早大合格への道5 | 昭和・足立区DAISUKI!

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生まれも育ちも足立区。
昭和から60年暮らす足立区が好き!!

昭和を振り返り、生涯で忘れられない受験生活。
苦い経験を先月から語っております。
それでは続きです。

高校での三年間、楽しい思い出はまったくありません。青春のしの字もありません。ひたすら悩み、苦しみ、学習に勤しみました。
毎日朝8時に家を出て自転車で15分走り高校へ滑り込み、授業を受けた後帰宅。宿題、復習、予習、そして受験勉強を深夜まで。この繰り返しです。

昭和55年、1980年の暮れに、一期校二期校の制度から変更されて始まった国公立共通一次試験の第三回の受験の申し込みをしました。
というのも当初、うちは貧乏なので私立大学はダメ、東京都立大学が第一志望だったのです。
年が明けるとすぐに試験日。私は山手線大塚駅から徒歩の都立文京高校で二日間受験しました。

結果はやはりサッパリでした。
自分の解答を書いた問題用紙を持ち帰り、新聞に書いてある正解と照らし合わせると、1000点満点で617点。これでは話にならない、100点は足りません。
自己採点するまでもなく、受けた感じで既にわかっていましたから、文京高校を去る時に、また来年だなと覚悟していました。

国語でも英語でも文章を読んで長く感じるし意味がよくわからない。単語は難しいし、設問もたくさんで難しい。これではあかんと感じるはずです。
意外にも数学こそまあまあでしたが、社会にしても理科にしても訳のわからない問題がたくさんあるのですから良い点数を取れるはずがありません。
とにかく試験勉強の絶対量の不足、時間切れといった所でした。高校入学から必死にやっていればとも思いましたが、浪人した経験から言いますと、高校のレベルや勉強法などの問題もあり、現役合格は難しかったのではと思います。

また、はなから私立、早稲田にしぼって英・国・社の三科目にしぼって勉強していれば、とも思いますが、まさか早稲田に合格するとは夢にも思わなかったし、とにかく都立大希望でしたので、嫌でも五教科七科目を勉強せざるをえないという苦しい事情があったのです。

1981年2月、法政の経営と早稲田の商学部を受験しましたが、まったく歯が立ちませんでした。
そして3月、目黒区八雲にあった東京都立大学の二次試験を受けました。


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