昨夜は面白いワイン会というか、食事会があった

私が批判していたリフレ派の人も含めて、面白い人たちの集まりで刺激になった

私自身、金融緩和やリフレ政策が悪いと思っていないのだが、経営者の人件費抑制のマインドや、経費を削るなら人件費という発想では、製造業就労者が1000万人を切り、サービス産業の就労者が7割を超える日本では、消費不況が回復するとは思えない

その人も、アベノミクスの1の矢、2の矢まではうまくいっているので、3の矢をうまくいかせることが課題と言うことでは一致したし、考え方が柔軟な人なのでほっとする

私が思うに、金融政策(金融緩和)、財政政策(国土強靭化)だけではだめだし、財政政策をもう少し福祉寄りにしないと高齢社会がのりきれない

それ以上に、もう一つ忘れられているのが税制だ

単純な減税より、増税して経費を認めるほうが、金を使うほうにドライブがかかる

人件費も払うことになる

その方も、アメリカも日本も累進が激しかったころのほうが経済がうまくいっていた話は知っていたし、悪いと思っていないようだった

というか、思ったより、いわゆる新自由主義の人でないのがよかった

東大が推薦入試を開始する

今回は思ったより本気だし、本格的なものだ

一つは、センターの足切りをしない(合格基準点は設けるようだが、ペーパーテストで測れない優秀な人材を採るという趣旨からしても相当に低い点になるはずだ

今年の文Ⅰは足切りがなかったが、倍率が低い年などで足切り点が6割なんてこともあった

せいぜい半分くらいが基準点になるのではないか?

要するに、学校からの推薦と書類審査と面接の入試になる

どのような審査基準かは公表されないだろう

面接の透明性もわからないが、仮にまじめに面接をやったとしても、政財界の偉いさんの子弟は、小さいころから、偉い人と話をしているので、こういうものには強い

現首相や小泉進次郎氏をみていてもわかる

東大もハーバードやオックスフォードのように、代々東大の有力者ファミリーを作っていこうということだろう

今回の選挙結果でもわかったし、いったん自民党だって世襲廃止とか言っていたのがなし崩しになったが、日本人が勉強してきた人間が這い上がって官僚になった人が作る民主党のような政党より、世襲のボンボン政党である自民党が好きな国民性だ

元小作人の子孫が8割くらいいるのだから、そのほうが国民性にあっている

そろそろ階級も固定化しつつあるから、東大もその時代に対応しようとしているのだろう

京大のように優秀な教授を引き抜いて研究費を集めると言うやり方もあるが、それをやると現在の教授陣の立場が危うくなる

それよりは、教授陣に気に入られたら、おたくの子供も東大に入れますよと見せておくほうが財界からの寄付も集まるし、政界の人間も東大教授をブレーンにして近づこうとする

実に賢い独立法人時代のやり方だ

そして、これはクラス社会の第一歩である

もう一つの巧妙さは、後期を廃止したことだ

個人情報の制約で、今では東大も合格者の氏名を発表しなくなった

ましてや前期と後期をごっちゃにした形で、推薦入試をやれば、自分から公表しない限り誰が推薦入試で入ったかわからない

数学オリンピックで優勝したような人間だけは、自分から公表するだろうが、政財界の子弟は、おそらく公表しないだろう

マスコミが書こうとすれば、個人情報だとか騒ぐだろうし、相手は未成年だから、壁も大きい

ばれないのであれば、それだけの力がある親たちはどんどん子供を東大に入れるだろう

かくして日本もクラス社会になる

もちろん、ハーバードだってオックスフォードだって一般入試で優秀な人間を採っている

東大もそれはやめない

だから貧乏人が這い上がるチャンスがゼロになったわけでない

でも、代々東大に入れる名門(もっと早くこの制度が作られていたら安倍家もそうなっていたのに残念な話だ)がこれからは確定する

100人のうち10人程度と私は見ているが、誰もが知っている人たちの子弟や孫の集団だ

これが50年、100年続けば、慶応以上に、名家の証になるだろう

幼稚舎からは慶応に入れても、大学は子供を東大に入れることができるかどうかが親の「格」の証となる

代々慶応の家庭ですら、東大の推薦合格をもらえば、そちらに流れる可能性が大きい

戦前のように皇室関係者も東大に入ってくるかもしれない(母親が東大卒の皇族が入るといううわさもすでに流れている)

まさにソサイエティである

私のような批判者は、どんなに金持ちになったとしても(それもほぼなさそうだが)、そこには入れてもらえないだろうが

こういうソサイエティができることを、大衆はむしろ歓迎するかもしれない

当の試験で受かった東大生もそういう人たちと知り合いになれるのを喜ぶ可能性は大だ

財力や収入の格差社会はすでに始まっているが、ついに本格的なクラス社会の到来である