ちょうど私が気になっていた問題が、タイミングよくウィングメーカーさんの記事に浮き彫りにされていましたので、こちらにもご紹介させていただきます♪

ありがとうございます!



「ヴィジョン8」【シリウスの癒し(天の知を説く声のブログ)】様より、一部字体などに変更を加えて転載(ウィングメーカーさんのご感想だと思われる部分は紫の字に編集してあります)

http://ameblo.jp/wingmakersiriusu/entry-12017098271.html




今回のテ-マはヴィジョン8です。

今回もヴィジョンの感想です。


ヴィジョン―次元のベールを超えて見た地球の未来 (5次元文庫)/徳間書店

¥905
Amazon.co.jp

ちっぽけな偏見や批判でエネルギ-を消耗してはならない


今度は霞のような薄いベ-ルが現れ~

ネイティブアメリカン、環境保護主義者、神学者、宗教のリ-ダ-、
・・・地球を救おうとしているリ-ダ-達だった。

問題は彼らがどこへも向かっていないということなのだ。
誰かが先頭に立って進もうとすると、政策についてほかの人々と
討論したり、別の人々が主張する流れや戦術に異論を唱えたりするのだ。

そのあいだも、向こうの方で戦いは激しさを増していったが、彼らは
自分たちの論争に忙しく、まったく前に進むことができなかった。

・・・・すばらしい環境保護団体が、仲間内で権力争いをして、リ-ダ-シップを保つことができずにもがいていた。

また、人々が巨大なエネルギ-がそのような団体や個人を批判したり、対立したりして失われていくのを目の当たりにしてきた。

そのあいだずっと、地球を救うという戦いは忘れ去られ、論争だけが
まるで大きな戦いのために人々が立ち上がったしるしのようになってしまう。

同じ事が偉大な宗教にもあてはまった。

世界の平和や飢餓やスピリチュアリティ-の問題点を話し合うのではなく、ほとんどのエネルギ-が権力闘争やお互いを弾劾するために使われている。

何かが行われたとしても、全体の幸福のためではなく、プロパガンダや
他のグル-プに対する優勢を示す事の方が多い。

夢中で戦闘に向かうときは、確かにそれぞれの戦士たちがぶつかり合うことだってあるだろう。しかし、彼らの主な目的は戦闘に勝つ事なのだ。

だとしたら、戦いが終わるまで、論争や偏見は脇に置き、取るに足りない差異などわすれるべきなのだ。

分裂と征服の古い戦術がそのまま使われていたから、母なる大地を救う大きな戦闘は失敗に終わってしまう。



ん~・・・たしかにそうです。

大きな目的・・・地球を救う・・・という大目的を忘れ、小さな事、ささいな違いに意識を集中し、争っている・・・

まさにそうです。なるほど。


私たちの敵は、とても獰猛な戦闘員なのだ。
無知と欲で地球を破壊しているだけではなく、個人の戦争における心理的なパワ-や欲望や栄光をうまく利用して、戦闘に向かう戦士たちを攪乱しているのだ。

このような状況のばかばかしさは火を見るよりも明らかだ。

もし彼らがいっしょにちからを合せて戦う事を学んだら、戦いはずっとになる。

人々は思考や全体の意識や目的や愛を団結させるべきだ。
それこそもっとも強力な武器なのである。


ん~そうです!いい!とても素晴らしいナイスな意見です。
私も同意見です。


子供たちは泣き叫び、飢餓が蔓延し、水や食料を巡る争いや殺戮は
当たり前のようになっていき、川は油のように流れ、ハエやドブネズミが死んでいる・・・


そんなヴィジョンを見る事になります。

・・・そして・・・ついに地球は大噴火を起こし、大地を真っ二つに割って、ぽっかりと開いた裂け目の中に残りの人間たちを飲み込んでいった。

すると、地球は人類の夜明けのときと同じ原始的で神秘的な姿に戻っていた。

人間が生み出した社会のガンはすべて消え去った。山に向かったちいさなグル-プを除き、地球は自ら粛清したのである。

・・・ハンクウエスルマンのスピリットウォ-カ-と同じようなヴィジョンですね~。
やっぱり・・・という感じで読みました。


では・・・我々には何ができるか?
・・・答えはただ一つ。我々にできる事から始めること。


それだけではないだろうか?
・・・そのように思いながら
本を読みました。見えるゴミを拾う事。タバコのポイ捨てをしない事。
・・・そんな事から始めよう・・・と思いました

昔、社会が私や友達に教えたように、子供たちはもっとも多くの人々が歩いている道の上に立たされ、まやかしの目標を追い「こうすべき」という外部の指示に従って生きていた。

