• 13 Dec
    • 結果通知

      高校生と思われる二人組が数日前に受けたという模擬試験の結果について話し合っているのを耳にしました。全くできなかったとお互いに話しているようですが、受験とは本番ギリギリまで結果は分からないものであり、基礎・土台さえできていればあとは調整するのみであり、この数週間で実力が伴ってきます。高校生の頃の大学受験(推薦でしたが)や、学生の頃の年に一度の資格試験の際には私も緊張したことを思い出し、あの当時は一日に8~10時間は勉強に励んでいたかもしれませんね。結果が通知で送られてくるのですが、その際には大変緊張したことを覚えています。封書として手元に届きますが、その書類はまるで自分の全てを知り尽くしたかのような堂々とした顔をしてやってくるのです。「見たいか?見てごらん。緊張するでしょ?早く開封してごらんよ。」その封書は、私の合否結果を知りたいばかりの焦る気持ちと、できればそのような結果を知らずに済むのであれば避けたいという両極端の気持をもてあそぶかのように、その存在感を示しています。その封筒の中の重要書類の中には誰にも変えることの不可能な合否が印字されていて、私はただその封書様に従うだけであり、一切の変更はできないのです。恐る恐る封を開けてその内容を確認したところ、このように記載されていました。「不合格」この言葉を目にした際に、今までの努力が水の泡となり目の前が真っ暗となりましたが、ある意味肩の荷が下りたように感じたのです。試験勉強を始めたときから、あきらめずに勉強をしていたとき、そして試験当日に自分の力を出し切った感覚に浸ったときまで、自分が合格を勝ち取ってそこで活躍している夢の姿を想像し、それを励みにしていたのです。その夢は不合格の文字とともにすぐに消え去ったものの、確実に破れた夢の方向へ進む運命を歩むことを暗示されたのです。「まあ、いいかな。ダメというのなら。それならば他にどうしようか?」そこで考えて、一日落ち込んだ後にすぐに次のステップへと移ります。案外その場では失敗のように思えますが、たとえ上手くいかなくともしっかりと歩んでいけば必ず良いことが起こるものですよ。話をしていた高校生二人組は勉強に辛そうでしたが、社会人になりますと仕事の勉強もありますから、趣味の勉強をできる時間は本当に限られてきます・・・。一日8時間の勉強。思い返すと大変だった思い出がありますが、今であればとても贅沢な時間だと思います。

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  • 12 Dec
    • コシヒカリ到着!

      少し前にインターネットで購入をしていた魚沼産コシヒカリが届きました。それはスーパーで販売されているお米の何倍もの価格であるものの、味については間違いのない商品であり、気に入って引き続き購入をしているのです。太陽の恵みのもと、時間をかけてじっくりかけて乾燥させた天日干しによるもので、それは昔ながらの自然乾燥方法でしっかりとお米を熟成させているのです。現在、安く手に入るお米は乾燥機に入れて短時間で乾燥させることで量産していますが、同じお米一つをとってもはっきりと味の違いが分かるほどその差は大きいのです。新潟県魚沼市出身の人に聞いてみると、子供の頃に食べていたお米は自家製のお米で天日干しが当たり前だったそうで、少しおすそ分けをしに持っていきました。手間暇かけて育てられたお米には栄養がたくさん詰まっていることでしょうね。ただ、新潟は福島から遠いとはいえず土壌汚染が気になるところですが、私は生まれも新潟であり、コシヒカリのお米には様々な思い出が詰まっているために、食べ続けていたいと思っています。とはいえども、微量の放射性物質が含まれている食材が数十年後に人体にどれだけの影響を及ぼすのかについてははっきりとした基準はありませんが、本来ならば国がどう発表しようとなるべく摂取しない方が得策です。本来は食べて応援するのではなく、より安全な地で農作物を生産できるように国が支援する方が国民の健康についての視点だけで見た場合に限っては重要となりますが、実際にはそんなに単純には都合よくいかないでしょうね。ただ、自分にできることはしたいと思っています。外食や総菜を買うよりはなるべく産地を見て食材を購入し、どんなに時間が無くてもバランスよく自分で調理したものを食べた方が体の調子がいいようです。※ただし、週に二回くらいは料理に疲れてごった煮(豚汁のようなもの?)になってしまいますが。さて、お米も届いたことですし、これで私の家のお米は総計35キロくらいになりました!私の体重に近づいていますが、これを10か月くらいかけて美味しくいただきましょう。普段贅沢の少ない私にとっては、一杯のご飯が何よりのご馳走です。

