庭園の空気を 吸いながら、のんびりと歩きます。 日本庭園は季節ごとにその表情を変え、私が訪れたときには、 さわやかな緑色の草木が迎えてくれました。 温泉に先に入ります? それともお食事を先にしますか? 私たちは、先にお風呂に入った方がちょど良い具合にお腹も空くだろうということで、 温泉を先にしました。 9月になりますと、外の空気が少しひんやりしてきますから、 露天風呂はより心地が良いですね。 温泉のお湯は、すべすべしているので、軽くお湯を肌に撫でつけながら 入浴すると、なんだか肌がきれいになったような気がしますね。 温泉には、リウマチや美肌効果などが期待されています。 こうした温泉源が近くにある家庭は、自宅の浴室でも温泉が楽しめます。 友人は土地柄から温泉権を取得できますものの、 その費用は温泉権購入費が180万円、10年毎の更新料が80万円、 そして毎月の基本使用料が1万円(超過料金は別)と高額なために、 自宅で温泉を使用する事をあきらめたそうです。 ある程度のお金を支払えば、かけ流しで毎日温泉が楽しめますから、 美容や健康とお金を秤にかけて…と考えどころですね。 程よい疲労感と血の巡りが良くなったところで、 お楽しみのランチをいただきます。 ビュッフェ形式で提供され、35種類以上の野菜をいただくことができます。 おかずも20種類以上が用意されていて、一つ一つ味が繊細なために、 ここは地元でも隠れた穴場的存在のお店なのです。 鶏肉の焼き物、里芋の煮つけ、ゴーヤの和え物、那須焼、 ふわふわのだし巻き卵、ご飯は栄養価の高い黒米が使用されています。 お野菜中心、優しい味付けの和食のために、ついつい箸が進みます。 中でも揚げたてのひじきコロッケと、エリンギの冷製スープは大のお気に入りで、 各々三回もおかわりをしてしまいました。 ビュッフェとなると、苦しくなるまで食べてしまいがちですね。 お野菜中心ならば大丈夫だろうと、気が大きくなってしまい “止める”ということを知りません。 お野菜は食べ過ぎても、それほど太らないといいますが、 私は苦しくなるまでいただきました。 でも、いくら食べ放題といえども、腹八分でやめておいた方がよいですよ。 気持ちは大満足でしたが、腹八分くらいの方が、 “苦しい”という感覚にはならずに、“美味しかった”という気持ち だけを感じられたはずです…。> 普段、私は質素な食事をしています。 優しい味付けで種類の多い食事を提供するお店は 私の好みに合っていると友人が選んでくれました。 座席もお庭が見えるようにと早めの予約をしてくれています。 友人は地元の人間ですので、私が伊豆に来た際には いつも私を喜ばせようとしてくれますね。 この美しい日本庭園、美容や健康にもよい温泉とお食事、 そして友人の心配りは最高の贈り物です! 好きな人たちと食事をし、時間をともにすることは、 日常でありつつも、それが続いているということは本当に感謝すべきことです。 このコースはいくらですって? 一般人のお財布に優しい2000円ですよ。 旬菜 源氏山 静岡県伊豆の国市古奈31 古奈別荘内 055-948-1322

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  • 27 Sep
    • 韮山反射炉 ~鎖国か、開国か?~

      先週、伊豆へ出かけた際、昨年の7月に世界文化遺産に登録された 韮山(にらやま)反射炉へ立ち寄りました。 反射炉とは鉄を溶かして大砲を鋳造するための施設であり、 煉瓦造りの四本の煙突がそびえたつその姿は、日本の歴史を物語っています。 そこにはボランティアのおじいさんがいて、お願いをすると 当時の様子を詳しく語ってくれました。 時は江戸時代、嘉永6年(1853)にペリー艦隊の来航を受けて、 海外の圧力を前に、日本はこれまで継続させてきた鎖国体制に 陰りがさすことになります。 鎖国か開国かの選択を迫られたために、幕府は混乱し、朝廷は開国には 反対の意思を示します。 日本は海防体制の強化をすべく、代官の江川英龍を責任者とする、 鉄製に大砲を鋳造するための反射炉を築造が決定されました。 江川英龍自身は、海外の事情・文化に大変精通した人物であり、 穏便に開国を進めたほうがよいのではないかという意見であったそうです。 しかしながら、当時の世論は開国などは危険思想であったとも言えます。 江川英龍は、反射炉の完成を見ることなくこの世を去りますが、その後は彼の息子が 鋳造を進め、1858年に韮山反射炉を完成させています。 石炭などを燃料として発生させた炎と熱を炉内の天井で反射をさせ、 熱を集中させることにより、鉄を溶かすことが可能な温度を実現でる仕組みから 「反射炉」と呼ばれています。 この反射炉は、当初80基ほどの大砲が造られることが期待されていましたが、 実際には溶解した鉄をかたどる際に、高度な技術が要求されたために、 7年ほどの間でまともに完成した大砲はたったの4基であったと言われています。 この反射炉はいかに実践的ではなかったことが証明され、 それも大量のコストがかかったに違いありません。 かつての幕府も、今の政府も、“無駄遣い”をしてしまうことは 今も昔も変わりありませんね。 しかしながら、この反射炉も後の明治日本の産業革命の際に役立つ技術を開発する際に 大いに役立ったことでしょう。 江川英龍は、反射炉の鋳造の他、軍隊の必要性を説くなどと教育者としても 熱心であったといわれています。 また、海外の知識が豊富であったために、日本で初めて保存食としてのパンを焼き、 「気を付け」「回れ右」などといった西洋の文献から日本に取り入れています。 江川英龍は、戦前の日本においては、それは教科書では大きく取り扱われるほど 有名な人物であったと言われています。 しかしながら、現代の歴史上の人物としてはあまり有名ではありませんね。 これはおそらく、戦後の日本は、彼を大砲を作るような危険人物としての認識があったために 敢えて外されたのかもしれません。 歴史はある程度、教育のためにも その時代に適合した内容に改められるものなのかもしれませんね。 伊豆方面に立ち寄った際には、ぜひ韮山反射炉を見学されてみてはいかがでしょうか。 歴史的建造物はきっと、我々に何かを伝えようとしていますから。