人々がそのような目標の奴隷となり、社会が求める人間になるために、心の奥底に持っていた想いを捨てていくのを目撃した。

多くの人々が金や権力や名声やお金で買える宝に首をつながれ、嫌いな仕事をしていた。

好きになれない人生を送り、不機嫌な表情で仕事に向かい働いて、急いで家に帰ってきて、テレビを観た。

毎日がその繰り返しなのだ。

子供たちの遊びは、やがてパ-ティ-や、バ-やナイトクラブ通いや、
スポ-ツ観戦や、ちょっとしたレクリエ-ション活動に変わっていく。

そして彼らは相変わらず、まったく同じル-チンを繰り返し、深い轍に
入ったまま、娯楽さえル-チンになってしまうのだった。


・・・まったくその通りです。
見事な表現です。


私は創造の知恵を通して、人間は本来たった四つの仕事をするために生きているということを学んだ。

それは”平和” ”愛” 喜び” ”生きる目的” でいくら外に求めても見つける事はできない。

それは、心の中に見出すものなのだ。

・・・とってもシンプル且つ、パワフルな言葉ですね~。

心の中の・・・平和・愛・喜び・生きる目的ですか・・・

ん~・・・考えさせられます。

・・・という事で今回でヴィジョンの感想は終了です。

どうでしたか?

とっても素晴らしい本だと私は思いました。

是非買いたい・・・と思わせる一冊でした。

素晴らしい本との出会いに感謝、感謝。





(引用終了)




***********



【コメント】

先日、気がついたら近所のママ友でアノニマス友達の女性のFacebookが一時閉鎖?されているのに気がつきました。

そのすぐ後、彼女にあった時に理由を聞いたら、彼女が管理している活動家のFacebookページ上でどうしても細かいところで争いが絶えず、うんざりしてしばらく休業していると話していました。

その前から彼女のそういう愚痴っぽい投稿も増えていたので、なるほど!と思ったのですが、そういえばそこだけでなく、同じような事象が最近あちこちで見かけられるように思われます。

もちろん、今まで生きてきた人生の経験も知識も情報も異なる人間とは、異なる意見を持っていて当然かとは思いますが、そういった意見の異なる相手に対して、人格攻撃としか思えないような、議論にもならないような点で個人を批判をするのは、自分がすっきりするだけで争いを悪化させ、お互いのエネルギーを消耗しあうだけでとても建設的とは思えないんですよね。

アノニマスの内部でもそういった事情で分派したり、あるいは著名な「陰謀論者・革命家系」の中でも派閥争いのようなことが起きていたりしています。日本でもよく見かける光景かと。

わかりやすいところでデイビッド・アイクとラッセル・ブランドを例に挙げると、ラッセルブランドなどは、たまにデイビッド・アイクのサイトを引用したりするなど敬意というか信頼を見せている感じなんですが、その一方でデイビッド・アイク自身は自らのサイトでは、ラッセル・ブランドに対して批判的な記事ばかりを掲載しています。

たしかにラッセル・ブランドには暗い過去があるのはほとんどの人間が知っており、コメディアン時代の人気(不人気)と合わせ、その理由もあって世界中で彼の存在をめぐって大論争が起きています。

ただ、ラッセル・ブランド自身もそういう状況を熟知した上で言っているように、「メッセンジャー(自分のこと)よりも、メッセージ」の方が重要で、ましてやただの人格攻撃なんて時間とエネルギーの無駄に思えて仕方ありません。

カルトの教祖様じゃあるまいし、彼を100%信じて崇拝している人がいる場合には、彼の「出自」はたしかに重要になるのかもしれないですが、ただの情報提供者、思想家としてはそのメッセージがよければOKかと。

誰についていくかよりも自分がどう考え、どう行動するか。
本当にそれしかないですね。

人間が癖のように闘争し合ってしまうのって、闘争本能というものなのか、後天的にテレビや教育などによって植えつけられたものなのか、あるいは「悪魔の星、サターン(土星)」のアンテナからそういう邪悪な想念が送られてきているのか私にはわかりませんが、

細かい点や自分のプライドなどにこだわるあまり、あるいは条件反射的に攻撃的になったりなどで大局(最終的な目標)から意識が逸れては、まさに「彼ら」の思うとおりになるかと。分離して統治せよ、の実現を促しているようなものですし。

「全員がまったく同じことを考えていて、意見が完全にぴったり」なんて想像しただけでも気持ちが悪い世界ですが、考え方などの多様性をそのまま受け入れ、お互いが強い分野でサポートしあっていければ最高だと思います。

そして自分の考えは正、それに反するものはすべて誤りという考え方は、おかしな方向に持っていかれたりすると、最終的には戦争などにつながるかもしれません。

ただ、人によってはやっぱり自分にとってどうしても譲れない点があったりもするでしょうし、その日の気分によっていつもよりも感情的になりやすいこともあったりで、やっぱりその辺が課題なのかもしれないですね。

私もたまにそんな気分になったりもして、反省していますが(>_<)