• 28 Feb
    • 空へ

      昨晩、猫がテーブルの上の鶏肉を狙って あっという間にさらっていきました。   我が家の猫は20歳近くになりますが、未だに 人間の食べ物を漁るという悪さをしています。   特に我が家の猫は鶏肉が大好きで、 私はなぜ鶏肉が好きなのか聞いたことがあります。   すると、鶏肉をたくさん食べて空を飛べるようになりたいと思っていることが 分かりました。   私は猫に鶏肉を食べても空は飛べない旨を話しても、 一向に聞き入れてくれません。   むしろ食べすぎて、体が重くなり、ジャンプすらできなくなるのではないかと 思っています。   気が付けば、もう20歳なのですね。   人間であれば、成人式のお祝いとなりますが、猫にとっては たいそうな高齢ということで、いつお迎えがきてもおかしくはありません。   そんなに鶏肉を食べなくても、お迎えが来れば空を飛べるようになるのではと 猫に話しかけてみたところ、今度は雲の上で寝てみたいと言うではありませんか!   次に住むべき居心地のよい空の上の雲を探しているようですが、 案外、そのお引越しの時期が分かっているのかもしれませんね…。        

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  • 27 Feb
    • 真実を話して!

      「今、付き合っている人がいるんだけど、 結婚の話とか全然ないし、自分はもうすぐ30歳になるけど、 これで別れて次の人が見つからなかったらどうしよう!」   ある女性が付き合っている男性からなかなかプロポーズがこないと 心配になっていましたが、女性にとっては婚期を逃すということで 深刻な話題なのでしょうね。   「自分のことが本当に好きなのか?」と本人にも問いただしているようですが、 私からしてみると、一人の人間の意図や意識を直接本人に聞いてみたところで 分かるはずがないと思っています。   問われた相手は、確固たる気持ちが定まっていない限りは、その時の感情に応じた 返事をしますから、当然のごとく都合の悪い事情については隠すようにします。   しかしながら、常に結婚を意識している女性からすると、その回答は重要事項であり、 もちろんその本人の性格にもよりますが、何としてでも物事を明確に知り得ることばかり 熱心に考えてしまいます。   具体的説明を何とか拒もうとする相手に対し、何とか真相を聞き出そうと たゆましい努力を虚しく続けるように、質問を繰り返えそうとします。   そして最終的には、本人から直接の回答を貰えないとすると、自分と近い意見の 友人のアドバイスをもらうことで安心をするのです。   そして挙句の果てには、自分であれこれ頭の中で考えて、真実を探り出そうとしますが、 結局のところ、自分にとっての気休めの考えであったり、あるいは最悪のケースを 想定したりと、一人戸惑いに陥ってしまいます。   おそらく彼女はこれに近い状態にあるのかと思いますが、 それは自分自身も幾度も経験しているからこそ何となくわかるのです。   それは恋人との間柄だけではありません。   「彼は自分を本当に必要としてくれているのか。」 「親友は本当にずっと一緒にいてくれるのか。」 「職場の仲間に実は嫌われているのではないか。」   様々な不安を感じ、私はこれまでに幾度も本人に聞いてみたり、 または一人で思い悩んだりしてきました。   しかしながら、それは若かりし証拠かもしれません。   やがては落ち着いてしっかりと構えられる日が来るまでの間、 様々な不安定感情に悩まされるのも悪くはありませんね。  

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  • 26 Feb
    • いじめには防衛心を

      掃除をしていたところ、幼稚園の卒業アルバムを見つけ、 思わず目にしてしまいました。   今の私から見ると、幼稚園の頃の私はとてもかわいいと思っています。     とはいいましても、容姿は平凡で、とりわけ何か特技あるわけでもなく、 勉強も運動もパッとしない子供だったと記憶しています。   そしてほとんどの時間を一人で過ごし、グループづくりをする際には 必ず一人余ってしまうような子供ではありました。   口数も少なく、物心ついたときから10年間、 気が付けば「いじめ」の対象になっていたのですが、 その当時はなす術もなく、何かをされても反抗できないという弱い子だったと思います。   当時の学校の教えを振り返ると、「いじめはしてはいけません」といったことは 聞いたことがありますが、「いじめられた場合は○○し、自分を守りなさい」ということは 聞かなかったような気がします。   いじめられつつも賢い子供は、いかにしたらいじめという環境から逃れるのか、 その対応を自ら考えていました。   学校そのものに来なくなった子もいれば、自分を等身大以上に見せて、 自分をいじめる者さえも圧倒させるほどの子もいました。   また、親や先生、周りにいじめ問題を訴えて、行動を起こす子もいました。   私は言うと、幼稚園や学校は決して休むことはありませんでしたが 頭が回らなかったために、何もせずにただ時間を過ごしていただけだったのです。   いじめから逃げるでもなく、立ち向かうでもなく、ただ平静を装ってはいましたが、 今思うと良い思い出なども残っていませんから、辛かったのではないでしょうか。   現在の私であれば、人に揚げ足を取られぬように、自分を過小評価せず、隙をつくらず、 できる限り堂々と振る舞い、そして人に対して悪さをしないように常に心がけています。   その方法が正しいかは別として、それは防衛心というものが芽生えてきた結果であり、 今ではそれを忘れずに大切にしています。   弱い者いじめは小さな子供から大人の社会、広く言うと国家の仕組みの中でも 存在し、そしてそれは残念ながら決してなくなりません。   もし幼き日の自分に会うことができれば、早いうちから 自己防衛の大切さを伝えたいと思っており、だからこそ昔の写真を見ると かわいいと感じるのです。     自分のことながらも、少しでも強い心を持った人に成長してほしいと願い、 そしてもし面会が叶うことならば、どんな風に伝えようかと考えています。   どんなに弱くとも、頭が回らなくとも、人は 何かのきっかけで強い気持ちを持つことでできることは分かっています。   寄り添ってあげる? 励ましてあげる? 理屈で説明する? むしろ甘えるなと渇を入れる?   どれもこれも良いアイデアは浮かびませんが、 それを考えるのが今の私の課題なのかもしれません。      