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  • 26 Sep
    • 伊東の銘菓「ホール・イン」

      おはようございます。 早いことに9月ももうすぐ終わり間近を迎え、 すっかり秋の気候ですね。 皆さまは、夏休みはどのように過ごされましたか? 私は旅行をすることもなく淡々と日々を過ごしていましたが、 それでも静岡に一泊で出かけてきました。 温泉に入り、お食事をしたり、観光名所に行ったりと、 完全な旅行のようですが、私は静岡には年に何度も行っているために、 旅行というよりは、ちょっと外出する程度のように感じられます。 職場の方々の多くは、夏休みを利用して旅行に行かれたそうですが、 そのたびに、ちょっとしたお土産を買ってきてくださいます。 小さなケーキ、お餅、チョコレート、おせんべいなど、 仕事の休憩の際にお茶と一緒に一息つける有り難いお菓子です。 頂いたお菓子の袋にどこのお土産かが記載されているので、 この人はどこでどんな思いで旅行を楽しまれたのかを想像するのも楽しいですよね。 私は今回、静岡県伊東市に立ち寄りましたので、 地元のお土産としてたいへん有名な名菓「ホール・イン」を選びました。 それは70年以上もの老舗「梅屋」が製造・販売をしている和菓子で、 伊東市に住む方であればお土産としてお勧めしたい一品でもあります。 白あんに温泉でゆでた卵の黄身をバターの風味を加えて混ぜ、 外側をホワイトチョコレートで薄くコーティングされています。 また、添加物は一切使用していないために賞味期限はやや短めですが、 その分体に優しいお菓子ですね。 レトロ風な個別包装紙に包まれていて、それを開けた職場の方は 「真珠みたいだ」と話されていました。 きれいな丸形で、うっすらとホワイトチョコレートに覆われている その姿は透明感があるために、輝きを放っているようにも見えるのです。 真珠と言っていただけるのは思いもよらないほど嬉しいのですが、 これはゴルフボールをかたどっています。 伊富士山や伊東の大室山を眺望できる名門のゴルフ場があり、 ホール・インには伊東市の特色が込められています。 白あんの和とホワイトチョコレートの洋が調和した ほっこりした味わいを気に入ってくれた人がいたのは嬉しいです。 近々伊東に行く機会があり、その時に購入しようか、 インターネットで自分用に買おうかと、思ってくれるのはよいですね。 旅行に行った際に、その地域が自信をもって販売しているご当地のお土産を 必ず見つけることができます。 そこでしか手に入らないもの、人気のあまりすぐに完売になるもの、 全国的には有名ではないが隠れた銘菓などと色々ありますから、 お土産選びが楽しくなりますね。 そして受け取ったお土産から、その場所を想像しますから、 お土産がもたらすイメージは重要な一つの要素なのかもしれません。 伊東土産に「ホール・イン」はいかがですか? その優しい味わいに、きっと喜ばれるでしょう。

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  • 25 Sep
    • 変わらない味

      私のお気に入りのケーキ屋さんへ、久しぶりに出かけたところ、 その様子に思わず驚いてしまいました。 「あれ?どちら様でしたっけ?」 ご主人が私の顔を覚えていなかったからです。 そのケーキ屋さんは確かに私の自宅から遠く離れた場所にあり、 毎回通えるようなところではなかったので、2年に6~7回ほどお目にかかっただけです。 それでも、つい数か月までは私のことを認識してくれていたのです。 しかしながら、個人的にケーキの作り方を教えていただいたり、 お話をしたりと思い出はあるはあるはずです。 以前はこのブログも見ていてくれていたにもかかわらず、思い出せなかったのです。 前から、お勘定を間違えるようになった、ケーキ作りの際に分量が分からなくなりそうになった、 新作を編み出せなくなってきた等と、蓄積された疲労のための不都合を語るようになっていたのです。 確かにその佇まいは、慢性疲労により、この数か月で急に年をとったように感じました。 それにもかかわらず、特別に休むこともなく、店内も清潔に保っていて、 10種類以上のケーキに数々のシュークリーム、マカロン、焼き菓子を焼いているその様子は、 普段と何一つ変わりません。 プロは最後まで仕事をこなしてしまうために、その完成物を見ただけでは 我々には日々の違いが分かりません。 そこに込められている苦労や体調不良、諸事情などは一切分からないものです。 ケーキを5種類ほど購入し、頂いたところ、 味はいつもと変わらない優しい味でした。 少し早い私のお誕生日のケーキとして友人が贈ってくれたケーキです。 そのケーキは我々にささやかな幸せをもたらしてくれますが、 その幸せのもとは思った以上に苦労がかけられているのかもしれません。 馴染みの味、声、表情…、それらはいつまでも続くと当たり前のように考えてはいけませんね。 人でも物でも、別れを告げる日は突然に来るもので、 不変のものはありません。 有り難いと本当に深く感じるのは、失った後なのでしょうか。 ある知人のラジオのパーソナリティーが、 近々引退をされると伺いました。 最後の日まで通常に放送を続け、最終日に引退の告知をするとのことでしたが、 ファンであるリスナーにとっては突然の発表となるのでしょうね。

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  • 24 Sep
    • 久しぶりのフォトショップ