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  • 11 Dec
    • 時間の間隔

      図書館や早朝のカフェでは、しばしば勉強をしている人を多く見かけます。疲れているのか、飽きてしまったのか、途中で眠ったり、スマホをいじったりとそれは様々です。期限が差し迫った仕事を終わらせなければならないという状況でない限り、焦りは生じませんから、自分で決めた勉強とはついつい自分に甘くなりがちです。それ以上に集中力の限界とでもいうのでしょうか。私は勉強中に寝たり、他のことをする習慣はありませんが、ある癖に気が付きました。それは10分おきに携帯の時計を見ることです。時間を確認するのは一瞬ですので中断にはなりませんが、これは早く時間が過ぎ去ってしまってほしいという思いからきているのでしょう。たとえ好きでこなしている毎日の勉強も、疲労が蓄積されるとどうしてもじっとしている時間から解放されることを願うようになります。同じ時間であっても、その長さを感じ方には差異が生じることは誰にでもわかることであり、リラックスして過ごす時間や楽しみのひと時は早く過ぎ去るのに対し、苦痛を伴う時間は異常に長く感じます。3時間勉強を続けると目標を立てたのであれば、その時間が過ぎ去るのを待ち遠しくしながらただひたすら励みますが、その時に、もっと時間を気にすることなしに知らぬ間に時間が過ぎ去ってくれる何かを期待します。例えば、これまでの努力が実り、突然のごとく理解が早くなった自分に気が付いたときには時間が早く感じるでしょうし、あるいは勉強とは全く関係のない嬉しいお知らせメールが届いていた時には、それ以上の喜びを得ることができます。ちょっとした奇跡が今起こってくれて、この長ったらしい時間の流れを速めてくれるような時の魔法使いが現れるのを待ちわびていますが、なかなかそのように甘いものではありませんね。一分、そしてまた一分と、くつろいでいたら数えもしない時間を分刻みで心の中で数え、目標達成時間を自分のもとに引き寄せるように努力をしているのです。周りを見る限りでは、今は受験に向けて真っ最中のようで、中高生や中には小学生も夜遅くまで勉強しています。でも、みなさん。必ずと言ってよい程、居眠りをし、スマホを触っていますね。疲れ切って集中できないときは早く帰って休んで、明日に備えた方がいいですよ。風邪をひかないように!

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  • 10 Dec
    • ランチにて

      昨日、ランチをしてきましたところ、隣の席に座っていた女性たちが写真を撮ってインスタグラムにアップしていました。皆、スマートフォンを持っていますので、きれいに写真が撮れますし、さらには友人に美味しい食事をしたところを知らせて話題を共有して楽しんでいるのでしょうね。私もその様子を見て、スマートフォンを持ち、写真を撮ってインスタグラムを始めたいと思いましたが、そもそも誰が私のプライベートを見たいのかということで、無駄な考えはやめることにしました。外食の料理には、たいていの場合にはきれいに盛り付けがされて色とりどりですから、写真映えがすることから写真に収めたくなりますよね。そのお店の盛り付けセンスや調理をされている方の腕が十分に反映されていて、自分でもぜひ真似をしたいと思うことが多々あります。ポテトサラダにスイートコーンが入っていて、意外と美味しかったのですが、自分ではなかなか気が付かない組み合わせですから、外食は楽しみであり学びの場でもあります。副菜も三種類ほどついていたために、緑(煮びたし)、白(ポテトサラダ)、薄緑(生野菜)などの組み合わせのバランスもよく、食卓が賑やかですね。私もぜひ自分で作ってみたいと思っていますが(なかなか時間の確保ができずにいます…)、こうしたことを実際に練習していくことで、必ず自分自身のためになり役立つ日が来るはずですよね。食事は食べてしまえば同じですが、美しく盛り付けに工夫をされたものは得られる満足度(満腹の度合いも含む)も変わってきますし、また食べ方もより丁寧になることでしょう!ひじきのご飯が美味しかったのでおかわりしてしまいました。その結果、夜までお腹がずっしり、やはり無理をするものじゃありませんね。

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  • 09 Dec
    • 体温計の審判

      職場で同僚が、熱を出してしまった子供を迎えに行くために仕事を早退しました。保育園に通うような小さな子供を育てながら夫婦共働きで仕事を続けるというのは、本当に大変だと思います。発熱をすると保育園では預かれませんので、夫婦のうちのどちらかが交代で迎えに行っているご家庭も多いことでしょう。まだ物心のつかない子供だと分からないのでしょうが、小学生くらいになると、風邪で学校を休むということは特別な日のような気がして嬉しいものですよね。私は滅多なことが無い限りは学校を休まない丈夫な子供でしたので、正々堂々と風邪にかかると大変喜びました。それでも体がいつも通り動いていれば、少しくらいの熱があろうと具合が悪かろうと必ず学校に行こうとします。「これで休んでしまっては、もしかしたらずる休みかも知れない」と心配を常にしていたのですが、唯一体温計の言う言葉は真実であると思い込んでいたのです。体温計が38度まで熱が上がるのを確認した時に風邪であるというお墨付きをいただいた日にはどれだけ喜んだことでしょうか。悪知恵の働いた私は体温計は温めればどんどん温度が上昇するのではないかと思い、脇の間では36度を記録したにもかかわらず、手でしっかりと温めて温度を上げようとしたことを覚えています。その時には体温計が審判のような威厳のあるものに見えたことは確かであり、温度が上昇してくれるように願いを込めてしっかりと握っていたのです。しかしながら、そのようなインチキで温度が上がるはずもなく、結局のところ学校へ行ったことを覚えており、その審判は私の味方をしてくれなかったのだと、いじけていたのです。この何ら理性のない無機質な体温計という判定者は、私の工作にも騙されずに正確な答えを示していますね。私のどんな願いや懇願にも頑として耳を貸さず、その36度という数字はしっかりと戒めの文字として私の目に刻まれていました。皆が学校で勉強している時に、自分だけ布団の中で寝ていられるという特権は、子供の頃は楽しみの一つであるのは仕方がないですね。もしかすると、今、お父さんお母さんが熱を出すたびに保育園へ迎えに行き、連れて帰られる小さな子供は、もう少し成長すると、風邪の味を占めるかもしれませんね。もっとも、今の社会人の私は風邪をひくと大変厄介なことになりますし、仕事にも穴をあけるわけにはいきませんから…。

