「お金を一切使わずに生きる男の話」

(The man who lives without money)


【Natural  cures not medicine】http://www.naturalcuresnotmedicine.com/2013/10/the-man-who-lives-without-money.html  より翻訳


(写真:WOLNY I  BEZTROSKI? CZY    DA SIĘ ŻYĆ BEZ PIENIĘDZY?

(写真: banoosh.com




収入、銀行口座に出費を一切使わずに生きようと試みた男がいる。マーク・ボイル(Mark Boyle)というアイルランド人だ。実際にやってみた彼の感想はこうだ。



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7年前、私は学生で経済・経営の学位を取得する最後の学年にいました。もしその当時、誰かに「今からお金なしで生活するように」などと言われたら、おそらく電子レンジでチンしたお弁当を吹き出していたことでしょう。


当時の予定では、「良い」仕事に就いて、稼げるだけ稼いで、自分が成功者であることを見せびらかすためのものを買うことでした。


実際、しばらくの間は、そうしていたのです。大手のオーガニック食品企業を経営し、ハーバーには自分のヨットを持っていました。たまたま「ガンジー」というビデオを買ったのですが、そうしていなかったら今も同じように生きていたでしょう。私はそのかわりに、この15か月間、1ペニーもお金をつかったり受け取ったりしていません。ゼロですよ。


ある日の夜、そのヨットで、友人とメルロー・ワインを飲みながら哲学的な話をしていた時に、人生の方向の変化が起こりました。私はマハトマ・ガンジー師の「見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい(be the change you want to see in the world)」という名言にかなり影響を受けていたのですが、その時までその変化が何なのかまったくわかっていませんでした。


私と友人は世界の大きな問題のすべてについて話し始めました。環境破壊、資源のための戦争、工場のようなファーム、労働搾取工場での労働などについて話しているうちに、このような問題の内で、自分達の時間を捧げるのは何が一番いいか、思索していました。


私達が何か変化を起こせるなんて考えていたわけではありません。ひどく汚染された大洋の2滴の小さな水滴に過ぎませんから。


しかしその日の夕方、私は認識に至ったのです。以前はこれらの問題点に関連性はないと考えていましたが、そうではなく、根本的原因は同じなのです。


何かを買った時に、他の人達にどのような直接的な影響があるのか、見ることができなくなっています。物を買うことによって環境や動物にどのような影響が与えられるか、これが上記の諸問題を結び付ける要因になっている、と私は考えています。


現在、消費者と消費されるものの分離の程度があまりにも拡大してしまったため、私達が買うモノに具現化された環境破壊の程度や悪影響について消費者である私達はまったく気がついていない、ということになります。


他者を傷つける原因になりたいなどと考える人は、実際のところほとんどいません。ほとんどの人は直接的に他者を苦しめているなんてまったく思いつきもしないだけなのです。この消費者と消費されるものの間の分離を可能にしたツールはお金です。特に国際化(グローバル化)された形式のものです。


例えば、こんな例があります。私達は3分の1の食べ物を無駄にしていますが、もし私達が自分で栽培すればこんなに食べ物を無駄にすることはないでしょう。

もし私達が自分でテーブルや椅子を作ったとしたら、お部屋のインテリアを変えた時に捨ててしまったりしないでしょう。

もし私達が自分で飲料水を浄化させているとしたら、おそらくその中にウンチをしたりはしないでしょう。


なので、もし私が見たいと思う世界の変化に自分がなろうとしたら、残念ながらお金をギブアップしなければならない、ということだったのです。最初は一年お金なしで生活することにしました。


そこで、サバイバルに必要な最低限の物のリストを作りました。

私は食べるのが大好きだったので、食べ物は一番に来ました。ただで食べれる食べ物には、四つの柱があります。狩猟採集、自家栽培、物々交換に残飯ですが、大量にありました。


第一日目、残飯や探し出してきた食品で、150人の人に3コースの食事を提供することができました。しかしこの一年のほとんどは自分の作物を食べてすごし、残飯は食事の5%ほどにすぎません。天気がいい時も悪い時も、外でロケット・ストーブ(訳注:移動のできる屋外用の調理器)を使って料理しました。


リストの次にあがったのは住処です。Freecycle(訳注:無料で不用品をあげたりもらったりできるサービス)でキャラバンを手に入れ、私がボランティアの仕事をしていたオーガニック農園に停めさせてもらいました。電気の供給網に頼らなくてもいいような装備を備えたキャラバンです。