      昨晩、自宅で久々にフォトショップを使って、 二年ぶりに図とイラストを描いていました。 フォトショップとは絵画やイラスト、 写真の加工が作成できるパソコン用のソフトのことをいいます。 全く絵を描かなくなってから1年半が経過しています。 そもそもパソコンがきちんと起動するのか心配でしたが、 しっかりと動いてくれました。 頼まれたのは他の部の同僚です。 職場にはフォトショップはありませんし、 絵の描ける人、ましてやパソコンで製作ができる人は、 私の業種には、ほとんどいません…。 完全に業務外扱いでサービスとなりますが、 それ以上に自分で作成した図やイラストを使ってもらえるというのは 大変嬉しいですね。 以前はパンフレットの表紙を作ったり、 説明文にイラストを添えさせてもらったりする機会もあり、 完成品を見せてもらうのは一つの楽しみでした。 イラストの作成は、文章、執筆、仕事や勉強よりも集中力が続き、 ただひたすらに熱中してしまうのです。 私はすっかりと忘れていましたが、 絵を描くことが好きだったのだな…と改めて思った次第です。 時にはフォトショップも動かしてあげないと、 錆ついてしまいますね。 そして何よりも危険なのは私の頭の中ですよ。 ※長い間放置していたために操作を忘れてしまったのですから…。 職場の同僚がイラスト作成のための声をかけてくれたおかげで 怠け者の私の目がすっかり覚めていますよ!

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  • 23 Sep
    • ~パンツの中のお金、よこしな!~ ビジネスのタイミングと見切り

      「起業をするっていうのは楽なもんじゃないよ。」 不動産業を30年以上も営んできた友人が そのように語っていました。 その方はもうじき70歳を迎えますが、 今でも現役バリバリです。 今だからこそ成功し、裕福な生活を得ることができましたが、 若いころは色々と苦労を重ねてきたそうです。 ある時は保険会社を、またある時は飲食店の経営をしたりと、 手広く事業を手掛けてきました。 会社を潰したことは一度や二度ではなく、 何度も何度も失敗を繰り返し、経験を重ねていったのです。 昭和50年代後半、まだ若かりし頃その方は、 あるビジネスを思いつきました。 それは、まだ日本では流行していないビジネスでしたが、 絶対に売れるという自信があったそうです。 六本木に店舗を構え、外国人男性のダンサーにパンツ一枚で踊ってもらい、 女性客にお札をパンツの間に差し込んでもらうサービスでした。 その若かりし経営者は、絶対の自信と意欲に溢れ、 意気揚々と事業を始めたのです。 予想どおり、お客さんは来てくれたものの、 色々と想定を上回る問題が次々と発生したために、 やがては経営が思うように行かなくなりました。 売り上げに対して、家賃や光熱費、ダンサーに支払う人件費が高く、 利益が上がらない状況になったのです。 また、英語がうまく通じず、言葉の面でも色々と苦労されたようです。 「そのパンツの中のお金をよこしな!」と、言いたくもなるような 状況だったそうですね。 ある程度の借り入れをして始めた事業でしたので、 これ以上無理をするのは危険であると判断し、 すぐに閉店へと踏み切りました。 事業を存続するか、止めるかの判断をする際には、 もうすこし頑張れば元を回収できるという見込みもあったそうですが、 ビジネスには引き際が大切であるということがよくわかっているのです。 自分が責任を負えなくなる以上の借り入れをしたり、 手持ちの資金が底を尽きてしまえば、再起不能状態にまで追い込まれ、 再建が困難になります。 友人が廃業を決めた数年後に、別の経営者が同じビジネスを手掛けたところ、 流行をし、大成功を納めたことを知りました。 友人はこのように思ったそうです。 「自分の方が早くこのビジネスを思いついて手掛けたのに…。」 人の成功を尻目にそのように思うことは当然ですが、 友人は自分と相手の経営内容がまるで違うことに気が付きました。 相手は、はるかに資金力を持ち、経営のノウハウをしっかりと備えていたのです。 言葉の問題を解消するための通訳を完備し、 男性ダンサーのダンスのレッスンや振付の強化にも力を入れていました。 彼らのダンスを見て、友人は完敗したと思ったそうです。 そもそもダンサーのレベルが全然違うと一目で分かったからです。 「俺は飽きっぽい性格だからな。 何でも続かないんだよ。」 今では当時を振り返って友人はこのように話していますが、 このビジネスに関しては早いところ撤退をしたということが 失敗の中の成功であったのかもしれませんね。 何事もタイミングと見切りが大切と話しています。 「起業をして、一度目で成功する人なんて 1000人に一人…いるのかな。 自分でことを始めるのは、生ぬるいものじゃないよ。」 何度も何度も起業しては失敗をし、 経験を積めるだけの力があったからこそ、 今の不動産業を30年以上も続けられているのかもしれません。 私の周りにも、経営者や個人事業主は多いです。 しかしながら、その多くの方は自転車操業、または支払いきれないほどの 借金をこさえてしまい、苦労をされている方が多いのが現実です。 起業することは自由でよい? その分リスクが伴いますし、責任を負うのも自分自身です。 サラリーマンは気楽な稼業だと言われても、 ある程度うなずけるのではないでしょうか。

