団鬼六さんが亡くなった。

私自身はロマンポルノのファンだが、SMものが苦手で、団さんの原作のものはあまり観ていない。

それでも一時代が終わったようでさびしい。

さて、例の人殺し焼肉屋を日テレの番組でほめていたらしい。

番組のON AIRから数日後だったので、そのために店に行った人が被害にあった可能性が大きいらしい。

この番組のMCはずいぶん内容に影響力を持つ人らしいが、そのことは、私にも評価はできない。少なくともその人がこの価格レベルの店に行くと思えない。ただ、経営者や関係者と仲良くしている場合はひいきして取り上げることがあるとか、自分の店にタレントが来ないと、番組をおろすようなことさえあるという話は聞くが、どの程度関連があるのかはわからない。

ただ、一つ気に入らないのは、日テレが、実質知らん顔をしている上、どうも、その番組のHPから知らない間に、その焼肉屋を取り上げた部分がカットされているということだ。

ネットの時代に不可能なことなのに、できればなかったことにしたかったのだろう。

東電の隠ぺい体質が散々問題にされるが、これは東電だけの問題ではない。

いちばん広く情報を伝えなければいけないマスメディア企業が隠ぺい体質なのである。

ここで、「われわれのリサーチが不十分だったため、また影響力のあるテレビメディアで取り上げたことで、被害を受けた人がいることは、非常に遺憾です」というようなコメントをネットが取り上げる前にでも流していれば、良心的な局、情報公開的な局と思われたはずなのだが、ほど遠いようだ。

いずれにせよ、情報隠ぺいは、日本のほとんどの企業を蝕む病なのであって、東電だけをコテンパンにするのは、納得がいかない。(どうも、いじめられている側を応援したくなるというのが私の悪い癖のようだ)

昨日、3万人の自殺を放っておいて、原発で死ぬかもしれない命にはナーバスだという批判をしたが、思ったより反響がなかった。

私の読者のみなさんが、「あいつなら、そう言いかねない」と想定内のレベルだったのかもしれない。

しかし、私にはやはりはらわたが煮えたぎるところがある。

万単位の人間が犠牲になっても、ろくな手を打たず、金持ちの味方のような税制を続け、福祉を打ち切り続けたのに、こと原発問題に関しては、わずかな被害も許さないという対応。

人間は死ぬ確率が100%だし、どんなものでもソーシャルコストというものがある。

交通事故がゼロにできなくて、年に1万人以上死んでいても、やはり自動車は禁止にできない。

アルコール依存症は200万人いて、アルコール依存症による自殺は年に5000人程度と推定され、アルコールによる肝臓障害なども含めると数万人の命を毎年奪っていても、禁酒法はできないだろう。

もちろん、私は基本的に犠牲者が出るからと言って禁止するという考え方に反対だ。

何人か死ぬ祭りがあったら、やめろというのなど、虫唾が走る。文化の価値は、数人の命より重いというような全体主義者なのである。

ただ、犠牲になるのが貧乏人というのが納得いかない。

アメリカでも脳死で臓器を提供するのは、医療費が払えない人で、臓器の提供を受けるのは高い保険に入れる金持ちだけだという。

日本も脳死法案を通して、人の死の基準までかえて、これが人の命を助けるためとかいうが、いまだに脳死移植は保険の適応外だ。

貧乏人は知らされていないが、金持ちの命を救うために脳死法案が制定され、貧乏人は脳死と判定されれば、その後は治療を受けられず臓器の提供者になるだけだ。

昔、現職の総理大臣が、脳死が疑われる状態になったが、その総理は脳死法案に賛成して、ドナーカードまでもっていたのに、脳死判定が行われた形跡はまったくない。

原発反対で電力コストが高くなると割を食うのは貧乏人だけの話だ。

私は平等に死ぬ確率が増えるほうがましだと思っているので、原発のほうが、貧乏人の見殺しよりはるかにましだと思っている。