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  • 08 Dec
    • お祝い

      職場の後輩が昇任試験に合格したために、皆でお祝い会をすることになりました。「おめでとう」「頑張ったね」そんな言葉が飛び交う中で、私も数年前に合格した時のことを思い出しました。参加者のある一人の方がこのように話していました。「自分の時はこんな会、誰もやってくれなかったよ。こうして仲間全員が集まってやるっていうのも、なかなかいい環境にあると思う。」この言葉には自分は祝ってもらえなかったという思いよりも、今こうして皆で楽しくお祝いができている環境に満足しているかのようでした。人間であれば、「自分はお祝いしてもらえなかったのに、なぜ人に対してそれもお金と時間をかけてまでしてやらねばならないんだ」と一度は誰しも思ったことがあるでしょう。それは試験の合格、お誕生日、あるいは結婚式など様々なお祝い事に及んでいます。さらにはせっかくお祝いをしたにもかかわらず、その後のお礼や気遣いがいい加減だったりすると、腹立たしく感じた経験もあるかもしれませんね。しかしながら、よく思い返してみると、人にお祝いをしてもらった回数とお祝いをしてあげた回数は、その対象者は異なるものの、その回数は同じくらいのような気がします。今回のお祝い会が終わった翌日に、後輩は参加してくれた一人一人に回ってお礼を言っていました。なかなか若いのによくできると感心した次第で、こうしたお礼をもらうことにより喜んでもらえたと思うと皆も快く思うことでしょう!ところで私の昇任時はそのような会はありませんでした。しかしながら、上司の一人がお祝いの気持にと紅茶をプレゼントしてくれたのを覚えています。私は、こうして一人の温かいお祝いをいただいたのですが、その上司には何も返せていません。お祝いは相互にするものと反射的に思うのではなく、自分がその機会を得たときは、見返りを求めるのではなく、精一杯お祝いをしてあげると気持ちがいいことでしょうね。

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  • 07 Dec
    • 振舞いの変更

      最近、仕事上で折り合いが合わなかったことから、私の方でも苛立ってしまい、相手方にその感情が伝わってしまったかのような表情と言動をしてしまいました。あらゆる場面でよくあることですが、何か自分の領域を侵害されたり、傷つけられたり、理不尽なことと思われる扱いをされたと自分で判断すると、自分では感情を抑えているつもりでも「嫌な気持ちが顔に出ている」などということが多々あると思います。私などは、嫌いな相手(通常、これほどの人は一人いるかいないかですが)に対しては一切の笑顔を見せず、なるべく目も合わさないようにし、言葉も最小限にとどめることが悪い習慣となっています。また、そこまでいかなくとも、何か自分にとって好ましくない状況に陥るとどうしても顔や言葉の端箸が無意識にいつもと異なることでしょう。しかしながら、ほとんどそうした負の表情を顔に出さない人を時折見かけますが、関係の好ましくない人の前であっても、相手に対して不快なそぶりを一切することがありません。おそらく負の感情を言動に出さないようにコントロールできる人は、憎しみや不快感をその瞬間だけ消し去ることができるのでしょう。険悪な関係や不快さなど、そのようなものはまるでなかったかのような顔をしています。現在のこの瞬間を生きているのであり、過去は過去として認識をして、今どうあるべき振る舞いをするかが適切であるかを瞬時に考えているのです。そしてその負の感情を見せない姿は、堂々としていて誇らしげに感じます。不平不満は過去の時間に置き去りにしたままにすることができ、それはまるでその人が浄化作用を持っているように感じられますね。私は常に過去の感情と結び付けて今の行動を選択をしており、それが良い場合であればいいのですが、負の感情を持ち込んで対応を決める癖があります。もし、過去と現在の気持がそれぞれ別の部屋にあるのであれば、それを引き出しから取り出すように、不要な感情は閉まったままにできるとよいでしょうね。できないんですよね。笑顔の練習でもしましょうか!