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  • 22 Sep
    • 彩のないブログ

      1年ほど前から、気が付けば私はブログに写真を ほとんど掲載しないようになっていました。 以前は何かと写真を撮っては、ブログにアップして 楽しんだものです。 友人からそのことについて指摘を受けており、 写真のなくなった私のブログはやや不親切なのかもしれませんね。 「写真がないと分かりずらいし、あった方がイメージができる。」 例えば先日のダリ展についても、もし絵画の写真を掲載していれば、 より興味を持ってもらえたことでしょう。 これほど写真を使わなくなった背景には、私が面倒なことが苦手な “おばさん”だからというのは理由の一つかもしれませんね。 私はスマホを利用していないために、写真を撮る習慣がありません。 フェイスブックやツイッターでは友人たちが思い思いの写真をアップしていますが、 私は全く更新すらしていません…。 面白いブログ作成の手段として、写真を効果的に利用することが推奨されています。 絶妙なタイミングで、文章の間にきれいに撮影された写真を差し込むことにより、 その方のユーモアとセンスが輝くことでしょう。 しかしながら、かつて私が写真を用いていたときは、 写真を張り付けて、「これは~です。」「あれは~です。」といったような、 何ら個性のない記事であったことを覚えています。 今思うと、完全に画像に頼った記事ばかりだったかもしれませんね。 記事の内容についても、食事や場所の紹介などが主となりましたが、 今ではエピソードを中心としています。 なるべく写真を使う代わりに、文章をメインにできる限りを伝えていければと 考えるようになってきたのです。 ブログは楽しく更新するということが一番大切ですから、 自分が今、したいようにするのが良いでしょう! 私が普段読んでいる小説は、挿絵もほどんどない、 文章だけで描かれています。 風景、物、人物像、感情、全てを言葉で表現し、読者の心を打つのですから、 素晴らしいですね。 普段、日常で使わないような言葉を用いたり、難しい言葉の使い方を使ったがために、 私は、その意味を誤解したり、誤った表現をすることが多々あります。 ただ、それは、少しでも言葉を知りたいと思う気持ちから、 敢えて挑戦してみようという意気込みのためです。 写真を用いないことで色がない分、言葉で少しでも彩を補って…と考えておりますが、 なかなかハードルは高いですね…! こうして、私のブログを読みにいらしてくださる方々へ。 色気のないブログですが、今後ともよろしくお願いします! もちろん、たまには写真も使いますよ~。

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  • 21 Sep
    • 着物生活

      昨日、クリーニングに出していた着物を取りに伺いました。 夏も終わり、季節はもう秋ですね。 まだまだ暑さは残っているものの、浴衣のシーズンはそろそろ終わりを告げ、 今の時期は単衣(ひとえ)が主流です。 単衣とは、裏地のない着物のことをいいます。 主に6月から9月の間に着る着物(真夏は除きます)であり、 ちょうど気候のよい今の時期にはお洒落な着こなしを楽しめますね。 10月に入ると、裏地のある着物の袷(あわせ)に変わりますので、 私はこのタイミングで袷の着物のクリーニングに出した次第です。 着物は反物の状態で購入し、自分サイズに仕立て上げるのがよいですが、 その時に、単衣にするか袷にするかを選べます。 その着物をどの季節に着るかによって異なりますから、 持っている帯との兼ね合いも考えながらコーディネートをするのも 楽しいですよ。 5年ほど馴染みあるスタッフさんが対応をしてくれましたところ、 彼女が大のお気に入りの猫の帯をしていないことに気が付きました。 それは作家先生の作品で、可愛らしい丸々とした猫が描かれている名古屋帯です。 今日は猫の帯をしていない旨を尋ねてみると、 どうやら着古しすぎて汚れてしまったとのことです。 クリーニングに出してもその汚れはうっすらと残り、 お気に入りの帯だからこそ、敢えてお休みを与えているのです。 そのスタッフさんはこのように話していました。 「猫ちゃんの帯はお気に入りで、月に5回はしめていたんです。 そのペースを6~7年間続けていたので、 回数にすると200~250回ほどになります。」 仕事中やお出かけなどでその猫ちゃんと多くの時間をともに過ごすことで しっかりと帯が体に馴染みます。 猫ちゃんは、きっとその方のスタッフさんが大好きなのでしょうね! 「アッキーさんのうさちゃんの帯もきっと同じように黒くなりますよ。」 私は、同じく作家先生による手描きの白を基調としたウサギの名古屋帯を持っています。 私も彼女と同じくらい、うさちゃんと仲良くなれればよいですね! さあ、もうすぐ待ちに待った10月ですね! また着物生活を楽しましょう!

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  • 20 Sep
    • 宝物

      宝物であるアンモライトルースは、 見るたびに私に元気を与えてくれます。 アンモライト宝石は、 まだまだ世の中にはそれほど認知されていない宝石です。 もともとはアンモナイトの化石からなり、 青や赤、緑といった多数の色が混じり合い、光を得ることで、 それは美しい遊色効果が見られます。 角度を変えるたびに、その色彩の表情も変化しますから、 一つの個体に様々な顔を持っているのですね。 一番の美しい顔は、斜め左に傾げた顔です。 はっきりとした澄んだブルー、 グリーンの後ろに顔をのぞかせているオレンジ、 その輝きは、見る者に活力を与えてくれます。 このアンモライト宝石は、宝石として認定はされつつも、 まだまだ世の中の認知度は低い、珍しい宝石です。 価格や価値の明確の基準は、ダイヤモンド等の他の宝石に比して 明確に定められておらず、いわゆるデビュー前の宝石であるといえます。 その多くは、張り合わせであったり、偽物も多々混ざっています。 その中でも、このアンモライトルースは鉱山会社が誇るグレードの品ですが、 偶然にも私の手元に渡ることとなりました。 もちろん、この美しいルースが私の手に入るだけでもとても嬉しいのですが、 それ以上に、ここまでの過程に感謝を申し上げたいくらいだと思っています。 皆さまもご存知のお話だと思いますが、 通常、良いお客さんでない限りは、お店側はとっておきの商品を見せません。 良いお客さんとは、たくさんそのお店の商品を買うお得意さんか、 あるいは信頼関係がある場合のことをいいます。 それは、ショップと仕入れ先の関係も同じことが言えます。 このお話はアンモライト関係とは別の話になりますが、 知り合いの、あるショップのオーナーは、当初は小さな路面店から スタートしました。 日本ではまず手に入らない、誰も手をつけていない商品を 仕入れることができたために、成功したのです。 当然、そのオーナーは幾度も海外へ買い付けを行い、そこで良い顧客となったために、 珍しい商品を大量に扱わせてもらえたのです。 そこまでには、どれだけ相手方と信頼関係を強め、そして不良在庫を抱えながらも、 良い顧客でい続けた努力は、はかり知れません。 こうして、ショップ側が手にした商品を我々が受け取る機会に恵まれるのです。 このアンモライトルースも同じかもしれませんね。 この宝石を世に広めたいと願う、採掘者や加工者、そしてそれを取り扱う 方々がいます。 仮にアンモライトの価値が評価されて、このルースが500万円ほどに値上がったら 私はどう思うでしょうか。 そこまでは大げさな話かもしれませんが、それは世に認められたということに なりますから、本当に嬉しいでしょうね! それならば、仮に値上がった際に手放すかどうかですが、 私はいくらであろうとこれは手放すことはないと思っています。 それを手放して、現金を手にしたところで、一体何ができるでしょう。 そのお金を資本にした投資はうまくいかないでしょうし、 それに代わる商品やサービスは得られません。 このアンモライトに込められた思い出や、 私に及ぼす影響力には何物も代えられませんね。 実際の価値が、500万円であろうと、100万円であろうと、 たとえ1万円以下であったとしても、 私の手元のアンモライトの美しさには曇りはありません。 一番大切なことは、自分自身の宝物へ、いかに愛情を込めて大切にするかと いうことなのかもしれません。 そうすれば、きっとその宝物は所有者にとって何よりも価値のあるものとなり、 命を与えられた品へとなるはずです。

