式子内親王 更けて行く | わたる風よりにほふマルボロ

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更けて行く秋の思ひもわびはつるなみだなそへそ袖の月かげ


式子内親王

式子内親王集154

 



【現代語訳】

 

更けてゆく夜、そして

更け深まってゆく秋に従い、

秋のもの寂しいおもいも

極まりきってしまう。

だから、涙を

これ以上もよおさせないでくれ、

侘しい月の光よ。

それでなくとも我が袖は

涙に濡れ、

すっかり月が映り込んでいる。


(訳:梶間和歌)

 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

更けて行く:

 秋が更ける(深まる)ことと

 夜が更けることを掛ける。

 

秋の思ひ:

 漢語「秋思」を訓読みした語。

 秋特有のもの寂しい気持ち、

 もの思い。

 

わびはつる:「侘ぶ」の核には

 失意、困惑、落胆の気持ちが

 ある。

 補助動詞「果つ」は

 「すっかり……する、しきる」。

 

なみだなそへそ:

 涙をこれ以上加えないでくれ、

 これ以上もよおさせないでくれ。

 「添ふ」は「加える」の意。

 「な+動詞の連用形+そ」で

 「……しないでくれ、してくれるな」

 の、あつらえに近い禁止を表す。

 

袖の月かげ:涙に濡れた袖に

 映り込む月の光。

 袖に月光が映り込むこと自体は

 従来の表現だが、

 「袖の月影」という省略表現自体は

 新古今時代に流行したもの。

 

 

 

式子内親王が生涯に

多くの百首歌を詠んだことには

繰り返し触れてきました。

 

完全な形で現存する百首歌は

3つだけで、

 

そのひとつ、

通称「B百首」と呼ばれる

百首歌の19首目が

「更けて行く」です。

 


だいたい百首歌の秋歌は

20首ですから

(絶対ではありません)

 

となると「更けて行く」は

秋歌の最後から2首目かな、

 

と思いますよね。

 

 

ところが、実際にはこの歌は

秋歌の最後から3首目に

当たります。

 

百首歌と言いながら

101首収められているのです。

20首あるはずの秋歌が

21首あるために。

 

百首詠む際に

数え間違えたのでしょう。

 

 

 

数え間違いといえば、

時代は下りますが京極為兼にも

そんな例がありましたね。

 

弘安九年閏12月15日の

年内立春に際して為兼が詠んだ

と考えられる「立春百首」ですが、

 

もゝかへり春のはじめをむかへ見るもたゞ一時の心なりけり

の歌の左肩に「百」が振られ、

その後それが抹消された跡が

あるとのこと。

 

つまり為兼は歌数をかぞえ違えて、百番の歌を詠むつもりで九十九番「もゝかへり」の歌を詠み、

のち誤りに気づいて百番の一首を詠み加えたものであって、

 

 

以前

このような記事も書きましたが、

 

パソコンもエクセルも

グーグルスプレッドシートも

ない時代に

 

特定の数の歌を詠んだり

歌を管理したりすることの

大変さは

 

想像を絶するものだった

でしょうね。

 

 

更けて行く秋の思ひもわびはつるなみだなそへそ袖の月かげ

 

 

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