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  • 06 Dec
    • 恐れないまどろみ

      20歳と半年の我が家の猫は椅子の上の座布団で寝ていたところ、少し体を動かした拍子に座布団が動き、下にずり落ちてしまいました。私はあわてて猫の体を引き上げましたが、その顔を見たところ表情を変えずにまどろんだままでいます。さらに体に力は全く入っておらず、そのまま下に脱力した状態で落ちてしまうところだったでしょう。猫は態勢を崩したり、危険を察知するとすぐに体に緊張が走り、即座に反応するのですが、いつの間にやらうちの猫は全て成すがままの状態になってしまったのでしょうね。今では態勢が困難なのか、お腹を出してあおむけでゴロゴロすることはありませんし、毛づくろいをするこもありません。食事やトイレは自分で行っていますが、頼りないふらふらとした歩き方は年齢を感じさせます。20歳と半年は人間で言うと98歳です。「いいよ、もう何にも恐れることなんてないし、あとは静かに暮らすだけだよ。」寝ころびながら目を細めて体を伸ばしてストレッチしてのんびり過ごしている姿が、そう語っているように感じます。今は体重が少しづつ軽くなり、体が小さくなっているために、だっこはほとんどしません。その代わりに、喉元を撫でてやるのですが、そうすると気持ちよさそうに目を細めて首を伸ばしてゴロゴロと喉を鳴らします。猫が19歳になったあたりからお別れを覚悟していたのですが、今でもその体力は日に日に僅かずつ衰えながらもしっかりと生きています。以前は死んだら悲しいだろうと悲観をしていたのですが、今を懸命に生きている猫の表情を見ていると何かを悟ったかのような顔をしてるので、悲しいというよりもよく頑張っているなと賞賛をしたくなります。猫は若いころから何を言っても分からず、やんちゃをたくさんしてきましたが、ようやく恐れるものなしの堂々たる顔つきをするようになっていたのです。猫は私の家族であり、子供であると思っていましたが、その悟りの表情を見て以来、私よりも人生の先輩であるかのように感じました。「大丈夫、ゆっくり居眠りしているうちにでも旅立つさ。」とらこちゃん、いつの間にやらそんな表情をすることになったのですね。

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  • 05 Dec
    • 努力の天才

      このブログでも時折、一部を紹介していますが、私は美術品や工芸品を観ることが好きで、よく展示会へと足を運んでいます。美しい作品にふれることで心が豊かになるということももちろんありますが、それらの作品から必ずと言っていいほどの大きな刺激を毎回頂いてきています。今回は目黒雅叙園の百段階段にて『神の手ニッポン展』に行ってきました。この展示会は、神の手のような繊細さと高度の技術により生み出された現代日本人による作品群が展示されています。彼らのアートの素材となるものは、紙、ペットボトル、木、卵、動物の皮などで、それらを思いもよらない方法で工夫することにより、想像を絶する芸術を完成させています。ここに展示されていた作品全てに共通することは、いずれも膨大な時間がかけられていて、細かい作業をただひたすら繰り返しつづけるということです。一日に気が付けば12時間以上を作品作りに費やしていたというのは彼らにとっては普通のことであり、それは我々にとっては信じられないような長い時間となりますね。そして一日に費やす時間だけではなく、長いのはアーティストのその作品作りにこだわり続けた年数であり、それは長い年月をかけてその技を究めようとしているのです。素晴らしい作品を作り上げることができるのは天才であるといえますが、それと同様に、あるいはそれ以上に努力という言葉がふさわしいようにも感じられます。幼少の頃からその工作を続けて気が付けばプロになっていた人もいれば、きっかけは二十歳過ぎで開花を遂げ、「遅咲き」と言われる人もいます。無理に努力をしていくというよりは、その根気良さを習慣として取り組むことが当たり前となっていて、長い年月の末に一つの確固たるオリジナリティー溢れる表現方法を完成させたことには、しっかりとした“生”が感じられます。一日一日の努力をどんなに大事にしてきたことでしょうか。ただ華やかで人から賞賛される姿を想像していたよりも、地道な人知れずの努力の時間をいかに重んじていたことでしょうか。作品の美しさはもちろん、それと同時に生きる強い力をひしひしと感じています。私は何事もすぐにあきらめてしまいますし、何か都合の悪いことがあるとすぐにできない理由を探しては言い訳をしています。そんな自分を思い浮かべながら、それらの作品を目の前にして、ただひたすらに感じていました。どんなに苦労の連続であろうと、評価をされずに打ちのめされようと、たとえ年月がかかったとしても必ずやり遂げることが大切であると。神の手ニッポン展場所:ホテル雅叙園東京 百段階段期間:12月24日まで時間:10時から18時まで

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  • 04 Dec
    • 変化した恥じらい

      私は近所の図書館に夜9時の閉館時間までいることが多いのですが、どうしてもお腹が空きます。先日は4回ほどお腹が鳴ってしまいましたが、静かな場所ですので目立ちますね。若いころは、こうしたことは恥ずかしいと思っていたのですが、今は「うるさくしちゃって迷惑かな?」と思う程度です。年齢を重ねると、恥じらうべきところはいつの間にか変わってくるもので、若いころは平気でできていたことが逆に今はできなくなっていることがあります。人は「変わってない」と言えども、確実に変わっているものです。図書館通いは疲れますが、時間のあるうちに少しでもやり残しておいたことをやらないといつまでたってもできないことになります。・・・さて、頑張りますか!