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  • 25 Feb
    • 世界

      世界をどのように捉えていますか?   私は今、二つの考え方の狭間で物事考えています。。   一つは、この世の中において、自分の存在はちっぱけな存在にすぎず、 たとえ自分が突如としていなくなったとしても、何も変わらず この世界は存続するという考えです。   もう一つは、世界というものは私の中に存在するものであり、世界という枠の中で 自分が死を迎えるのではなく、自分こそが世界を手中に閉じ込めている という考え方です。   前記は謙虚な気持ちを忘れずにいることを意識させられます。   また、後記については、もし世界そのものが自分の手に収められているのであれば、 ある程度は自分の意思によってコントロールができるのです。   そもそも、この世を終えた方から、直接に話を聞くことはできませんので、 結局のところ、どちらが正しいのかは誰も立証できませんね。   魂が去った後は、この世の世界の続きを見ることができなくなりますから。   世界はあなたの中にあるのか、それとも外にあるのでしょうか?   もしあなたの中に世界があるのだという意識が育った状態で、 自分の力で未来を切り開けるという気持ちを持てば、 世界はより明るくなるのでしょうね。    

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  • 24 Feb
    • 些細なミスから分かる人生設計の良し悪し

      先日、仕事の判断基準を見誤っていた私は、上司から指摘をいただきました。   「自分のお金だと思ってやってないだろ。 だからこんなところで妥協したり、ミスをしたりするんだ。」   思わず「そんなことはありません!」と反発したくなるのは 言われた瞬間だけで、確かにその通りであるとすぐに思い直しました。   今行っている仕事は、誰が担うかによって収支に数十万、数百万と 違いがでますので、より慎重にならねばなりません。   私が行っている仕事の一部は、ある退職していかれた男性が担っていましたが、 その方が仕事をしていた時は、毎回のように指摘されていたことを思い出します。   その方は、起業をするためにと会社を退職願いをだしたところ、 上司や同僚から強く引き止められていたのです。   それは、彼が会社にとって必要な人材だからという理由というよりはむしろ、 その仕事のやり方に難があったからでしょう。   お客様とのやり取りにトラブルがあったり、提出期限を守らなかったり、 自分の担当である仕事をすっぽかして周りがフォローしたりと、 とにかく仕事面では苦労することが多々あるようです。   「会計上の仕事はさせられない」と周囲に思われていたのですが、 まさかその彼が起業するとは誰も思わなかったのです。   自分の会社とは言え、その収支を把握する注意力に欠けると皆が 懸念していましたのです。   彼は会社設立当時は事務所を一等地に構え、ある程度のゆとりのある 階層をターゲットにした商売を始めたのですが、案の定、昨年末にお会いした時には 経営に相当な苦労をしているそうで、事務所を引き払い、賃貸マンションを 引き払い実家に戻られていたそうです。   当初はどのように事業を進めようかと期待に胸をふくらましていて、また退職金を得た 直後ですので、気が大きくなっていたのが仇となったそうです。   厳しい状況でも思考と戦略を駆使して利益を何とか出す会社がある一方、 赤字にもかかわらず身を守る術もなくお金を垂れ流している会社も中にはあります。   それは法人に限らず、個人の生活レベルでもある程度共通のことが いえますね。   彼は今になって自ら自分は後者のタイプであったと自覚されたそうですが、 今となっては周囲は何も言うこともできず、そっとしておくことしかできません。   「ミスはしないように努力する」「期限や約束は守る」ということを私は 心に念じていますが、しかしながらそのようにしないといい加減になってしまうのでは あまり人生を効率よく生きられていないのかもしれません。   「ミスをしないように」「事を守る」ということを意識せずとも、 自然にそれが身についている、つまりはことの流れが想像できて先が読める 人も中にはいます。   「人(会社)のお金だと思ってるんだろ?」と言われているようでは、 上手い生き方ができていないのでしょうし、おそらく今後の自分の人生設計についても このままでは上手くいかないことを感じ、大いに反省しています…。      