私のつつましい住まいの暖房は、刈り取ったり、あるいは拾ってきた木材を使い、古いガスボトルで作った暖炉にくべ、排泄物を堆肥にできるトイレで自家栽培の野菜の肥料にしていました。


川をお風呂にし、歯磨きには、洗ったコウイカの骨とフェンネル・シードを使っていました。ビーガンとしては異常な行為なんですけどね。

トイレットペーパーには近所の新聞などのある小売店から新聞紙をいただいて使っていました(一度、私自身の記事が掲載された新聞でお尻を拭いたことがあります)。二枚重ねの上等なトイレットペーパーではありませんでしたが、すぐにそれが普通になりました。


周辺の移動には、自転車やトレーラー(被けん引車)を使いましたが、55km先の都市まで行くのがフィットネス・クラブ通いの代わりになりました。灯りにはビーワックスのキャンドルを使っていました。


私に反資本主義というラベルを貼りつける人は多くいます。しかし、限界のある惑星の中で、無限の成長を必要とする資本主義は根本的に欠点のあるものだと考えている一方で、私は何に対しても反対しません。


私は自然に賛成し、コミュニティーに賛成し、幸せに賛成します。もし、現在の大量消費や環境破壊が幸せをもたらしたとしたら、いくらか意味もわかるんですが、ここが私にはわからないところです。


しかし、不幸せ感を示すモノ、つまりうつ病や犯罪、精神疾患、肥満や自殺などは上昇し続けているのです。お金がもっとあるように見えますが、お金によって幸福感が増しているわけではないのです。


そして皮肉なことですが、この一年は私の人生でもっとも幸せな年であることに気がつきました。


今までよりも地域社会の中に友人ができ、始めてからは病氣にもならず、今まで以上に鍛えられた体になりました。お金ではなく、友情が本当の安心感を与えてくれることに気がつきました。西洋諸国における貧困のほとんどは精神的な貧困です。そして、その自立(independence)しているように見える状態は実は、相互依存(interdependence)に過ぎないのです。


誰もが明日からこんな風に生活できるでしょうか。それは無理でしょう。
私達はITや安いエネルギーに中毒になり過ぎ、それら両者の豊富さを中心に地球全体のインフラ(社会基盤)を築きあげることに成功したからです。


でももし、150人以下のコミュニティー(地域)に引っ越す決意をしそれに従ったら?できない理由なんてないですよね。

私達人類がこの惑星で過ごした時間の90%以上は、今よりずっと地球に優しい生活をしていましたが、それはお金を使わずに生きてきた時代です。

今、地球上でお金を使う種族は人間だけですが、これはおそらく、人類が自然との接触を最も失った種族だからでしょう。

こんな質問をよく聞かれます。私の昔の利益とビジネスの世界と比べて、何を失ったかという質問です。

私の答えはこうです。ストレス、交通渋滞、銀行口座、ガス・電気などの請求書。ああ、あと地元のパブで友達とオーガニックのエールをたまに飲むことでしょうか。


参照源 worldobserveronline.com


(翻訳終了)



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【コメント】


このマークさんによる、ビールの金属ドラム缶を使った「ロケット・ストーブの作り方」はこちら↓

How To Make a Rocket Stove from a Beer Keg


しかし、こんな哲学的なことを話しあえる友人が身近にいるのって、かなりラッキーですね!


うちの旦那は出会う前は「New age traveler」で、住宅に改造したバスなどに住んでイギリス各地を移動していました。マークさんほど徹底してませんが、けっこう近いライフスタイルだったようです。今もその生活に戻りたいようです。


私も旦那と結婚前に4か月間ほど、キャラバン生活をしたことがあります。電気やトイレもあって、野菜などはスーパーで買っていたので、彼と比べるとごく普通の生活に近いんですが(笑)。何かと不便でしたが貴重な経験でした。町に行くと、変な違和感を感じたのを覚えています。


旦那と違って私はできるだけ定住型の生活がしたいのですが、もし世の中がこれ以上変な方向に行くようだったら、こんなオフ・グリッドな生き方もありかなとは思っています。


今は普通の生活ですが、その中でもアナーキーな生き方 10か条を目安に、できるだけ依存するものが少ない生き方を目指しています(^。^)。