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2013-03-20 19:35:50

遺体 後編

テーマ:ブログ
 
「忘れてはいけない」「風化させてはいけない」。
そんな本来人を救うはずの言葉は、時に人に怯えをもたらす。
決して無闇に振りまいてはいけない。
 
忘れなきゃ生きていけない人も大勢いるということを、それこそ忘れないでほしい。
 
いじめで自殺をする子供の肩を揺さぶって「いじめられるほうにも原因があるんだ」と言えるか。
『TSUNAMI』がまたテレビで聴けるようになったことは、いい意味で風化したからではないのか。
 
同じ温度でいつでもあの衝撃を思い出す必要はないし、そんなことはできない。
あのショックが永遠に癒えないよう戒めながら毎日を過ごすのが善で、適度に風化させることが悪なら、そんな世界、私は生きていけない。
 
とはいえ、日本でイニシアチブを発揮する多くの人達が誰も「忘れてはいけない」「風化させてはいけない」と無垢に訴えていなければ、私はまさにその主張を声高にしていただろう。
のべつ幕なしに誰かしらがその主張を持ち声をあげてくれているからこそのアンビバレントな意見。
無論、自分に影響力がないことは重々承知の上で、影響力の有無はさして問題ではないと私は思っている。
 
問題は、選択肢があることを知らず、自分の無力さを責めてしまうことだ。
無力は罪なんかじゃない!
 
何より恐ろしいのは、無関心になること。
本当に忘れてはいけないことは、必死に忘れようとしても忘れられないことだったりする。
例えそれが自覚の上に成り立つことではないとしても。
 
「忘れてはいけない」「風化させてはいけない」。
震災に纏わる話をする時、この二つの言葉が当たり前のように飛び交う日本。
人のことばかり考えてさ。優しくて真面目で、温かい。
 
日本の世論はいつも、正論がマジョリティに立つ。
良い国に生まれたもんだとは、あらためて。
 
最後に一つ付け加えたい。
『遺体ー明日への十日間ー』を海外の映画祭に出品するにあたり、「遺体」という言葉が英訳できなくて、映画の製作陣はずいぶん困ったそうだ。
「死体」ではなく「遺体」という概念のあるこの国の思想文化を、やっぱり私は、誇らしく思った。
 
 
ごきげんよう
 
 
 
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同じテーマ 「ブログ」 の記事
2013-03-20 19:35:34

遺体 前編

テーマ:ブログ
 
「忘れてはいけない」「風化させてはいけない」。
そんな言葉が飛び交うようになってから二年が経つ。
その言葉を耳にするたび、少しの違和感と恐怖を感じるのは私だけだろうか。
 
岩手県釜石市。
遺体安置所の一つとして使用されたのは、かつて子供達が体育の授業や部活動で笑顔を見せていた中学校の体育館だった。泥に塗れた遺体が続々運ばれてきては、乱雑に置かれていく。
きちんと並べられる余裕もない。
ただ、置かれていく。
 
その光景はあまりにも悲惨だった。
大切な人達を亡くした遺族達は、やり場のない怒りを釜石市の職員や警察官達にぶつけたこともあったという。その怒りをぶつけられた瞬間は、市の職員や警察官達も同じ「被災者」であることは、忘れられていたのだろう。
彼らだって大切な人を亡くした紛れもない被災者であるにも関わらず、時には人殺しと罵られたりもした。それでも、例えばまだ若い警察官達は、誰も見ていない体育館の裏で少しでも体を綺麗にしようと、毎日毎日遺体を拭き続けた。
そこに見返りや恩賞という言葉は存在しない。
誰もが気狂いしそうになりながら、震災に対する恐怖と怒り、愛する人を亡くしたショックと哀しみ、そして理性と、戦っていた。
彼らには、哀しむ時間さえなかった。
 
この遺体安置所を舞台にした映画『遺体ー明日への十日間ー」で描いたのは、被災者達を救おうとした被災者達の姿だ。
映画は作り物の世界とて、台詞も動きも自由、360度セットなので映ろうが映らなかろうが常に全員が現場にいて自分の役上の仕事をする毎日。
辛すぎて撮影の記憶が曖昧になるキャストも続出するような過酷な環境での撮影だった。
気丈な歯科助手の役を演じた私は、撮影期間中、現場で検死作業を黙々とこなし、家に帰ると奇声をあげてむせび泣いていた。
この役のモデルになったかたも非常に気丈なかたなのだそうだが、当時彼女も陰でこっそりむせび泣いたことがあったという。
想像したらやるせなくて堪らない。
映画の撮影ですら苦しかったのだから、本当の遺体安置所にいたら、自己を保つのはどれだけ難しかっただろう。
 
震災のことを考える時、私は遺体安置所での記憶が、さも2年前のあの日のことかのように思い返される。
3月11日、東京にいた現実の記憶と、それから1年数ヶ月後、遺体安置所で検死作業をしていた撮影の記憶。
この2つがごちゃまぜになって震災の記憶としてよみがえる。
とても怖かった。
もうあんな思いは一生したくない。
 