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  • 23 Feb
    • 無断拝借・・・。

      先日、友人が撮影した私の写真がフェイスブックに投稿されていたので、 無断でお借りさせていただいています。     私は普段、写真を撮ってもらう機会が少ないために、 大変貴重な一枚となっています。   写真を撮るときに、「こっちを向くな」「自然にしててくれ」などと言いますが、 彼にしては、まあ、まともな写真を摂ってくれたと思っています。   「今でもブログ書いてるんでしょ? 僕は全然読んでないけどね。」   さて、本当に読んでいないのであれば、 この記事も、きっと気が付かないでしょうね。   新宿の歌舞伎町に近い、ちょっとお洒落なカフェにて。   ケーキ、ご馳走様でした。 また、来月お目にかかりましょう!    

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  • 22 Feb
    • 色褪せたささやかな気持ち

      少し前に、私のことを少しだけ好いてくれた男性から ある日、このようなことを言われました。   「アキさんは特別だったけど、今はそんなこと全然ないよ。 すっかり目が覚めたから安心して。」   私はその方を知人としてはとても良い方だと思いながらも、 異性としては見ることができず、しかしながら良好な関係でい続けたいという 思いがあったのです。   その方は私に会たびごとに嬉しそうにしてくれて、 私に何かあろうことならば、休息や所用を犠牲にしてでも気にかけてくれたのです。   私自身はその気持ちは分かっていたものの、ついつい向き合ずに、着かず離れずの 関係を続けてきたのです。   しかしながら、あれだけ嬉しそうにしていた表情が変わり、 笑顔ですっかり「目が覚めた」と言われてしまえば寂しいものですね。   彼の頭の中で、私はすでに関心の対象として想像されることもなく、 その懐に思い出を置いてもらえさえもしないでしょう。   こちらを見る視線も、これまでは特別なものであったのが、 その他一般の人を見るような目に明らかに変わっていたのです。   決して目を合わさないようにするというわけでもなく、 だからといってこちらを見ることはもうありません。   彼の中では、私の存在は徐々に衰えつつリ、 すっかりと色褪せてしまうのです。   彼としてもここまま望みのない気持ちを抱き続けていても良くはありませんし、 私はむしろ興味関心が他へ移ったことに私は喜ぶべきなのでしょう。   しかしながら、「特別な人」から「ただの人」への変化を見続ける中で、 最後に寂しさを感じるのは私の方かもしれません。

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  • 21 Feb
    • 見知らぬ人は無関心か?

      知人が少し憤慨しながら最近起きた出来事について話をしてくれました。   それは、出勤時に会社の最寄り駅の改札を通過しようとしたときのことです。   後ろから来た男性にものすごい力で横に押しのけられてしまい、その男性は あろうことか我先にと改札を通過して行ったのです。   知人は、「何て失礼な人だ!」と腹立たしく思いながら、 偶然にも同じ方向を歩いていく男性の後ろを歩いていきました。   その男性はあろうことか、友人と同じ会社の社員であり、 フロアーが異なるため、お互いに面識がなかったのです。   もし、その男性も職場の仲間と分かっていたら、さすがにここまでは しなかったかもしれませんね。   この男性の場合はやりすぎですが、通常、人間は知らない人(すれ違う人)に対して 「二度と会うことのないだろう」という認識を持っています。   そのために、一般的には、知っている人と比べて、見知らぬ人に対しては 無関心・冷淡に接する傾向があります。   何か些細なことが起こるものならば、 その無関心が攻撃へと変わってしまいます。   おそらく今回の事件もそうした考えのもととなっているのでしょうね。   「早く職場に着きたいのに、そのような時に限って 前にいる人間さえいなければ、自分はもっと早く通過できていたのに」という 思いが自然と働いてしまうのかもしれませんね。   これらは誰しも無意識のうちに働くことがあり、自分ではそれと意識していないで 人を邪険に扱っている可能性があります。   しかしながら、人間は言葉を交わす回数が増えれば増えるほど、 相手に対して関心が芽生える傾向にありますよね。   見知らぬ人に対して、電車の中で席を譲った際や道案内をするなどとその場限りの コミュニケーションを図っただけであっても、その瞬間にどこかその相手が “特別な人”として無関心の対象から外れることを私は感じます。   私たちは、毎日のように見知らぬ人とすれ違っていますが、 しかしながらそれらは完全な無関係な人ではなく、 ほんの一言の言葉を交わすだけで、気持ちを交わらせる可能性を秘めているのです。