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  • 19 Sep
    • ダリ展 ~現実と虚構の世界~

      今月14日より六本木の新国立美術館で、 ダリ展が開催されています。 サルバドール・ダリは、20世紀スペインの シュルレアリスムを代表とする天才画家です。 ダリの画風といいますと、ご存知の方は あの何とも言い難い奇抜なイメージをなさるでしょう。 ぐにゃりと曲がった時計や楽器、頭のない女性の姿、 画面いっぱいに唐突に表れる奇妙な足…、一体どこに焦点を 当てたらよいのか悩まされる作品ばかりです。 私自身がダリの作品を始めて鑑賞したのは、今から10年ほど前です。 静岡県伊東市にある池田20世紀美術館では、ダリの作品が数点ほど 常設されていて、そこで初めてその魅力にとりつかれたのです。 それはキリンが描かれていて、その頭部が男性の顔であったり、 長い首の部分には、家具のようにいくつかの引き出しがついたりと、 まるで一体何を示したいのかと考えさせられた記憶があります。 その時以来、ダリは非常に印象深い画家となり、 ダリというと「あのおかしな人!」という代名詞を自分の中に付けたのです。 比較的色鮮やかで、詳細まで丁寧に描かれてるために 妙にリアルな反面、人間の体や静物があちこちに拡散し、 お互いにつなぎ合ったりと、非現実的な面が見事に融合しています。 一体これは現実なのか、それとも夢の世界なのでしょうか。 それとも人間の心に潜む何かなのでしょうか。 人間の肉体には、誰しも自分ではそれと気が付かない秘密を 封じ込められていますね。 その秘密が、悪なのか、欲望なのか、あるいは悲しみであったりと 数知れないほどの感情の形態が潜んでいます。 体の表面につけられている幾つもの引き出しからは、 まるで人間の内面の匂いが立ち込めているようです。 ダリの特徴は、夢と現実、精神世界、古典絵画(ルネサンス期)への憧れ、 最新の量子力学などから得られるイメージを巧みに組み合わされています。 どこかに存在しそうな、何を示しているのか想像できるような、 時には怪物のような奇抜な作品が生まれるのでしょうね。 針金のように曲がったひげ、目力のある印象深い視線が 特徴的な風貌のダリは、人生そのものが芸術であり一種のエンターテイメント だったのだと思います。 最愛の妻ガラの肩に肉が不自然に置かれているある作品について、 記者にこのよに説明しています。 「妻は好きだし、肉も好きだ。 両方を一緒に描いてはならない理由はない。」 サルバドール・ダリはとても不思議な思考の持ち主です。 あなたもダリの魅惑の魔力にかかってみてはいかがでしょうか。 場所 国立新美術館 開催期間 2016年9月14日から12月12日 時間 午前10時から午後6時まで ※私は開催直後の連休中に行ったために、館内は大変混雑していました。 それだけ注目の展示会ということですから、 とても嬉しく思います!

