前から、いろいろなところで取り上げていた長野県がついに男性だけでなく、女性も平均寿命がトップになった

いろいろな原因が取りざたされている

長野の長寿が話題になり始めた1980年(男性が初めてトップになったのは、90年)くらいの時期には、昆虫食と、坂が多くて歩くからだろうと言われた

しかし、それ以降、昆虫食を食べる人は減るし、お年寄りが自動車を使うのが当たり前になっても、長野県の長寿化は進んだ

結局、医療のシステムがいいのだろうという話になっているようだ

保健婦が定期的に高齢者を訪問したり、医師や看護師が定期的に健康教室を開いたりという予防医学がうまくいっているという話もある

あるいは、入院を極力防ぐ、訪問診療のシステムを評価する向きもある

私が注目しているのは、大学病院である信州大学がそれほど権威的でなく、大病院である佐久総合病院や諏訪中央病院を含めて、地域の開業医や診療所との連携もよく、臓器別診療より、人間全体を診る医療がうまくいっているという話もある

いずれにせよ、男性1位、女性1位の長寿県なのに、一人当たりの老人医療費は日本一安い

長野の場合は、国保直営の病院が多いのがいいのではないかという話もある

要するに、患者が減って病院が赤字になっても、患者がへると国保の拠出金が減るからそっちのメリットが大きい。無駄な医療をしないほうが、かえって長生きにつながるということだ

原因の分析はともかくとして、成功例であることは素直に認めたほうがいい

老人の平均寿命を引き上げることも、老人医療費も抑えることができない老年医学会と称する自称専門家より、長野の医者に聞いたほうが、高齢者の健康長寿のためになるし、老人医療費も抑えられる

日本の場合は実地経験がある人間より、理屈ばかりこねまわしている大学教授のほうが、政治家や官僚の御用学者になって、かえっていろいろなものを悪くしている

拙著『東大の大罪』でも問題にしたが、ゆとり教育政策などで、日本の子供たちの学力が低下した時期は、東京教育大学が潰され、東大が教育政策を牛耳りだした時期と一致する

東京教育大学は現場経験のある教授が半数いたが、東大教育学部は、付属校でモデル授業をするくらいが現場経験と思いこんでいる

うまくいっているところから学ぶのでなく、大学教授が理屈をこねまわすと、うまくいっているものまでダメになる

ところで、麻生氏の「さっさと死ねるようにしてもらわないと」発言が医者向けのメールマガジンでも相当話題になっているが、圧倒的に支持を得ていた

日本の医者は、患者さんの検査データは聞いても、寝たきりの高齢者のか細い声での訴えは聞かないから、寝たきりの高齢者はみんな死にたがっているのに、死なせてもらえないと信じているようだ

おそらく、自分が寝たきりになるまで気づかないだろう

70を過ぎた麻生氏がこの発言をするのには別の意味があることに気付いた

高齢者というのは個人差が大きい

豊かな高齢者と貧しい高齢者、元気な高齢者とよぼよぼ(寝たきりレベルも含む)な高齢者、社会的地位の高い高齢者と社会に「邪魔にされる」高齢者、頭脳明晰な高齢者と認知症高齢者

どれをとってみても、若いころの個人差をはるかに超える

若いころであれば勉強のできる人間ができない人間を可哀想に思ったり、金持ちが貧乏人を可哀想に思うこともままあるだろう

少なくとも、そういう人間を早く死ねと言うことはまずない

しかし、高齢者の高齢者に対する差別感情はかなり強い

寝たきりや認知症は病気になっても治療を受けるな、貧乏な高齢者は自業自得だから生保を減らせ、お前らのような高齢者がいるから、高齢者は邪魔にされる

勝ち組高齢者の多くが、意外に自己責任的発想が好きだという大きな問題がある

格差社会で貧困層が増えると、貧しい者が富める者にモノ申すより、負け組どうしの足の引っ張り合いが強くなって、たとえば生保批判をする

高齢者が増えると、高齢者同士の差別や足の引っ張り合いが激しくなる

なんと悲しい社会なのだろうか?