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  • 20 Feb
    • 自分を振り返って

      私はある人のブログを毎日拝見させていただいているのですが、 その方は私の心を響かせるような発言を常に続けています。   ある意味好き放題発言しているブログですが、その方は 愛よりも強いものは存在しないということを一貫し続けています。   愛していれば、暴力や暴言はないし、人を騙す、操る、支配することは できないはずだというのです。 ※支配欲こそ愛だというのはまた別の次元の話になるのでしょうが…。   この言葉を聞いて、私は心に感じるものがあり涙が出そうになりました。   これまでの人生の中で、「人生は綱渡り」的な考えを持っていた面もありました。   時には人に媚びを売って利益をえようとしたり、お金や力の強い者にひれ伏して、 自分だけいい思いをしようと考えたこともあります。   さらには、自分を優遇してくれる人が現れると、それに便乗して、 これまで世話になった弱い立場の人を下に見て小馬鹿にしてしまったこともあります。   これらは、実際には実行せずに、ほとんどが頭の中だけでずるいことを考えるだけに とどまっています。   しかしながら、私は常に自分中心に考えている癖があることが発覚してしまいましたね。   私は人に対して意地悪をしたり、嫌がらせをすることはないのですが、 心の中ではそれと分からないように人を傷つけていた面もあります。   つまりは、外から見ると普通の人でも、その中身はややしたたかな面が 自分も気が付かずにあったのではないかと思います。   「それも世渡りだ!」などといっては自分で納得をしていたのですが、 私の中での誇りというものは存在しなかったのかもしれませんね。   私が毎日拝見しているブロガーさんは、「世間じゃ愛などとそんな理屈は通用しない」と 言いながらも、それでも愛の力は一番強いと断言しています。   確かに、こうした考えはなかなか受け入れられないのだと思います。   こうして記事を書いている私自身も、反省するところや改善心はあるものの、 まだきちんと自分の中では消化しきれていません。   さて、愛の力が本当に強いのかどうかを確かめるためには、 自分がそのような人物にならねばなりませんね!   こんなことばかり言っているものですから、周囲からは時々「自我が強い」などと 言われてしまうのですが…。                    

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  • 19 Feb
    • 元常連客の思い

      昨日、三年ぶりにあるトルコ料理のお店に行きました。   比較的、私の家の近くにあるのですが、今では全く行かなくなっていたのです。   三年ほど前は、私はそのトルコ料理屋の近所に住んでいた友人と よく訪れていました。   さらにはその友人は、週に1~2回ほど、単独でもそのお店に通っていましたから、 我々は顔の知れたお客となっていたのです。   私は所用があって、昨日にそのお店の前を通りかかり、 何となく中の様子をうかがっていたところ、トルコ人の店主と目が合ってしまい、 そのまま引きずられるように中に入りました。   食事を終えて、お会計の時に店主から、「どうでしたか?」と話しかけられましたので、 「美味しかったです」と答え、さらには「三年ほど前には私はここのお店に 来ていたのですよ。」と付け加えました。   すると店主が、「そうですよね!知っている顔だと思ってずっと見ていたのです!」と 答えてくれたのです。   我々は、開店当初からそのトルコ料理店に通っていて、色々とお話もしましたので 本当に覚えてくれていたのかもしれません。   「昔にご主人がは菓子と紅茶をサービスしてくれたな」などと このお店で友人と過ごした時間が蘇ります。   お店側からすると、これまで来ていてくれた常連客がぱたりと来なくなるというのは 案外寂しいものなのかもしれませんね。   引っ越しなどを理由に去る場合は、最後に一言挨拶をする場合もありますが、 人にはわけがあり、黙って去る場合も多いです。   実際にはお客さんが突然亡くなったり、多忙であったりなどと 必ずしもお店に対して、飽きたり、不満があったりというわけではないことが多いのです。   私は昨日このお店を訪れて、昔と変わらぬ雰囲気に安心感を覚えました。   私の他に二組のお客さんが入っていましたが、店主はお客さんと 楽しそうにコミュニケーションをとっていたのです。   そしてお店の中も清潔に保ち、料理のボリュームや質も落ちることなく、 ずっと営業していたことが嬉しかったのです。   お店側は、突然来なくなった常連客のことは頭のどこかに覚えていつつも、 今来てくれているお客様に対して精一杯のサービスを提供していたのです。   「自分がいつ戻ってきても、気さくなご主人はまた迎え入れてくれるだろうな」 と、その様子を見て安心感を得ることができました。   都外へ引っ越した友人に、そのお話を伝えたところ、「今でもあの味を覚えている」と 懐かしそうに話していました。   よくよく考えてみると、私が幸せを感じる場所はたくさん存在し、 ただそのことに気が付かずに生活していることがよく分かりますね。   ビーフドネルケバブプレート、美味しかったです!          