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  • 18 Sep
    • ある経営者のブログ

      皆さま、こんにちは! 本日は私のブログに訪問していただき、 ありがとうございます。 このブログをお読み頂いている方の中には ご自身のブログを立ち上げている方も多いことと思います。 自らブログを綴っているときには、大抵の場合、 お気に入りの他の人のブログを見つけ、 それを励みにされているのではないでしょうか。 私自身も、お気に入りブログというものがあり、 それはある中小企業経営者の日常を綴った日記です。 私はその方を存じませんし、名前も会社名も分かりません。 もちろん、会社のホームページに代表者氏名および顔写真、所在地、電話、 会社概要など詳細に記載されています。 しかしながら、先入観をなくすため、私は敢えて その情報を得ずに、ただブログの閲覧だけをさせていただいています。 そのブログは開設当初から10年以上も継続されていて、 つまりはそれだけ会社を運営されていることになります。 偶然、インターネット上で見つけたブログにたどり着き、 以来見続けて1年ほどになりますが、 しっかりとした厳しさとフランクな調子が好きで、 私は密かに読者となっているのです。 ブログ開設当初の記事を拝見しますと、「今日はこんなことがありました。」 「皆さまのおかげで素晴らしい体験となりました。」などといった、 定例文が目立っていました。 もちろん、文章そのものは、もともとしっかりとしていますが、 正直なところ興味をそれほど引くものではありませんでした。 近年のブログ記事では、日常に起こった些細なことから問題提起をし 具体例を挙げつつ詳細に内容を記載し、最後は最初のテーマからずれることなく 見事にまとめられています。 主に人間関係や仕事のあり方、ビジネスの展開、商品(もの)への愛情を 読みやすく、しっかりと伝えられているので、読んでいて清々しいものがあります。 教訓としてはっきりと厳しいことを記載されていますが、 決して人をさげすむことがなく、時には気さくな口調で書かれています。 経営者はサラリーマンとは比べ物にならないほどの プレッシャーの中で生きているはずです。 苦労が多い中で、日々の日記に自分の思いや展望をしっかりと頭に思い描き、 記していった結果、やがては自身の言葉となり、 人の心に響かせる文章が出来上がったのだと思います。 人は自信を持った時に文章で気持ちを伝えられますから、 普段その人がどのようなことを頭に描きながら生活しているのかが分かりますね。 私はブログを始めてまだ四年足らずです。 私もいつかはブログを書き続けていれば…、いえ、 日々の努力を怠らず、しっかりと地道に生きることができれば、 人の心に響くような言葉を発信できるようになるのかもしれません。 最後までお読みくださいまして、ありがとうございました! (疲れたでしょう~?)

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  • 17 Sep
    • 焼きナス日記

      こんにちは。 涼しく過ごしやすい日々となり、秋の気候となってきましたね。 先日、私は焼きナスを作りました。 なすは夏が旬のイメージですが、まだまだ9月も ちょうどよい時期なのではないかと思っています。 (ちょっと遅れたかな?) 今や年中、どの野菜でも手に入る中ですが、 旬のものは、より美味しくいただけますね。 なすを魚焼き器で焼き、皮をむいて、 すりおろしたしょうがとお醤油で頂くというシンプルな一品です。 少しだけ苦いような、独特な味がしますが、 これは“大人の味”ですね。 私は子供の頃、父親に「焼きナスは美味しいから食べてみろ、」と言われ、 食べたところ、あまりの刺激の強さに吐き気を催し、目には涙を浮かべていました。 ※すぐに飲み込みましたが…。 青臭さとしょうがの風味の強さ、とにかく 当時の私にには受け付けない味だったことをはっきりと覚えています。 それ以来、焼きナスは絶対に口にはしませんでした。 それから私は成人し、ホームヘルパーの仕事をし始めたときです。 「焼きナスを作って。」 ある女性の利用者さんが私にこのように話しました。 あの忌々しい焼きナスを思い出しましたが、私は嫌いなあまりにその作り方を 覚えることがなかったのです。 「魚焼き器で焼いて、皮をむけばできるよ。」 そのように利用者さんは教えてくれました。 「お宅、焼きナスは嫌いなの? こんなに美味しいのに…。」 訪問介護の仕事をしていますと、色々と気づいたことがあります。 高齢者は薄味を好むという話は、必ずしも当てはまらず、 若者嗜好の味付けを好む方もいれば、調味料を大量にかける方もいます。 しかしながら、中でも多かったケースは、野菜をそのままゆで、 わずかな醤油や塩、砂糖で味付けをするだけという調理法です。 持病を気にかけたり、味の強いものを体が受け付けなくなったり、 習慣的なものであったりと理由は様々です。 私は毎回のように野菜の味そのままの料理をこしらえていたために、 次第にそれが美味しそうに見えてきたのです。 ほうれん草、キャベツ、かぼちゃ等など、 自宅でも調味料を使わずに、ゆでるだけでそのまま食べていた時期がありました。 これまで苦手としていた野菜を、調理法を問わずに 初めて美味しいと思ったのは、このときだったのかもしれませんね。 野菜そのままの味が美味しいと思うのであれば、 ただ焼いただけの焼きナスもきっと美味しいと思うに違いありません。 私は二十歳過ぎにして、初めて焼きナスを美味しいと感じ、 ある種の達成感を味わいました。 もう苦手な野菜などないかな?と思っており、 同時にほぼ完全に肉や魚、そのほかの食材に関しても好き嫌いは なくなりました。 私は、嫌いなものだらけで周囲をてこずらせる子供でしたが、 今やなんでも食べられる大人になり、幸せなことだと思っています。 苦手なもの? アルコールとレバーだけは未だに苦手ですが…。

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  • 16 Sep
    • うどん屋の回転率の良さ

      私は外食の際には、うどんのファーストフード店をよく利用しています。 低価格で手軽に食べられるうどんは、 ランチタイムのピーク時を除いて、時間のない時でも すぐに頂けます。 注文から配膳、返却口に戻すまでをセルフで行いますが、 ここではちょっとした配慮を行うと流れがスムーズに行きますね。 まずは事前に自分の席が空いているかどうかを確認をし、 列に並ぶとすぐにメニュを決め、自分の番が来ると間髪入れずに 注文できるようにしておきます。 前の方の注文したうどんをスタッフが調理している間に、 天ぷらやおにぎりなどのサイドメニューを選びます。 そして、自分の選んだうどんを調理している間に財布を取り出し、 小銭の確認等、お会計の準備をします。 前後のお客さんの時間差を利用してお店のスタッフさんは準備をし、 それはきちんとマニュアルで整備されているのでしょう。 お客さんとお店のスタッフさんの手際が良いために、 列に並ぶところから食事を終え、返却口に食器を返すまで、 15分以内に済ますことができました。 コミュニケーションとテンポの良さは、客席回転率をしっかりと上げています。 一連の行為が上手く流れますと、スタッフさんとお客さんの気持ちが 無意識のうちに通っているのではないかという感覚になります。 ファーストフード店では回転率の良さで勝負が決まります。 そしてこの居心地の良い椅子でない席は、 「早く食べて、早く出よう。」という気持ちにさせてくれ、 無駄な時間を作り出しません。 15分という短時間は、とても清々しい気持ちにさせてくれました。 安い、美味しい、そして何よりも早いということが当てはまる ランチですね。

