俳優の矢野宣さん 逝く
以前、このブログでも「わじまの海塩」のパッケージの字は、俳優の矢野宣さんに書いていただいたものだとお話したことがありましたが・・・。
矢野宣さん、9月17日午前10時10分、お亡くなりになりました。享年82歳でした。
ニュースでは、「名脇役」と紹介されていました。いろいろな映画やテレビに出演なさっていましたが、伊丹十三監督映画の常連で、「スーパーの女」の悪徳店長役というのが私には、一番印象的です。
なぜ、私が矢野宣さんと出会ったかというと長くなるのですが・・・・
現在は弊社顧問の瀬川昌威は、元・昭和電工のピチット事業部長で「ミスターピチット」と言われていました。
その瀬川が、当時、脱水シート「ピチット」のCMポスターに、テレビの「金子信雄の楽しい夕食」という料理番組をやっていた金子信雄さんと一緒に、2ショットで出てもらう女性タレントを探していたそうなんです。
広告代理店さんに相談したところ、タレントさんを使うと、スキャンダルもあるかもしれないし、費用もかかるから、と言われ、社内の美人さんを抜擢したそうなのです。
そこで抜擢されたのが、昭和電工の美人OLさん。そして、そのお父様がたまたま俳優座の矢野宣さんだったそうなんです。
以来、瀬川と矢野宣さんとの交流が始まったそうですが、近年、私も紹介していただきました。
私は、「宣友会」という老若男女まじり合う親睦会の幹事をやらせていただいていたのです。
ギターを引きながらの語り付きの歌など、楽しませていただいたものです。
これは、2007年のときの矢野宣さんの誕生日会の写真。
第二次世界大戦のときには、17歳で青年志願兵として海軍に入り、特攻隊の通信兵として戦闘機に乗り、明日は、というときに、終戦になったそうです。
そんな貴重な戦争体験の話も面白おかしく話して聞かせていただいたものでした。
食道ガン、胃がん、肺ガンを、切除手術により、なんども克服され舞台復帰されてきたのですが、今年はじめにまた肺がんがみつかり、そのとき、とうとう受けることになった抗ガン剤のダメージが大きかったのか、すっかり身体が弱ってしまったようで、肺炎を併発して、7月中旬から入院されていました。
一時は退院もできそうなほどだったのですが・・・。ショックです・・・。苦しまず、静かに息を引き取ったそうです。
こちらが、矢野宣さんに書いていただいた「わじまの海塩」の文字。海水塩なので、「塩」を土へんではなく、さんずいにみえるように書いてもらったのが特徴です。
「わじまの海塩」ある限り、矢野宣さんも不滅です。私は、ますます、がんばらないと。
こちらは、2009年11月15日に行われた、放送劇作家の伊馬春部氏の代表作「屏風の女」の朗読会のときの写真です。いいお顔。
矢野宣さん、謹んでご冥福をお祈りいたします。