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  • 18 Feb
    • ステンドグラスの光が映し出す善行と愛

      おはようございます。   晴れた朝、ステンドグラスを通じた光が寝室に差し込んでくる瞬間は 心が洗練された気持ちになります。     このステンドグラスは、ギャラリーとして建物を活用していた 前所有者が残してくれたもので、今もなお太陽の光をたくさん吸収しています。   このステンドグラスに描かれた女性は、生涯に渡り、善行を積んできた人であり、 彼女を敬う人々が形として残しています。   陽光がきらりと差し込むと、衣服の赤、背景の青が宝石のように輝き、 そして女性の白い肌が浮かび上がります。   それはまるで命の光を得て生きているかのようです。   ステンドグラスの隅々にまで生命の光をさまよわせ、 また、光の方角によってその色合いはめまぐるしく変化をさせます。   この女性の背後には、彼女を愛した多くの人の思いが込められているようで、 それが太陽の微笑によって表現されているのです。   太陽の微笑はガラスに命を吹き込み、その輝きを見る私の心に花を咲かせてくれます。   生涯において善行を積んできた女性の微笑み、そしてその愛の光を見るたびに、 私は日々の行いについて振り返るのです。   よい一日となりますように!        

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  • 17 Feb
    • 新しい予感

      毎年、静岡ではこの時期にはフキノトウの芽が出てきます。 一つ一つ見つけるたびに、春の息吹を感じますよね。   東北に住む友人は、雪解けの3月頃にフキノトウが採れるといいますから、 地域によっては、「もう少し待っててね。」と雪の下でしっかりと 春の訪れを待っていますよ。     ネギとフキノトウまぜたバター醤油のソースを 焼いた鶏肉にかけると、ほろ苦さが美味しいですよね。   春の到来とともにフキノトウの葉がひょっこりと顔を出すその様子は、 まるで新しい事が始まる予感を感じさせてくれます。   フキノトウを収穫しながら、「今年はひょっとしたら思いもよらなかったことを 手掛けるかもしれない」と思い返していました。   昨年から、色々と話があらゆるところで浮上しているために、 さて、どれから手掛けて行こうかなと真剣に考えています。   昨日は予想もしないことが起こるのが人生であり、 それはチャンスでもあり、時には不運となることもあります。   ひょっこりととぼけた顔をしたフキノトウが、寝ぼけ眼でこちらを 眺めていますが、まるで私のようだと思ってしまいます。   さて、春の訪れが冬眠していた私を起こしてくれますよ!  

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  • 16 Feb
    • 恋と苦悩

      一昨日、バレンタインの日であったためか、 あらゆる課の男性のデスク上にはチョコレートと思われる包みが 置かれていました。   女性が好意を示した男性に気持ちを送るというバレンタインの風習は 昔に比べて薄れてきているのかもしれませんね。   私は職場のある男性に、「○○さんからチョコレートをもらった?」と聞きましたが、 貰っていないとの回答でした。   その男性は○○さんをよくランチに誘ったりとやや気にかけているようでしたから、 おせっかいながらも冗談で聞いてみたのです。   その雰囲気から、おそらく本当に貰っていないと思われますが、 彼は気にかけている女性が他の男性に贈り物をしていたらと、 考えることもあるでしょう。   特にバレンタインはその時期であり、 女性にとってのコミュニケーションの機会であるとともに 男性にとっては若干の苦悩を味わうこともあるのです。   自分が好意を抱いている相手が、自分の知らないところで楽しそうにして、 なおかつ自分がそこの場に合流できない環境にあるとなると、それは苦しいものです。   苦悩は裏を返すと恋であることもあり、気になる異性を見ると心が弾むのと同時に、 自分の思い通りにならないことに憤りを覚えることもありますよね。   しかしながら、恋とは知らず、表面に表れていない状態で、 その苦悩だけがおとずれた場合には、 なんとも曖昧な、目的のないモヤモヤとした気分になります。   ある日は、積極的な感情に仕えたかと思うと、その翌日には冷静になったりもします。   時には、自分の想像の中で好きな人を恋人にしてみたり、 かと思うと我に返って職場の人であると思いなおしたり、 また時には仲間であるのがいいと自分で納得したりと、 気持ちは常に漂流するのです。   おそらく、その男性は、チョコレートを貰えることは想定しておらず、 とはいえども、彼女のことをやや気になっていたのではないでしょうか。   きっとその女性の方から気があったら、彼は積極的に行動するのでしょうね!   そもそもこの想定は私の勝手ながらの想像であり、実際には 全くの見当はずれであるのかもしれません。   私は見解が明らかに脱線している場合も多いのですが、 人々の気持ちを考えることが好きです。   そしてその思いをこうして文章にすることが好きですが、 時には私の空想の世界となっていることも多いようです。    

