朝新聞を読んでいたら、前にブログで話題にした下村博文氏が文部科学大臣に内定したようなことが書いてあった

そうなることを願いたい

教育産業出身ということだが、これまで日本の教育産業は低く見られすぎてきた

外国の(とくにアジア他国の)参考書などを見ればわかることだが、日本の参考書、とくに大学受験レベルのものはものすごくわかりやすい

だいぶ改善されたとはいえ、教科書はレベルが低いのにわかりにくく、参考書はレベルが高いのにわかりやすい

これが官と民の違いだということがはっきりわかる

授業がわからない子がいたら、文部科学省はカリキュラムを減らすことで対応しようとしたが(これがゆとり教育である)、教育産業はわかりやすい講師で対応しようとした(これがカリスマ講師である)

日本が、公教育費がOECD最低レベルなのに、かつては世界一の学力を誇り、今でも、アジアの周辺国には負けるが、少なくとも高校生の学力では、それなりの位置にいるのは、やはり民間教育の力だろう

にもかかわらず、文部科学省関係の審議会の委員に、教育能力の低い大学教授のような人ばかりが選ばれ、民間教育からは本当に選ばれない(ここでいう民間教育は私立の高校や大学のことではなく、教育産業のことである)

問題は、文部科学副大臣まで経験があり、キャリアも教育産業出身なのに(そこの進学実績がそんなにすごいとか、生徒の学力を伸ばしているかというと、もっとすごいところはいくらでもあるが)、なぜか今回の初入閣に際して、なぜか環境大臣の候補になっていた

文部科学省からの抵抗が強かったのか、あるいは、官邸サイドが、教育産業(これも原発と同じで、勝手に悪いイメージがついている)出身のイメージを嫌がったのかのどちらかだろう

どちらにせよ、安倍氏がいい「お友達」を適材適所で使うことは評価できる

学力を上げるのに、わけのわからない入試制度の改革より、民間教育の発想を取りいれてもらえるほうが(塾などに奨学金だっていいくらいだし、教育バウチャーの発想もいい)、よほど教育はましになる。ただ、公教育もしっかりしてもらえないと、親が教育熱心でなかったり、いくらバウチャーがあっても教育産業の経営が成り立たないような僻地の教育レベルが下がってしまうので、あまり民の発想だけでは難しいということもわかってほしいが

本当は、教育にもっと実績のある人の登用を願いたいが、とにかく、これまでのど素人の大人よりははるかに期待できる

さて、民間教育の発想では想像のできないような事件がまた起こっている

本日掲載ということだったので(まだ、掲載を確認できていないし、地方版にだけ載っているのかもしれない)、このブログに書かないできたが、秋田大学医学部の入試面接のことで、取材を受けた

昨年の入試で得点が十分足りているのに、前期、後期とも面接で落とされたとのことで、得点開示では、両方とも面接の得点が0点だったとのことだ

記者があってみると、普通の印象の子どもでなぜ0点かわからないという話だった

可能性があるとすれば、起立性調節障害のために、体調が悪く、高校に合格したが進学しない

そのため、高認試験を経ての受験だったとのことだ

この不合格と面接試験0点が秋田大学の体質を表しているとしか思えない

一つは医学部でありながら、病気の人に病気を抱えながら生きることを支えていこうという姿勢がなく、病人は、医者になんかなるなと排除する姿勢をもつ大学であること

二つ目は、文部科学省はいじめ問題や不登校問題を背景に、学校に行けない人間は無理に行かなくても再チャレンジできるようにと、旧来の大検試験を大幅に簡素化し、高認試験の制度を作ったのに、それの合格者を排除する姿勢のある大学であるということだ

いじめられっ子がこれでは浮かばれない

がまんして学校に通わないと、医学部には入れないよと公言しているようなものだ

私が文科省の役人なら、これにはきちんと説明を求めるだろう、なんのために高認試験を作ったかわからないからだ

三つ目は、この大学の精神科の教授や、一般化の教授が人の心の傷のわからないクズの集まりだということだ

病気を抱える子どもが一生懸命勉強して、大学に受かったのに、お前は医者に向かないと0点を与えて、どれだけその子どもが傷つくかがわからない奴が、医学部の教授であり、この大学の精神科の教授である

むしろ、こういう教授たちに認められて、この面接に受かった子どもたちのほうが心配になる

病人は社会生活に戻す必要はない、いくらいじめれられも人間は傷つくものでないという、勝者の人生観をもった奴らばかりがうかるのかもしれない

4つ目は、やはりこの大学の精神科の教授がクズであることの裏付けになることだが、15分の面接で、医者に向くか向かないのかがわかると思いあがっているということだ

たった15分で人間のことがわかると思っているから、3分診療で平気な医者を育てることになる

この大学の精神科の清水徹男という教授は不眠の専門家ということになっているが、おそらく脳波をとって薬を渡すというタイプの医者なのだろう

不眠にはいろいろな種類がある

ストレスからきているものや、寝付かれないような心配事を抱えているもの、眠れないことに「とらわれ」ている者、うつ病性の不眠、高齢者のような浅い睡眠が増える不眠

やはりきちんと話を聞いて処方するのが、筋だろうし、これですら、初診なら15分で終わらせないのがプロというものだ

東大でも、患者の話など聞くから誤診するというような画像診断の専門家が精神科の教授になったそうだが、まだ入試面接をやらないだけましだ

第一、私は医学部に入試面接が必要なのかに疑問をもっている

というのは、バイオの時代だから、医学部の卒業生はみんな医者になるわけでない

コミュニケーション能力は低いが研究能力は抜群の人もいる(人に聞いた話だが、山中教授のチームにもそういう人がいて、その人の発想はすごいそうだが、インタビューにも答えられないような人らしい)

こういう人も医学部に入れないと、日本は研究で外国に勝てなくなる

面接をやるなら、医師国家試験のときにやればいい

あるいは、コミュニケーション能力のない人にそれをつけるのは、医学教育の中でやるべきだ

国語の読解ができる(センターで8割は国語でとれないと、国立の医学部は難しい)のだから、ちゃんと教えればできるようになるはずだ

生物学的精神医学のような人間しか精神科にいないから、学生にコミュニケーション能力を教えられないのかもしれないが、アメリカでは教育の一環である

前に群馬大学でも、親の介護経験を経た主婦が合格点を取りながら、面接で落とされている

生涯学習の精神をまったく無視している

論文の数だけで教授を決めるから、面接官がおかしいのに、そんな人間が医者になれる人間を決めている

だいたい、学力より面接というのが、ゆとり教育の遺物の発想だ(自民党の公約にもそう書いてあるが、下村氏はどんな考え方なのだろう?)

確かに学力が高い人より、15分の面接(本当の人間性がわからない程度のテレビや演説の時間ごまかせる能力)のほうが政治家にはなりやすいだろう

アメリカは面接重視だが、はるかに時間をかけて、面接のプロが面接する

下村文科相には、こういうおかしな大学をなんとかしてもらいたいし、手腕に期待したい(政治家が大学に介入すると、田中真紀子氏みたいになるのに、こりてやらないのかもしれないが)

それにしても、現役で秋田に受かるだけの学力のある子なら、緑鐡で1年勉強してもらえば、面接のない理3に合格させる自信はあるのだが

病気はあるが、学力のある子に、資格を与えないで、生活保護問題だって解決しない気がする