黄昏る、と言う行為には、若干のナルシチズムが付き纏う気がするが、思わず黄昏れてしまう時と言うのがあって、そんな感情を引き出されてしまう様な場所や時間が好きだ。
だから、わざわざ海に行って堤防に座り込み、水平線を眺める午後4時、なんてのは黄昏道(?)においては邪道なのである。笑
黄昏は、日常に紛れ込んでいる事が大事。
夕暮れ時の寂れた商店街を歩いている時なんかは、まさに黄昏の連続である。
そこで沸き起こる感情は、そこはかとなく、様々な物語が脳内を駆け巡る。
これがまた、ヒカリエなんかだとそうはいかない。
オシャレな場所は黄昏を許さない。
刺激はあるが、黄昏はない。
黄昏は有機質、オシャレは無機質なのである。
黄昏時なんて言葉があるが、この時間帯は、昼でもなければ、夜でも無い、非常に曖昧なものだ。
明るくも無ければ、暗くもない。
寂しくはあるが、泣く程でもない。
この曖昧さが、何とも独特な感情を生むのだ。
僕が音楽を創る上でも、この【黄昏】がもたらす感情を表現すると言うのは、大きなテーマの一つである。
パキっとした激しい感情の表れは無いけれど、何となくそこにずっと浸っていたくなる様な、メロディ、コード、、、
思えば、黄昏ってやつは、日本人らしい感覚だ。
情緒、侘び寂び、黄昏、、、
曖昧だけど、素晴らしい。