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  • 15 Feb
    • 悪口は誘惑

      もう長いことお目にかかっていない知人から、 二週間ほど前に突然のメールが入りました。   「今度、旅行で○○に行くからお店とか楽しめる場所を教えてほしい」といった 旨の内容でした。   そのメール内容には、いつもの彼女特有の「毎日しんどい、疲れた、 ○○さんが嫌」などとネガティブなことが満載に書かれていたのです。   とりあえず、彼女には色々と情報を提供しましたが、何ら返信はなかったために、 私は内心、「彼女はいつもこうだ。どうしようもないな…。」と 思っていたのです。   しかしながら、昨日に彼女から再びメールがあり、 それを見て、私は「自分も悪かったな」と思わずにはいられませんでした。   「○○と○○に行き、教えてもらったレストランで食事をして、 おかげさまでとても楽しかった。ありがとう。」   相手の行動に腹を立てた後に、その相手から感謝をされると 何だか自分が悪く思っていた気持ちが恥ずかしくなりますね。   本来であれば、何かをしてもらった直後にお礼をいうと関係が良くなるのですが、 しかしながら、彼女はそれ以上に私のアドバイスを受け入れて、思う存分に 楽しんでくれていたのです。   よくよく思い返すと、彼女は人前で悪口を言えるような人ではなく、 ネガティブなメール内容も、本当は誰かに聞いてもらいたかった思いなのかも しれませんね。   私は自分自身の行動をなるべく客観的に日ごろから観察していますが、 それでもちょっとしたことでイライラしたり、つい悪口を言いたくなる自分に気が付きます。   何か気に障るようなことを言われたり、ぶつかられたりすると、 無駄に若干ですがストレスを感じてしまい、その後で当人から謝られたりすると 自分人身の悪い気持ちに反省をしています。   「人の悪口を言う」「人を嫌いになる」ことは、ある種の薬物のような誘惑であると 私は感じています。   悪口を言うことで、自分のストレスの発散になったり、優位に立ったような感覚に 陥ったりと、それは一時は気持ちの良いものです。   もし、誰かに対して嫌な感情を持つことが自分の脳内が 快適ととらえることに慣れてしまえば、 それは本当の幸せに対して満足ができないでしょう。   情報を得る相手に自分を選んでくれ、そして楽しかった体験を報告してくれた 知人に対して、「よかったね!」という気持ちで返信をします。   私は人を悪く捉える誘惑と日々闘っておりますが、格闘している間は 自分がまだまだ未熟であるということになります。   私の中には悪の塊がたくさん存在していますが、 少しづつ減らし、喜びに変えていきたいと思っています。   自然と優しい気持ちになれるよう、本当の幸せを得ることができますように。    

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  • 14 Feb
    • 包み込む優しさ

      おはようございます。   先日、大切な人への日ごろの感謝を込めて、 ホテルの宿泊をプレゼントしました。   何か品を贈る形でもよかったのですが、 一緒に思い出作りをするのは何よりも楽しいですよね。     海の見える部屋、美味しいディナー、日頃の疲れを癒す温泉、 それら全てのサービスはホテル側が提供してくれていますが、 その行き届いたサービスに私たちは満足しています。     私は相手に日頃からお世話になっている量からすると、 値段で判断すると安い贈り物であるかもしれません。   それにもかかわらず、なぜこんなにも楽しく過ごせるのでしょうか。     いつも“優しさ”を受け取っている私ですが、 それに対し私も“優しさ”で返すことができるようになっています。   これが当たり前のようで、なかなかできなかった私ですが、 ようやくわかるようになってきました。     お互いにそれが伝わったのかどうかは、お互いの表情や目を 見ればわかってしまうからです。   「こうして素晴らしい時間を過ごせたことに感謝だね。」     “優しさ”や“思いやり”は思い切りぶつかり合ってもよいのです。   すっぽりと相手を包み込んでしまいますからね!  

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  • 13 Feb
    • バレンタインでコミュニケーションを!