「私たちには何もできません。だからこそ、このことを忘れてはいけないのです」と言っている有名人の姿を見ると、遺体安置所で過ごした経験があるつもりの私は、いや、そうでなくても、元からそんな言葉を決め台詞のように言う人を見ると少し怖くなる。
人前に立つ人間が自分の無力さを「私たち」と括って世間に促すことが、とても怖かったのだ。
被災地のかたが言うのとではワケが違う。
意味は同じかもしれないが、受け手の捉え方がまるで違う。
忘れてはいけない=忘れちゃうんです、と報告されているように聞こえる。
それが「被災地以外の人」にだけしか届けていない言葉だと果たして自覚しているのだろうか。
自覚した上で提唱しているのなら、それは持つべき一つの意見だと思う。けれど、その方向で提唱するなら、「何もできなくてもいいんだよ」と赦す言葉を添えてほしい。
それが戯れ言でも、理想論でも。
人前に立つ人間には、救おうと、してほしい。
 
もしあの撮影中、誰かに「忘れてはいけない!」と諭されたりしていたら、私はきっと、掴みかかる勢いで「忘れさせて!」と怒鳴り散らし、また泣き喚いていただろう。
 
続く
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2013-01-01 07:08:18

小娘物語。 後編

テーマ:ブログ
 
車内で藝人春秋の表紙を長い時間見続けた後のこと。
表紙を開くと、そこには博士さんからの直筆のお手紙が挟まっていた。
藝人春秋を書いた経緯、思いが丁寧に綴られていた。
そして、私の本の帯文になぞらえた言葉には、その温度に諸々が溶かされていくのを感じた。
現場で「酒井さん、すいません」と言われ続けている私の元にやってきた「若菜ちゃん」という博士さんの文字に、ひどく安心した。
そして過ぎた年月を感じた。
10年以上経って初めて涙が落ちたのは、自分の間違い、真実をやっと受け入れたからだろう。
博士さんになすりつけるために、私は記憶を封印していた。
収録中、自分からなかなか喋れない私は、意見したい時に何故かいちいち挙手していたのだが、そのたび博士さんが「はい、若菜ちゃん」と先生が生徒を指すような感じで呼んでくれて、そのたび少しだけ調子にのれたこと。
泊まりロケの時に39度の熱が出ていた私に、帰り際「若菜ちゃん」と後ろから大きな声で呼び止め、振り向く私に「お疲れさま」と、やっぱり優しさを押し付けない感じで労ってくれて、ふらーっと踵を返して帰っていかれたこと。
「若菜ちゃん」の文字を見たら、色んなことを思い出した。
何だか随分子供じみたことばかり書いているけれど、もう諦めた。
どうしたって私は、博士さんとの関わりの中では小娘なのだ。
女王様になりきれない私が小娘になれる喜びは、過去の縁からしか得られない尊いもの。
私が二十歳の頃から博士さんの周りをちょこちょこ走り回っては間接的にすれ違おうとするのは、きっと小娘になりたいからなんだ、と今更気づいた。
 
さてまた話は飛ぶ。私は歴女と呼ばれていたが、自称「司馬女」だ。最初は龍馬かっこいい!松蔭先生かっこいい!だったのだが、そのうち知識人や策士、今でいうジャーナリストやルポライターのようなことをしていた人物を書く司馬遼太郎こそが、知識人で策士でジャーナリストでルポライターで、そのことに気づいた瞬間から、なんなんだこの人は!と偉人よりも司馬さんのファンになってしまった。
博士さんの、人に対する敬いの徹底っぷりは、司馬さんのそれとよく似ているようにお見受けする。ただ、博士さん然り司馬さん然り、そんなことを言ってもちっとも琴線に触れないだろう。登場人物の魅力を伝えることが、恐らく全てなのだと思うから。
藝人春秋は、奇天烈さなり優しさなり自信なり、何かしらが突き抜けているかたたちが続々登場する。その異なる人物全てに惜しみない愛が注がれている。
 
全ての本は、愛そのものでできているのかもしれない。
けれど、藝人春秋はあまりにも愛の純度が高い。
 
子供の頃、風船からうっかり手を放してしまって、飛んでゆく風船を見ながら泣いたことはないだろうか。
一度放した風船は、二度と帰ってこない。
藝人春秋が私の元にやってきた時、私は迂闊に手放した風船をもう一度手に入れた。
風船を手にした私は、やっぱりどうしたって小娘になる。
そして小娘は、小娘なりの文章で、ごめんなさいとありがとうと好きを精一杯自分勝手に伝えようとしている。
レギュラー時代から本の帯に至るまで、私の言葉の下手さに力を貸してくれた博士さんへ、藝人春秋の感想で恩返ししようと思ったのに、無理だった…。
どうやら、博士さんは私にとって永遠に越えられない壁らしい。
 
自分の心の中にある後悔や懺悔だけではない。
人との関係だってそう。
例えば私のように、間接的だったとしても。
いや、本ほど直接的なものはないか。
レギュラーを降りてからの10年以上、私は博士さんと「言葉」の中でだけすれ違ってきた。
そして「藝人春秋」のおかげで、あの世も、あの世の先輩も、好きになった。
 
長い年月を経て初めて生まれる「好き」を、これから大切にしていこうと思う。
 
自分にした絶望も、人にした失望も。
 
終わりなんてない。
 
つまりはきっと、こういうことだろう。
 
 
くよくよしたって始まる!
 
 
 
ごきげんよう
 
 
 
 
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