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  • 03 Dec
    • 同じ自分

      とある機会により、母子の胸の内を聞いたことがあります。お互いに不満を持ってる高齢の母とその娘の言い分を、本人のいないところで聞きました。先に母親の話を聞くと、娘は自分を邪魔もの扱いにし、早く死ねばいいと思っているなどと、それは悲観的な会話が飛び出しました。そしてさらには、娘の性格があまりにキツイために夫が愛想を尽かして離婚、その後には実家に出戻りをして以来、自分は落ち着かない日々を過ごしているなどと言っては、その顔に半分涙を浮かべているのです。毎日娘からいろいろと責められて自分の居場所がないとその胸の思いを語られると、相談を受けた側であれば「何と窮屈な、可哀そうな環境にいるのだろう!」と同情をすることだと思います。もちろん、その地点で一方的に母親の言い分だけを信じるのではなく、娘にも同じ分だけあらゆる事情があるのだと分かってはいます。しかしながら、その時は母親の方が私にとって身近な存在となっために、私は完全に心は母親の味方であり、どうすればより心配のないように過ごせるのかを母親目線で考えていたのです。その直後に母親が退出し今度は娘の話を聞くことになりましたが、やはりこれも予想通りの展開となったのです。娘も全く同様に母親に対して不満を抱いていたのです。家事は全て自分がやるし、母親に何か手助けをしてやろうとしてもその気持を受け取ろうとしない、何か事あるごとにチクリと刺すように嫌味を言われる、近所の人に自分の悪口を言いふらしているので困っているなどと、こちらもやはり気は落ち着かないようです。母親のことを考えるだけで悔しくてたまらなくなり、無意識に「くそばばあ」と言ってしまうなどと、困っているのです。娘の話を聞いた後に母親は猫かぶりなだけで、娘はいろいろと手を焼いていて大変だと思うようになり、今度は娘目線でどうしたら改善するのかを考えていたのです。その瞬間に、気が付いたことがありました。この数十分という間で私は一体どちらの味方なのか、そしていとも簡単に心移りしてしまうものなのかということです。頭の中では必ずしも一方だけが正しいということはないという理屈を念頭に置きながらも、私はより親密(この場合は話をした方)な方に気持が傾いてしまい、それは人が変わったように180度ガラリと変化したのです。この数十分の間に、前半は母からは理解者であると感謝を受けたものの、娘からは裏切り者と判断されていたことでしょうし、後半には完全に逆転しているのですが、どちらも私は同じ思考を持った同じ人間なのです。たとえどんなに脳内にはお互いの事情を考慮していようと、結局は情が無意識に動いており、自分がより多い情報を知っている方を妥当と考えてしまう癖があるようです。この考えはしばしば公平性を欠くためにあまり良いとは言えませんが、よくよく考えてみれば悪いというわけでもありません。今回の場合、私にとって母と娘は同じくらいの親しさの知人だったために、どちらかを贔屓する必要はありませんが、自分にとって特別な相手は何が何でも守らねばならない時もあるからです。家族等の大事な人は、ある程度はその者が悪いと分かっていても、どんな時でも味方でなければならないという意思が働きますから、何を優先すべきか考えた挙句の情で動くことも必要なのでしょうね。常に迷いますよ。自分が誰を守り、誰を支えるかによって人が変わったようになることだってあるのですから。

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  • 02 Dec
    • アジの干物

      少し前に、夜勤に従事した同僚から、早朝の休憩時間に上司二人とモーニング定食を食べに行ったという話を聞きました。そこは職場近くの定食屋で、卵かけご飯や目玉焼き定食、納豆定食などのメニューが用意されています。夜勤を終えた同僚と会ったときに、何を食べたのかを聞きましたところ、アジの干物定食を食べたとのことでした。数多くの定食屋でアジの干物定食は朝ご飯の定番ですね。しかしながら、思い返してみても実際に私はここ10年以上アジの干物を朝に食べた記憶がありません。私は焼き魚は好きで夜にはよく食べていたのですが、そういえば朝に食べることはありませんね。朝に魚を焼く習慣はありませんし、またアジの干物は骨がたくさん入っているために食べるのに時間がかかるというのもあるでしょう。私は子供の頃に田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家に行ったときに、ご飯、味噌汁、漬物、アジの干物が朝食に出てきた懐かしい記憶があります。おそらくそれは、子供時代の夏休みの出来事でしたからゆっくりと食事をする時間があったのでしょうね。「魚を食べるのが上手だね」とほめてくれたおばあちゃん、また「お茶碗についているお米はもったいないからお湯でといて食べやすくしてあげる」と世話をしてくれた、のどかな食卓の情景が思い出されます。今の私は、朝ご飯は割としっかり食べてはいますが、ゆっくりと時間をとることはできません。せわしない朝の時間にゆっくりとアジの干物を食べながら過ごすことは一つの望みなのかもしれませね。「上司にご馳走してもらいました!」上司とゆっくりと朝食をともしてきた同僚は楽しそうでしたよ。アジの干物。身をほぐしてきれいに食べるのは少し時間がかかりますが、そんな時間を有意義に過ごすことを忘れていませんか?