      おはようございます! 明日はバレンタインデーですね。   私の職場では、男女比が4対1となっていて、 女性陣はバレンタインに毎年恒例のチョコレートを贈ることになっています。   「女性はいつも面倒なことが好きだな…。」と思っていらっしゃる男性のあなた、 年に一度だけですから、女性を喜ばせると思ってお付き合いいただければ 幸いです。   私が小学生の頃には、バレンタインチョコレートというと、 告白のイメージが強かったのですが、今では感謝やねぎらい、 「一緒に同じ時間を楽しもう!」といったコミュニケーション が主流になっているように感じます。   我が職場では、誕生日の時にはケーキをくれたり、お祝い事には贈り物、 ちょっとした時におやつをくれたりと、それは様々な小さなコミュニケーションが 交わされています。   かつての私であれば、そうしたものは不要ととらえていましたが、 よくよく思い返しますと、相手の些細な気遣いが感じられて嬉しくなりますね。     先日も男性の同僚と仕事に関する考え方の違いで 少しだけぶつかり合いましたが、その時はお互いに若干ですが 「この分からず屋!」と心の中で思ってしまうものです。   そんな中、バレンタインチョコレートの一つでもあれば、 その瞬間は「嬉しい!」と思ってくれるものなのです。   そのような関係が築かれていると、何度意見がぶつかろうと、 それはそれで面白いですよね。   バレンタインはどちらかというと、同じ楽しみを共有したい傾向にある女性のための イベントであるのかもしれません。   そこの優しいあなた、男性の方はぜひともお付き合いくださいね!    

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  • 12 Feb
    • ~河津の桜祭り~ 春の訪れを感じて

      おはようございます。 今朝も真冬のように寒いですね。   暦上は二月は春と位置付けられますように、 今月の10日に私は暖かな春の日差しを浴びてきました。   静岡県の河津町では、毎年二月になりますと桜祭りが開催され、 春の訪れを感じに多くの人でにぎわいます。   伊豆の温暖な気候と早咲の特色が合わさって、二月から三月にかけて 淡紅色の花びらが満開となるのが一般的ですが、 今年は開花の日が早かったために、桜祭り初日の10日には早くも 満開の木が出始めています。     立ち並ぶ数多くの屋台のにぎわい、ゆっくりと散歩を楽しむ穏やかな人の顔、 温かい日差し、桜のピンクと菜の花の黄色がいち早く春を告げてくれます。   桜祭りの前日に下見に行きましたところ、その日は雨であっために、 曇り空に覆われあたり一面、灰色の世界でした。   まるでモノクロ写真のような風景にぱっと鮮やかな淡紅色の桜の花が浮き上がり、 まさにその光景は私のイメージを掻き立ててくれたのです。   河津というと私の中のイメージは桜であり、その目の覚めるようなピンク色こそ 私の想像力があこがれていたものだったのでしょうね。     一面に広がる青空とピンク色の桜を結び付けた土地の名前に、 私自身の夢を積み上げていたのです。   その夢と憧れは、たとえ曇っていようと雨であろうと、 雪であろうと、明るい日差しの中の桜という個性のようなものを 保ち続けているために、イメージが崩れることはありません。   人の抱くイメージや憧れは、季節や時間、天候などには左右されずに、 どんなときでも変わらずにいることがあります。     桜祭り当日の天気は清々しい晴れとなり、それは実は雨にもかかわらず 私のイメージがそう見せているのか、あるいは本当に爽やかな晴天なのか 一瞬、錯覚に陥りそうになりました。   でも、すぐに分かりますよ。 本当に晴れているということを!   空気の良い川沿いの桜道を散歩する人々の表情はどこか穏やかで、 桜には人の心を温かくする力がきっとあるでしょう。     お近くにお住いの方は、河津桜の下をお散歩してみませんか?   あなたの体と心をきっとほぐしてくれますよ!    

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  • 11 Feb
    • 自分の体に耳を傾けて!

      数年前の話です。   ある友人が激務な仕事に就き、そのために体を壊し、 最終的に入院をしてしまいました。   今もなおその当時の後遺症を抱えながら多忙な日々を過ごしているそうです。   このような状態にいる方は実は多くいますが、 軽々しくも「休んだら?」などと気やすく言える状態ではありません。   その体調が蝕まれているという実態は本人が一番分かっており、 しかしながらどうにもならないという強い気持ちが表に表れています。   仕事に熱中するあまりに、体が発する危険警告を考慮に入れない習慣が身についてしまい、 その結果、瀕死の体であっても一定の期間においてはまるで健康人のような 生活を送る続けることができるのです。   「自分の体に耳を貸す(健康に留意する)」という表現がありますが、 おそらく自然とそれに反するような行動をとらざるを得ない状態になっているのでしょう。   自分の体の内側で起こっていることは察しが付いてはいるものの、 何事にも注意を向けないようにわさと努めるのです。   体は「助けてくれ!」と悲痛な叫び声を上げているにも拘わらず、 その警告は決して受け入れられることはありません。   例えば寒気は早く体を温めて悪化しないよう休むことを促すサインですが、 ただ外が寒いのだろうと安易に流してしまいますし、吐き気については、 ただ気が乗らない(お腹が空かない)だけだろうと安易に考えてしまいます。   着々と進行していく病に侵された体に対して、氷のような冷やかさで 無視していますと、やがて大人しくしていた病は突如として牙を向けます。   しかしながら、それでも「やるべきこと」が目の前に差し迫っているために、 ぐったりとしていても、外部の環境に対して敏感に反応して、 たとえ立っていられない状態であっても、自然と気持ちを伴わせてしまうのです。   外的要因(仕事)が落ち着くか、病が牙を向けて襲い掛かり体を止めるか、 そのどちらかという状態であったために、私はその友人に対して常に心配をしていたのです。   時折、気遣う言葉をかけていましたが、その言葉は友人にとって 嬉しく感じたのか、煩わしく感じたのか、それさえも気に留めていなかったのかは 分かりません。   ただ、私はその言葉の無効性を感じ、ほんの時々行っていた声掛けの行為を 今では完全にやめてしまいました。   今でも、後遺症と闘いながら忙しい日々を過ごす彼ですが、 私はその身を案じる気持ちだけは今も忘れてはいません。      