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  • 15 Sep
    • 目は口よりもものを言う

      先日、エレベーター待ちをしていたところ、 数分の間に人だまりができてしまいました。 私は、前のエレベーターを見送っていたために 前の方で待っていたのです。 エレベーターが到着した際に、降りる方を優先している間にも、 後から遅れて駆け込んで乗り込んだ人々に私は抜かれてしまいます。 そもそも私も呆然と立っていたために、そのような事態になったのですが、 「私一人乗るスペースくらいあるだろう。」と 気楽に考えていました。 最後に遅れてきた私の体の1.5倍ほどの女性が先に乗り込んできましたので、 さすがに私も乗らねばと焦り、乗り込みました。 その瞬間に、エレベーターのブザーがなり、 満員を示すアナウンスが流れました。 入り口に近い者は私ですので、あまり面白くないと思いつつも 降りました。 ドアが閉まる直前に、最後に乗り込んだ1.5倍の女性と視線が合いましたが、 彼女はすぐに目をそらしたことは印象的だったのを覚えています。 もしかしたら、少し後ろめたい気持ちになっていたのかもしれませんね。 私自身も、そのような立場になったことは、幾度もあります。 電車内で高齢者や妊婦に席を譲りそびれてしまったとき、 人が道端で転倒したにもかかわらず、通り過ぎてしまったときには、 必ず相手の顔を見ることができないどころか、前をしっかり向くことができません。 不正や嘘、失敗の際には目を合わせられなくなる人も多いですが、 これはきっと自分の気持ちを相手に読み取られたくないのでしょう。 相手の責ではなく、自分が悪いと分かっていても、防衛本能のあまりに、 相手を遠ざけようとする気持ちが働きます。 さらにエスカレートすると、都合が悪くなれば音信不通になったり、 八つ当たりをすることで、相手との接点を遠ざけようとします。 私とその女性の関係性は、エレベーターのドアが閉まった瞬間に 解消されることになりますが、微妙な空気で始まり終わりを告げたことになります。 そして、その女性は上についた途端に、私は次のエレベータが来た瞬間に お互いのことを忘れます。 人付き合いは、常に変わり、時には消え去るものであると言います。 しかしながら、自分の責により相手を消し去ってしまっていることは 人生の中でどのくらい存在するのでしょうか。 後ろめたさを残しつつも、やがては面倒になり、相手を簡単に切り捨てた経験は 誰しもあることだと思います。 いつも堂々とした目線でいられますか? 目は口よりもものを言いますよ!

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  • 14 Sep
    • 自分に嘘をつかないで

      フランス文学『レ・ミゼラブル』に、決して 嘘をつくことのないサンプリス修道女という人物が登場します。 「少しでも嘘をいうものであれば、全てが嘘である。」と、 嘘を罪ととらえる彼女は、生涯を強信念を持って生きぬことを実践しました。 それは利害関係にも一切左右されることはありません。 冷静沈着で上品さを醸し出し、物腰の柔らかい仕草と心には岩のように硬い 志を持つ彼女は、曇りのないまなざしで自己を確立させていたのです。 ところがその彼女も、最も信頼する人物を窮地から救うために 一度だけ嘘をつく場面を目の当たりにします。 それが最初で最後の嘘であることは言うまでもありません。 しかしながら、彼女は口では嘘をついていたとしても、 その心には嘘はあらず、自分に正直な人間であったということがよく分かります。 どんなに誠実で純粋で、公平な人間であっても、 我々は必ず少なくとも一筋の小さな嘘を持っているのが普通です。 「電話かかってきても、いないって言っておいて。」 「今日はかったるいから、都合が悪いことにしよう。」 日常的に、そこまで差しさわりのない嘘については、 自分自身にも見覚えがあるのではないでしょうか。 私は嘘が大変苦手であり、嘘をつこうとするタイミングで言葉が出なかったり、 顔に緊張感がでてしまったりと、人に言わせてみれば すぐに嘘をつこうとしていることが分かるそうです。 人間関係においては、むしろ嘘をつくことが気遣いであり、 優しさであることも多く、本来であれば、ほどほどに 機転を利かせられるほどの頭の回転力と演技力が備わっていることが望ましいのです。 しかしながら、その嘘はひとたびつき始めると、 なかなかその習慣から抜け出せないこともあります。 私は中学生の頃、もっとも仲の良かった“ゆうこちゃん”という友人がいましたが、 彼女は嘘で固められた姿をしていました。 ゆうこちゃんは嘘をつくと周囲からの評判であり、クラスメイトは皆 彼女を避けていたことは間違いありません。 私は彼女が嘘をついているということを分かっていましたが、 気が付かないふりをしていたのです。 おそらく彼女は、人の気を引きたいだけだという心理が働いたに過ぎないと 私は思っていたからです。 人の関心を得ようとして、自らの成績をよく見せかけたり、 資格を持っているなどと誇張したりと、彼女は一生懸命でした。 また、心配もしてもらいたいという心理からか、 過去や家庭内の辛さ、自分の弱い面などをうまく作り上げていました。 彼女の嘘の内容は相手から気を引くための自分自身の誇張や謙遜であり、 決して人を気づつけるものではありませんでした。 しかしながら、当時はまだ中学生であり、これが大人になって 嘘の習慣が抜けないと、とんでもないことになります。 小さな嘘は次第にエスカレートし、その結果、相手を陥れたり、 金品をだまし取ったりと悪事にまで働く危険性があるのです。 ひとたび嘘をつきだすと、その嘘の世界を守るために 頭を回転させてつじつま合わせに励みます。 嘘をつき続けるということは、自分を欺くことでもあり、 自らが作り出した虚像の中で生きることになります。 ある時、ゆうこちゃんは私にこのように言ってくれたことを覚えています。 「アキちゃんは、一番の友達だ。」 それを聞いて私はとても嬉しく思ったことをはっきりと覚えています。 嘘で固められたゆうこちゃんだから、もしかするとこの言葉も 嘘であるのかもしれませんね。 気を引こうとして私に対しては嘘をつく必要はない、 そのままのゆうこちゃんを見せてほしいと思っていましたが、 一度も正直な姿を見せずに卒業式を迎えてしまいました。 しかしながら、それはそれでもよいと思っています。 そもそも人は人間としての生まれながらの素直な心が備わっていますので、 全てを嘘と最初から決めつけてはいけません。 少なくとも、私にとってはこの三年間は、 ゆうこちゃんとの良い思い出がたくさんあります。 このように疑う私の方がよほど性格が歪んでいるのかもしれませんね。 良い人間でありたいのであれば、人間社会においては 時と場合に応じて嘘をつかずにはいられませんね。 しかしながら、自分の気持ちや信念に嘘をついてはいけません。 サンプリス修道女は、決して嘘をつかないことを誇りとしていましたが、 たとえその掟を一度破ってしまったとしても、 自分自身には正直であったと思います。 彼女の微笑みやまなざしは清らかに白く、 その良心に一筋の曇りもありません。

