銀婚式 描いていた夢がビビッと降りてきた!2 | 自分にときめき しなやかな心で リスタート♪

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こんにちは
銀婚式シリーズも4回目。

前回は、観光地のひがし茶屋街で花嫁さんを見たことと、友人の披露宴での花嫁さんの輝きをみたことで、女性がキレイになれたのは自分が主役になれる結婚式だったことを思い出し、銀婚式が近い私は、女性の輝きを取り戻すきっかけに、銀婚式はとっても良いと思い始め、また
銀婚式は、他にある私の思いの実現にも繋がっていたのでした。
という形で前回は終わりました。


さて、私が思っていた他の想いって何だったのでしょうね?

家族の繋がりというものに、けっこうこだわっている私。
その思いが生まれたのは、自分の生い立ちがから。

商売屋で育った私の家庭は忙しく、バラバラでした。
それでも小さいころは、家族でお出かけをする日もありました。
しかし、父の仕事を母が手伝っているうちはよかったのですが、
父が怪我をきっかけに、父は他の仕事をしだし、母がもともとの仕事をメインにやりはじめました。そして、次に祖父がやっていた仕事まで母が引き継いだのです。
朝の早くから夜の遅くまで、仕事2つと家事、子育てにいそしむ母。
財力を持ち出した母は、父とけんかする事もかった。
いや、父が母がこれだけ頑張っているのに、労をねぎらってなかったのもいけなかったんだろうけど。

そんな母を少しでも楽にしようと、手伝い 心配かけないようにしてきた私。父の愚痴も聞き、母の愚痴も聞き。
なんとかならないかと頑張ってきた。

そんな父と母をみて、結婚願望なんてありゃしない。
そんな幼少からの関わりで、認めて欲しい・振り向いて欲しい感MAXの私は、家の手伝いをしながらも、脱線の道にも進んでいく。
でも、無駄な抵抗だとわかって、脱線するのは性に合わないのでやめた。

あ、話も脱線してきたね。

そんな、私はひょんなことから結婚をすることになった。
夢も希望も無いから、結婚生活は思ったより快適だった。
家事全般も自分がするもんだとおもっていたし、外で働くことも当たり前だと思うし、女性も一生働くものだと刷り込まれているし、とりあえず旦那は同じ年でまだ大人になれていない人だったけど、やさしかったから続けて行けた。
そのうち子どもができて、私がすべてを抱えてパニクッていても、旦那は何することもなく、自分の道を歩んでいた。
そんな姿に腹立ちながらも、こんなもんやろと思っていた。

それが、子どもが増えたり、いつめでもわが道の旦那、お姑さんと育児の方針のずれで言われっぱなしの私を、守ることも助けることもできない旦那など いろいろありしかしお金に細かい私は、子どもがおおきくなるまでガマンできる自信もありで、爺になったら別れると心にちかっていたのでした。

そんな思いをしながらも、自分の両親の反面教師でよい家庭を作りたかった。
子ども達には
「お父さんが、働いてくれているからご飯が食べられるんだよ」と何かを買う時も「お父さんに聞いてから」 旦那の悪口はぜ~たいに言わなかった。

そんな家庭。
それが私の精神的な病気と3番目の出産によって大きく変わった。

家族みんなで、支えてくれる。
3番目の出産で家族の和が深まった。

180度私の想いが変わった。

今までの感謝と言いたい。

天皇皇后両陛下の時のように
「感謝状」や「努力賞」のようなものを渡して
感謝を伝え労をねぎらいたい。

そう、銀婚式でそれをすればいい!
そうだ、銀婚式で、子ども達にも生まれてきてくれてありがとう!っ手言えばいい。

父と母の関係が反面教師になったおかげで、結婚が続き、子どもとの和もできた。そんな父・母にもお礼を言わなくちゃ!

そんなこんなで、私のおもっいた思いを実現してくれるのが、すべて銀婚式に結びついていったのです。

つづく・・・。