忙しくてこんなに原稿を書かないのに、読者数が3000くらいしか減らないのは、複雑な心境だ

固定ファンの方はありがたいが、新しく書いたものを読んでくれる人がそんなに多くないのかもしれない

いっぽうで、いろいろと考えさせられるメッセージもいただく

ただ、心の病や勉強法の個別事案については、やはり背景がわからないままでのアドバイスはできないし、一般論については本に書いている

個別対応を望まれる方は勉強法については、緑鐡受験指導セミナールを申し込んでほしい

あと、多少金がかかるが、「和田秀樹こころと体のクリニック」で自費のカウンセリングもやっている

あと、気になるメッセージ

「私が伝えたかったのは、加藤智大が受験は要領の読者であった事ではなく、弟が自殺をした事です。どこに転職しても、マスコミが追ってきて聞き込みをされ、彼女とも結婚を破断、優秀な弟へのコンプレックスから加藤智大は弟からの手紙を拒絶、接見も拒否していました。
また、加藤はああみえて多くの友人もおり、また弟も、「和田秀樹の本読んだら落ちる」と話していたのにいっこうに聞かなかった事です。受験は要領にはいくつものトラップがあるのは著者のあなたならご存知のはずです。
あとがきには、「僕のやり方を信じたものが合格し、途中でやめた者は全員落ちた、僕を信じてついてきて欲しい」
と書いています。加藤智大はこの文言を部屋の壁に貼り、猛然と難問の答えを丸暗記していたのです。
東京拘置所に、手紙を出されてはどうですか。あなたの手紙なら読むのではないでしょうか。」(引用終わり。私自身は、この事件を一種の薬害事件と思っているので、犯人の実名を載せるのはあまり賛同しないことをお断りしておく)

この人がどの程度、この犯人を知っているのかはわからない

犯人の部屋を見てきたような書き方も、完全に信じることはできない

友達は多かったとして、私の本をほかの生徒に読ませて、一人の賛同も得られないとすれば、その学校は異常だと思うし、賛同してくれる受験仲間がいれば、うまくいかないことのアドバイスだって得られただろう

この犯人が私の本を誤読して、成績が落ち、その後の人生が思うようでなかったことに道義的な責任を感じるにせよ、たとえば、私が謝罪することで、精神状態が改善するという確証がもてないし、世の中に対する恨みが余計に強くなるかもしれない

万が一、獄中から私に手紙を送ってくれるようなことがあれば、誠意をもって応えるだろうが、こちらから大きなお世話をしたいとは思えない

こういう何が真実で、何が正義ということに、絶対的な自信をもっている人とは私は残念ながら思考回路が違うようだ

ただ、この人の指摘するように、「僕のやり方を信じたものが合格し、途中でやめた者は全員落ちた、僕を信じてついてきて欲しい」と書いたのは、誇張であることは認める

だから、この本をいったん絶版にしたわけだし、その後に出した文庫版では、このあとがきを削除しているし、文庫版前書きの部分で、この勉強法で合わない人もいるが、元気になる、やる気になるという要素があるから復刊したとはっきり断っている

若いころ、勢いでものを書くことの功罪を痛感したのも確かだ

さて、いまだに小保方さん問題が週刊誌などでは取り上げられているが、「どこまでが嘘で、どこまでが妄想かをはっきりさせろ」というものがあった

そう言いたい気持ちはわかるし、確かに、論文の中に虚偽や作り話をはぜるのは許されないことだが、ある程度、妄想的な信念のようなものがないと、Cutting Edgeな仮説や研究は生まれないだろう

その辺の不寛容が、文系社会の限界のように思えてならない

土曜日は、知り合いの内藤誠監督が、坪内祐三の『酒中日記』を映画化するというので、遊びに行く

実は、飲み客で出演予定だった

8時クランクアップの予定だったので、5時に行ったら(約束通りの時間である)もう終わっていた

坪内さんが優しい人だし、重松さんにもあえてよかった

坪内さんのように怖い人のような文章を書く人(私もそうかもしれないが)は,実は気弱な人や優しい人が多いようだが、そんな感じのとても気を遣う人だった

育ちがいいのだろう

最近のニュースで気になったのは、八重山で、地域で選定した公民の教科書の記載が沖縄の人の心情に合わないということで、地元の教育委員会と教育長が別の教科書を使うということになり、文部科学省がそれに干渉するという話がある

沖縄県の地域がなぜ、この教科書を選定したのか、若干不思議な気がしたが、やはりアメリカ軍をありがたがる人もいるのだろう

ただ、ふと思ったのは、教師のあり方だ

昔は、偏向教師というのがいくらでもいた

教科書に書いてあることを平然と無視して、自分の思想信条にあったことを教える

広島の教組はそういうところがあったそうで、右翼のやり玉にあげられていた

私のいた灘校は、有名な故橋本武先生を含めて、教科書をまるで無視する教師が少なからずいたし、歴史や地理では、「教科書にはこう書いてあるが...」などということがざらにあった

教科書を覚えるのは、受験対策であって、そんなものを信じないリテラシーが身に着いたのはありがたかった

受験における暗記というのは、そんなものなのだが、このニュアンスが伝わりづらいのかもしれない

国が勝手なことをやり、マスコミが統計を無視したコメンテーターが好きなことを言う以上、そういう統計数字を見せて、テレビのコメンテーターは賢そうな顔をして、データを無視する人、うそをつく人とでも教師が言えたら、教師の権威が少しでも回復するのではないか?

受験で覚えたこと、教科書に出ていることが疑ってはいけない真実のように思うから、受験の勝者や優等生がつまらない人間になるのであって、一応、世間で信じられている「定説」はこんなものと知っておくためのトレーニング(これは意外に便利な知識である)と思えれば、受験勉強も役に立つはずだ

そういう考え方ができない教師が進学実績の悪い県(件の青森や秋田)には多いのではないかと思えて仕方ないのだが