車内で藝人春秋の表紙を長い時間見続けた後のこと。
表紙を開くと、そこには博士さんからの直筆のお手紙が挟まっていた。
藝人春秋を書いた経緯、思いが丁寧に綴られていた。
そして、私の本の帯文になぞらえた言葉には、その温度に諸々が溶かされていくのを感じた。
現場で「酒井さん、すいません」と言われ続けている私の元にやってきた「若菜ちゃん」という博士さんの文字に、ひどく安心した。
そして過ぎた年月を感じた。
10年以上経って初めて涙が落ちたのは、自分の間違い、真実をやっと受け入れたからだろう。
博士さんになすりつけるために、私は記憶を封印していた。
収録中、自分からなかなか喋れない私は、意見したい時に何故かいちいち挙手していたのだが、そのたび博士さんが「はい、若菜ちゃん」と先生が生徒を指すような感じで呼んでくれて、そのたび少しだけ調子にのれたこと。
泊まりロケの時に39度の熱が出ていた私に、帰り際「若菜ちゃん」と後ろから大きな声で呼び止め、振り向く私に「お疲れさま」と、やっぱり優しさを押し付けない感じで労ってくれて、ふらーっと踵を返して帰っていかれたこと。
「若菜ちゃん」の文字を見たら、色んなことを思い出した。
何だか随分子供じみたことばかり書いているけれど、もう諦めた。
どうしたって私は、博士さんとの関わりの中では小娘なのだ。
女王様になりきれない私が小娘になれる喜びは、過去の縁からしか得られない尊いもの。
私が二十歳の頃から博士さんの周りをちょこちょこ走り回っては間接的にすれ違おうとするのは、きっと小娘になりたいからなんだ、と今更気づいた。
 
さてまた話は飛ぶ。私は歴女と呼ばれていたが、自称「司馬女」だ。最初は龍馬かっこいい!松蔭先生かっこいい!だったのだが、そのうち知識人や策士、今でいうジャーナリストやルポライターのようなことをしていた人物を書く司馬遼太郎こそが、知識人で策士でジャーナリストでルポライターで、そのことに気づいた瞬間から、なんなんだこの人は!と偉人よりも司馬さんのファンになってしまった。
博士さんの、人に対する敬いの徹底っぷりは、司馬さんのそれとよく似ているようにお見受けする。ただ、博士さん然り司馬さん然り、そんなことを言ってもちっとも琴線に触れないだろう。登場人物の魅力を伝えることが、恐らく全てなのだと思うから。
藝人春秋は、奇天烈さなり優しさなり自信なり、何かしらが突き抜けているかたたちが続々登場する。その異なる人物全てに惜しみない愛が注がれている。
 
全ての本は、愛そのものでできているのかもしれない。
けれど、藝人春秋はあまりにも愛の純度が高い。
 
子供の頃、風船からうっかり手を放してしまって、飛んでゆく風船を見ながら泣いたことはないだろうか。
一度放した風船は、二度と帰ってこない。
藝人春秋が私の元にやってきた時、私は迂闊に手放した風船をもう一度手に入れた。
風船を手にした私は、やっぱりどうしたって小娘になる。
そして小娘は、小娘なりの文章で、ごめんなさいとありがとうと好きを精一杯自分勝手に伝えようとしている。
レギュラー時代から本の帯に至るまで、私の言葉の下手さに力を貸してくれた博士さんへ、藝人春秋の感想で恩返ししようと思ったのに、無理だった…。
どうやら、博士さんは私にとって永遠に越えられない壁らしい。
 
自分の心の中にある後悔や懺悔だけではない。
人との関係だってそう。
例えば私のように、間接的だったとしても。
いや、本ほど直接的なものはないか。
レギュラーを降りてからの10年以上、私は博士さんと「言葉」の中でだけすれ違ってきた。
そして「藝人春秋」のおかげで、あの世も、あの世の先輩も、好きになった。
 
長い年月を経て初めて生まれる「好き」を、これから大切にしていこうと思う。
 
自分にした絶望も、人にした失望も。
 
終わりなんてない。
 
つまりはきっと、こういうことだろう。
 
 
くよくよしたって始まる!
 
 
 
ごきげんよう