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  • 10 Feb
    • そうめん、冷や麦、にゅう麺…!

      先日、初めてにゅう麺を提供しているカフェに行きました。   大きな梅干しに紅葉柄のお麩、胡麻もたっぷりとはいった さっぱりとしたランチです。     ところで、皆さまは、そうめん、冷や麦、にゅう麺の区別をつけられますか?   にゅう麺とはそうめんと素材は同じですが、調理法が異なり、 麺を温かいスープ(醤油やみそベース)に入れていただきます。   そうめんと冷や麦の差は、その太さに違いがあり、 麺の太さが1.3mm以下がそうめん、以上が冷や麦とされています。   なお、そうめんには麺を細くするために油が含まれていますから、 予想以上に冷や麦に比べてカロリーが高めの食べ物なのですね。   私は小学生の頃に初めてそうめんをゆでたところ、うまくいかず、 麺同士がくっつき合い、玉になってしまって美味しくできなかった記憶があります。   ゆでている最中にしっかりとかき回さなかったことが原因ですが、 当時は「何と難しい料理だ!」と思ったことが記憶に残っています。   ついつい夏場にはたくさん食べすぎてしまいますが、 よく母に「そうめんはカロリーが高いからね。」と注意されましたが、 それは油が使用されているからということだったのですね。   そうめんに飽きると、私は麺つゆベースでにゅう麺を食べるようになり、 そうめんと交互に食べていたことも懐かしい思い出です。   また、母がたまには冷や麦にしようとすると、「このそうめん美味しくない!」などと そうめんと冷や麦の区別のつかなかった当時の思い出があります。   さて、にゅう麺ランチ、ごちそうさまでした!   そうめんは夏の食べ物だと思っていても、 調理法によっては温かく、美味しくいただけますよ。   皆さまもたくさん食べて、体を温めて寒い冬を乗り切ってくださいね。            

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  • 09 Feb
    • 天秤

      ある30歳を手前にした男性と50歳を過ぎた男性の間でこのようなやりとりが 交わされているのを耳にしました。   「○○君、最近ちょっと太ったね。 今はまだいいけど、だんだん代謝が悪くなっていくよ。」   「そうですね。気を付けないと、とは思っているのですが。」   年配の男性の方は日ごろからトレーニングをしているために、 体が引き締まっており、他方、若い男性は特に何もしていないために だんだんとお腹周りのたるみを気にしているようです。   人生には自分と向き合う瞬間が幾度も訪れますが、 私もまさにその時期を通過していると認識しています。   この何気ない会話の中から、ある一つの天秤が想像され、 そこには思考が秤にかけられているのです。   一方の皿には、向上心(抵抗心)が置かれていています。   自分はまだ若く見られたい(あるいは年相応の美しさを保ちたい)、 引き締まった体、肌を保ち、身だしなみを決して手を抜くわけにはいかないと いう気持ちが働きかけています。   つまりは男(女)としての自分をいつまでも残しておきたいという気持ちです。   他方、もう一方の皿には、苦痛(諦め)が置かれています。   加齢に伴る劣化は誰にも訪れるのだ、時間やお金をかけたり、 努力するのはしんどいから成り行きに任せようといった気持ちが働きかけます。   この天秤の向上心がのせられた皿から、ほんの少し向上心を取り除き、 苦痛の皿にのせればどうなるでしょうか。   まだまだ若い間はこの苦痛の皿の重みは少なく、向上心の方が勝利を収めていますが、 やがて加齢とともに苦痛の皿の方に比重が置かれてしまいます。   苦痛の皿の方に傾けば傾くほど、年齢は実年齢以上に ぐっと引き上げられることになります。   我々は人生の中に必ず自分の天秤を持っており、 その基準は若さや外見だけを量るだけではなく、自らの行動そのものを量っています。   しかしながら、こうした習慣を日常的に意識することはほとんどありません。   時折、自分と向き合った瞬間に、私はこの天秤を思い出すのです。    

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プロフィール

アッキー

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