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  • 01 Dec
    • 復旧しました!

      パソコンの調子が不調だったのですが、昨晩に色々と試してみた結果、何とか復旧することができました。仕事が終わった後、迷惑と思いながらも夜遅くにパソコンの詳しい友人に相談したところ、インストールしているあるソフトが原因となっているのではないかと想定していたのです。いくつかの方法を試行錯誤しましたところ、そのうちの一つを解決したことにより、ようやく元通りになった次第です。我が社では独自のシステムを用いて仕事をしており、時折ですが調子が狂うと作業ができなくなることがあります。それも私個人というよりは、社員全体がそのシステムを使うことができなくなるために、作業中の仕事が中断されるということも起こります。システムを管理する部署があるのですが、これも原因がはっきりとわからないために、担当者は試行錯誤で大変な仕事だと思います。我々は、「システムが狂っては仕事にならない」とうっかり愚痴をこぼしてしまいそうですが、それは裏の仕事を知らないためにそのように言えるのでしょうね。何かシステムにトラブルが生じるたびに、内部で何が原因なのか、あらゆる想定をしながら復旧作業を行うものであり、いくらプロといえども、複雑怪奇なコンピューターの全てを理解できることはありません。複雑にこんがらがった糸を解いていくようにエラーとなっていると思われる原因をたどっていきますが、果たしてそれが本当に正しいのかも予測でしかないことも多々あります。仮にエラーが解決したとしても、直接手を加えたところが直々な原因であるともはっきとはいえません。パソコンは大変便利ですが、その分複雑極まるので、なかなか扱いが難しいのも事実です・・・。今回は友人に電話でアドバイスを受けながらも何とか解決できたのですが、修正を入れたソフトが直接の原因だったのかは未だに断言はできません。しかしながら、こうして復旧することができたからこそ、こうしてブログが更新できるのであり、普段感じることのない喜びでいっぱいですよ!

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  • 30 Nov
    • ふちょう

      またすこし ぱそこんのちょうしが わるいようです。なおりましたら また かきます。

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  • 29 Nov
    • 愛称に込められた優しい記憶

      ある母親がようやく高校生になったくらいの息子に、今まで通り、「ヒロくん」と呼んだ時のことです。それは人前で子供の頃からの愛称を呼んでしまったときのことで、息子は後から突然、「その呼び方やめろよ!」と怒ったそうです。子供はいつまでも子供のままではありませんので、名前の呼び方にも敏感になり始め、そんな子供のような愛称では恥ずかしいと思うようになることがあります。その一方、母親はほとんど成熟しきっていますので、子供ほどの早いスピードでの成長はしませんから、うっかりしていると子供はいつでも昨日と同じままであると認識しまいがちになります。母親からすると、子供の頃からずっと呼んでいた愛称は人によっては大切な言葉であり、その言葉を口にするたびに非常に優しい調子を帯びることがあります。その呼び名の中には幼いころ一緒に遊んだ思い出や、いつまでも自分のもとにいるような意識が組み込まれ、懐かしい記憶が含まれているのです。しかしながら、いずれは子供は成長とともに母親の知らないところで、いつの間にやら昨日とは違うことを経験しているものであり、気が付けば別の考え方、生き方をしていきます。子供は自分の社会を築いていきますから、そのような昔の愛称は今の自分にふさわしくないと思うのでしょうね。子供が愛称をいやがるのも一つの母子の関係の変化であり、よく言えば成長ともいえますが、母親にとっては自分のもとを少し離れてしまうようで寂しいと感じるかもしれません。この話をしてくれた母親は少し涙が出るほど寂しい思いをしたそうですが、その気持ちもわかるような気がします。私も昔は、「アキちゃん」の愛称で呼ばれ、そしていつの日かその呼び方が恥ずかしいと感じるようになりました。今はもう、母親はそのような呼び方をしてくれませんし、これからもずっとないでしょう。でも、子供の頃の愛称にはいつまでも優しい記憶が残っており、私も母も同じように感じているはずだと思います。

