早大合格への道4 | 富良多慶喜の部屋

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昭和を振り返り、生涯で忘れられない受験生活。
苦い経験を先月から語っております。
それでは続きです。

三年生になり、クラス替えで3年B組となって革命が起こりました。男女クラスに変わったのです。
中学校以来2年ぶりに女子の目があり、男ばかりのお気楽は通用しません。
一方でこちらはブランクがあり変に意識してしまうし、学習に集中しなければならないし。思春期の男子には心が揺れる材料があり過ぎでした。結局まともに会話をしないまま卒業しました。甘くて良い思い出、経験はまったくありません。

さて、文系選択ということで授業では数学と理科から解放されましたが、日本史と政治経済をみっちりやらねばなりません。そして百人一首を全部覚えろ、長恨歌を全部暗唱せよなど、いろいろノルマが与えられ、なかなか受験勉強に集中できません。

そんな中、いよいよ国公立共通一次試験受験のための選択科目を決めなければなりません。どれも自信がなく、科目についてよくわからないまま、社会は暗記の多い歴史を避けて地理と政経、理科はよせばいいのに物理と化学にしました。
これが後に失敗、遠回りで悔やむことになり、非常に大切なポイントだったと痛感しました。

三年になると授業はそこそこにして受験対策をしたいのですが、そこに立ちふさがったのが日本史でした。これは暗記量が多い。
毎週豆テストをし、名前公開のランキングを出してプレッシャーをかけられると、当初はいい加減でいいやとたかをくくっていた私も、途中から気合を入れ始めざるをえなくなりました。
最初サボったためだいぶ出遅れましたが、途中から巻き返し3位まで上昇。結局このおかげで、浪人した時からは地理をやめて選択科目にしたのです。

夏になると旺文社の模擬試験を高校の食堂で初めて受けました。これがひどい成績で、やはりいかんと思いましたが、この遅れはまだ当分追いつけません。
ちなみに旺文社の試験は、予備校の試験と比較すると簡単だし、母校で受けていては修行になりません。こんな甘い世界ではないのですが、当時は井の中の蛙で気づきませんでした。


厳しい毎日の清涼剤はラジオの深夜放送でした。
タモリのオールナイトニッポン、吉田照美のセイヤング、野沢那智・白石冬美のパックインミュージック、そして日曜深夜にノイズの中から聴こえてくる、ラジオ大阪の鶴瓶・新野のぬかるみの世界。毎週欠かさず聴いていました。
これらは実に楽しい。
今でも鮮明に記憶している宝物の時間でした。
芸能界では松田聖子、河合奈保子がデビューしたのです。

那智チャコの金曜パックは大学に入った1982年に番組ごと終了させられてしまいました。これはTBSラジオ最大のチョンボだと思います。
その後二人は文化放送夕方の番組を担当するのです。



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