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  • 13 Sep
    • 生死をつなぐ臨終

      黄色い切り花をデスクに飾ってから、 もう10日以上になります。 八つの花をつけた茎はまっすぐと伸び、花びらを全開にさせ、 その黄色く明るい表情は見る者の心を癒してくれます。 しかしながら、四分の一ほどの花びらの先は茶色に変色し、 もっとも美しい時期に比べると、みずみずしさを失い いくらかやせ衰えています。 もう二度と最盛期に戻ることのないこの花は 枯れ行く過程で最後の美しい姿を表しているのです。 今はあらゆる生命の力で生きていて、光のただ中にいますが あと数日もすれば、きっと臨終を迎えることでしょう。 私は以前、大きな犬を飼っていた時代がありましたが、 その子は11歳で病気のために亡くなりました。 死の一か月前、走り回り、美味しそうにご飯を食べ、 きれいな黄金色のしっぽを振りながら、まっすぐな目でこちらを眺めていたのです。 自分がこの世から去ることなど念頭にないほどの 無邪気さでした。 それからすぐに発作を繰り返し、やがて散歩ができなくなり、 ついには寝たきりになり、最後には食事さえも受け付けることが できなくなります。 亡くなる直前には、わずかな部位しかもう動かせません。 時折、開閉をする目、苦しそうに力のない声でうめく口、 懸命に呼吸をすことで膨らむお腹。 やがて、その自由なわずかな動作さえも 奪われていきます。 ついにはピクリとも動かなくなり、その魂の抜け殻に触ってみると、 体の表面は冷たいものの、お腹と床に接している部位にはまだぬくもりがあります。 「まだ魂はここにあるの?」 苦しい生への努力が犬を疲れ果たせ、 生と死をつなぐ臨終の瞬間が訪れたのです。 花はどの程度、枯れてきたら交換をするのでしょう? 時間とともに華やかさは欠いていくものの、 最後の力を振り絞って生きようとしています。 花が光に溢れる盛りのときは私は元気をもらい、 その花が枯れ行くときには私がその生命を与えます。 この黄色い花には「マリーちゃん」と 名付けています。 黄金色のマリーちゃんです。

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  • 12 Sep
    • 継続は…力なり??

      私は座右の銘である「「継続は力なり」という言葉が好きです。 これは私がいつまでもブログの継続ができるようにと ある方がアドバイスをしてくださった際に用いた言葉なのです。 三日できれば三週間、それを達成すれば三か月、 そしてやがては「石の上にも三年」となります。 あきらめずに続けることが成功へとつながるということを意味し、 これは励みになる言葉だと思います。 ところで、皆さまは私がドストエフスキーの外国語版の『罪と罰』の訳を 続けていることをご存知でしょうか? 量にして700ページを超え、外国語を読む作業と日本文を作る作業で 1ページにつき1時間を超えるほどのボリュームです。 ※ただし、私の実力が足りないためにより時間がかかっているのです。 これを継続しているのですが、ゴールはなかなか見えてこないために、 本当にくじけそうになります…。 昨日は一日中自宅で作業をしておりましたが、一向に進まないですね…。 それでも以前よりも楽しく作業をできるようになってきましたので、 ようやく調子が出てきたのではないかと感じています。 当初は訳すことに精一杯でしたが、今では訳にメリハリをつけています。 作者の言いたいことを掴み、次の展開を予測し、 人物像を確立していきます。 日本文もできる限り整った文章を 意識して作成するようにしています。 これまでは、ひたすら単純作業として精一杯進めてきましたが、 今では小説をなぞっているような気分に変わってきています。 翻訳力、日本語作成力、文章理解のセンス…、 様々な点を意識することで、確実に力が伸びるはずだと信じています。 「継続は力なり」といいますが、ただ同じ意識で継続するだけでよいという 意味ではありません。 それが実感できたということは、目標達成のための通過点なのかもしれません。 でもね、私は最初に作成した訳とつい先ほどの訳を比較してみたのですよ。 そうしたら、あまり上達しているとはいえず、 それほど変わらない文章でした…。 いやいや、過信というものは恥ずかしいですね! そして一度やると公言しておいてやらないのは さらに恥ずかしいです。 さて、もう一頑張りましょう!!

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プロフィール

アッキー

性別:
女性
血液型:
O型
お住まいの地域:
東京都

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