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  • 28 Nov
    • 眠り

      ここのところは疲労が続いているために、些細なことでも疲れやすくなっています。外気の寒さは体を凍り付かせ、手足をかじかませ、その気温に体がうまく適応できずに、だるくなったり頭痛がしたりします。そして突然のごとく襲って来るものは激しい睡魔です。朝は早く起き、夜は遅くまで起きている日が続いていると、寝床に就いたときに迎え入れる睡魔にはこの上ないほどの幸福感を感じます。布団が私を包み込み、全てを受け入れてくれる優しさを示してくれて、まるでそれは日常のストレスや嫌なことからついに逃れた、という気にさえさせてくれます。それは布団の中にとどまらず、ほっと一息ついて座った時にさえもその睡魔は襲い掛かります。決して眠らないようにするつもりでただ目を閉じただけなのに、気が付けば本当に眠っていることがあります。電車の中、映画館の中、さらには職場の休憩室で居眠りをしてしまい仕事始まりの一分前に目覚めて驚いたことさえもあります。先日は美術館の中で立っているにもかかわらず、睡魔に襲われて倒れそうになりましたが、その時に、「作品の前に倒れて損傷させてしまえば一生働いても返せないほどの弁償額になるな」などと思いながら一生懸命起きていた記憶があります。このまま寝入ってしまうことができればどんなに気持ちがいいだろうといつも思いますが、眠りとは私にとってまるで夢物語のように他なりません。眠りは全ての苦しみや悩みを吸収してくれ、そこに避難場所があり、さらには精神、肉体ともに回復させてくれるのです。眠り。数か月前は心配事や気になることで眠れない日々が続き、眠りを苦痛の長い時間と感じていたのに対し、今では眠りに全て身を任せ、まるで楽園への入り口であるかのようです。疲れれば疲れるほど気持ちよく、むしろ気が付いたら眠ってしまっているほどであり、そう考えると決して疲れも悪くはないと感じています。朝目が覚めると携帯の時計はいつも5時を示しています。ご飯を炊いてお弁当を作って起きないと間に合わない…。さて、次のお眠りの時間はいつだろう。今日の夜には再びお楽しみの眠りの時間に出会えるだろうな。

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  • 27 Nov
    • 野菜入りオムレツ

      昨日、ついにIH対応のフライパンを購入しました!さっそく新しいフライパンで鶏肉を焼いて、クリームシチューを作ったところ大変美味しくできました。フライパンもそろいましたので、これでますます料理の幅が広がりますから楽しみですね。数日前に鍋でオムレツを作った際、やはり上手くいかずにスクランブルエッグのような仕上がりになりなってしまいました。※フライ返しもありませんでしたので。玉ねぎ、にんじん、キャベツを混ぜたオムレツのはずだったのですが、見事に別の料理になりましたね。私はこの野菜入りオムレツは昔によく作っていたもので、それは私がヘルパーの仕事をしていた時に覚えました。子供時代を海外で暮らしていたという90代のある利用者さんは、朝食には必ずオムレツを食べる習慣があったのです。オムレツにパンと紅茶のメニューがほとんどで、調理の援助をしていた私の仕事はまずはオムレツを作ることでした。炒めた玉ねぎとジャガイモ、それからほうれん草などの余った野菜を卵に混ぜてフライパンで焼くというシンプルなものですが、この仕事にはコツがいるのです。その利用者さんの希望は四個の卵を割り大きなフライパンで焼くということですが、私にはそのオムレツを上手にひっくり返せたことがありませんでした。ひっくり返す際に、必ず卵が二分割され、酷いとスクランブルエッグ状態になっていたものです。「ベテランのヘルパーさんは上手くひっくり返せる人もいるのよ。あなたもできないけど、私ももうできないから同じね。形はどうあれ、美味しくできていますよ!」私は家でその提供しているオムレツがどんな味がするのか自分で作って食べてみることにしました。※卵はもちろん一つにして作りましたから、失敗はありませんでしたよ。すると、今まで自分が作ってきたオムレツよりも美味しく、それ以来私のオムレツの定番となっています。それからしばらくして家族にも振舞おうと卵を四つにして作ってみたのですが、やはり失敗です。失敗しても味は美味しい、このオムレツを作る際には、その利用者さんの顔が今でも思い浮かびますね。「この小さいスプーンはスペイン語でクチャリータっていうのよ。でも、さすがにこの年になるとスペイン語は忘れるわね。私は子供の頃は日本語は一言も知らなかったけど、今ではすっかり日本人です。」その利用者さんの家はどこかいつも外国の空気が流れていました。さあ、私もフライパンを新調したことですし、見栄えのよいオムレツを作りますよ!

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  • 26 Nov
    • ゴッホ展 ~憧れの日本国~

