奥田政行シェフと塩士・中道肇・・・舳倉島での取材の様子
今回、小学館で年2回発行されている「美食サライ」の取材でした。料理雑誌「サライ」の別冊です。山形のアル・ケッチァーノの奥田政行シェフが全国の製塩所を訪ねていく、という企画。
今、発行されている「美食サライ」には、第一回で沖縄県の製塩所が紹介されています。第二回が能登ということ。奥田シェフのたっての希望で「わじまの海塩」の製塩所を、ということだったそうです。
そして、舳倉島まで奥田シェフがいらっしゃるということで、地元のテレビ局・北陸放送(MRO)さんとのタイアップ取材となり、総勢・11人となりました。
この雑誌の取材は1ヶ月半ほど前から決まっていたのですが、直前に「日経プラスワン」の「ご当地調味料ランキング」にランクイン。塩の中では、日本一となった「わじまの海塩」。
日経新聞のおかげで、全国の製塩所の一つという位置づけだったのが、日本一の塩の製塩所、日本一の塩の塩士という位置づけになりました。(タイミング運に恵まれている私です。)
取材の方も、いい写真、いい映像を映そうと、熱が入ります。
その取材の様子を私が撮ったメイキング画像をご紹介します。
昼食後、島から2km沖の取水ポイントまで、中道さんの運転で、「宝丸」という船に乗って連れていってもらいました。
本来は、船を走らせながらポンプを使って取水します。そうすると、流れがあるので、ゴミなどが入りにくいのです。
この取水ポイントは、60mの水深で、下は砂地です。
海の表面も、海底も、ゴミや舞い上がる砂などがあるので、一番、海水が安定している真ん中の30mのあたりの海水を汲んでいます。
・・・中道さんが、皆さんに、そんな説明をしているところです。
穏やかなように見えても、小さい波があり、船は、かなり揺れていました。メモを取りながら聞いていたライターさんは、途中で船酔い。「すみません、もうダメです」と。ハードですね。
こちらは、帰りの船の上で、奥田シェフと中道肇の対談の様子をカメラマンさんが狙います。
そして、輪島に戻って、海をバックに、塩のアップの写真をとるテレビ局のカメラマンさん。
取材の最後に、中道肇の奥様も一緒に記念撮影。
私の名前は「三奈子」ですが、中道さんの奥様も「美奈子」さんというお名前なんですよ、Wミナコなんです。
奥田シェフや皆様は、この後、金沢へ行って、雑誌の撮影のため、「わじまの海塩」を使った料理の撮影をなさったそうです。
お疲れ様でした。