      昨日は現在、東京・上野で開催されている『ゴッホ展』に行ってきました。ゴッホと一言にいいましても、今回は『巡りゆく日本の夢』、彼がいかに日本への憧れを描き、それがどのように絵画に影響を及ぼしたのかということがテーマとなっています。今回の展覧会は我々日本人にとって嬉しくなるような企画であり、極端に言うと、ゴッホと日本は切っても切れない深いかかわりがあると言っても過言ではありませんね。19世紀中頃以降から日本美術(浮世絵や工芸品等)がヨーロッパで流行し、当時の西洋画形に大きな影響を与えています。中でもゴッホは日本を愛した画家として特に有名ですね。ゴッホは生涯日本に行くことはありませんでしたが、浮世絵はもちろん日本を題材にした小説、日本を知る人から話を聞いたりなどと、それは熱心にコレクションや情報収集に勤しんだそうです。それらの情報をもとに、独自の想像による日本世界を構築したといっても過言ではありません。遠い異国の地の日本へは行けなくとも、彼の想像の国により近づいた街が南仏のアルルであり、そこで創作活動をするための拠点としていました。「この地方は、空気の透明さと明るい色彩効果のため、僕には日本のように美しく見える」我々日本人からすると、少し照れくさいような気もしますね。果たして本当に日本ってそんなに素晴らしいのかと改めて思い返すほどの絶賛とも言えますが、それはゴッホの思い描いていた国であるからと考えるとうなずけます。ある国(土地)に対して何らかのきっかけで興味を抱くと、その地名の名前はその人にとって良い響きがするものとして認識されます。例えば、子供が美味しいパスタを食べて、イタリアという国を初めて知った時に明るい太陽と温かく陽気なイメージが頭に刻み込まれ、その地名に陽気さが自動的に結びつくようになります。そして最初は淡いイメージであったものが、やがては強い憧れへとなり、いつかそこに行って見たいと願うようになるのです。決して憧れの地に行くことのできなかったゴッホですが、彼の日本のイメージは実際に行った経験のある人よりも、はるかに成熟していて、その思いは強いことがうかがえます。経験こそが人生の役に立つと言われることがありますが、しかしながらこのゴッホのような自らの想像力のみで日本という国を作ることができる才能のある人は、それだけオリジナリティー溢れる素晴らしい作品を世に残すことができたのでしょうね。今回の展覧会の見どころは花魁の姿を油絵で描いた作品で、その元となった渓斎英泉の浮世絵と併せて観ることができますよ!「ああ、日本だな」と純粋に嬉しくなるような作品が揃えられてあり、作品を見終えた頃には少しだけ日本が誇らしく感じるかもしれませんね。ゴッホ展日時:1月28日まで場所:東京・上野東京都美術館時間:午前9時30分から15時30分まで

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  • 25 Nov
    • 沈黙

      相手にメッセージを送ったものの、返信が返ってこない場合があります。三日たっても、一週間、一か月が経過しても、一向に返信が来る気配がないなどということを経験された人は少なくはないでしょう。気になる異性にお誘いメールを送ったところ、無視されたために攻撃に出たという事例をききました。「無視しやがって!馬鹿にしているんだろう!」その誘いを受けた女性はほとんどその男性とのつながりがなかったために、また、そこまで深い関係にはなれないと敢えて返信しなかったのかもしれません。しかしながら、実際のところ返信をしない人の考えは誰にもわかりません。単に忙しかっただけかもしれませんし、もう会うことはないと思った相手であったために“無視”をしたのかもしれません。今回のような事例は、沈黙は一方的に押し通されると狂暴な気持ちに変化するということを示してくれました。メッセージを送った男性は最初はどんな返事がくるのかと淡い期待があったのかもしれません。しかしながら返信が来ない間に相手は待たされている場合があり、それが待つ側の不安を増大させます。大抵の場合、敢えて返事をしない相手は深く考えていないケースが多いのですが、待つ側としては「自分は無視されているのか」「馬鹿にされているのか」といった攻撃性のものから、「自分の何がいけなかったのか」とその原因を探ろうとしたり、非常に耐え難い気持ちになることがあります。気になる相手からの沈黙を受けることは苦汁であり、このまま時間だけが過ぎ去ると相手との隔たりが広まってしまい、それを何としてでも接近させようと強い衝動に駆られるのでしょうか。それにしても沈黙の効果は想像以上に相手に何らかの衝撃を与えることもあり、注意しなければならない場合もあります。自分の思うとおりにいかない際には言葉によって相手を威嚇するだけならまだしも、中には身体的に危害を加えたり、さらなる精神的ストレスを与えてしまうほど相手を追い詰める暴言にまで至ることもないとはいえません。沈黙には物凄い力があります。沈黙の裏を探ろうとして、なぜそうなったのかをあれこれ想像していくうちに相手の予想だにしていないストーリーを生み出し、暴走してしまう場合があるかもしれません。沈黙。特に異性間についてはとてもデリケートなものなのです。

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  • 24 Nov
    • 寒いですね

      おはようございます。今週、東京では真冬並みの寒さの日がありましたね。私は寒さに弱いので、体がおかしくなりそうです…。困ったことに、私の職場では12月になるまでは暖房が入らないのです。光熱費削減のためでしょうが、これでは寒くて体がおかしくなりそうですし、また仕事の効率も悪くなりますね。それならばたくさん着こむのがよいかと思いますが、我が社にはいろいろと服装規定がありますから、着ぶくれはよいものなのかと疑問に思ったりしています。先週に風邪を引いたばかりですが、またぶり返さないように気を付けます。皆さまもお気をつけて!

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プロフィール

アッキー

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東京都

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