昨日のブログに対して、さすがに中国の属国はいやだという声が強い。

私が言いたいのは、アメリカの属国より中国の属国のほうがましかもしれないということだ。

たとえば北朝鮮は、虚勢ははっていても中国の属国と言っていいだろう。しかし、経済的には完全に中国のお世話になっているし、あれだけ、よその国を怒らせる外交をしても中国が尻ぬぐいをしてくれるから潰れないで済んでいる。

アメリカの場合は、属国に恵んでやることより、属国からむしり取ることばかりを考えるだろう。

しかし、中国は属国から、そんなにむしり取るのかはわからない。日本のほうが偉そうにしている場合は、お前らのほうが偉いのなら、お前らのほうが金持ちならと援助やODAを要求するだろうが、逆に、こちらのほうがぺこぺこしていたら、恵んでやろうという話になるかもしれない。

アジアの文化ではペコペコしてくる人間には奢ってやるという話になるが(だからアジアでは乞食が食える)、コーカシアンはペコペコしてくると奴隷扱いする。

実際、日本が朝鮮半島や台湾を属国(植民地ではないと信じる)にしていたときには、日本が彼らからむしりとった金より、彼らに与えた(学校や鉄道などを作って)金のほうがずっと多かった。

聞いた話だから、間違いなら指摘してほしいが、日本がかつて中国に朝貢貿易をしていた時代も、こちらが貢いだはずなのに、向こうからの土産のほうが高価であることが原則だったという。

アジア人は基本的に見栄っ張りだから、下手に出たほうが得をすることは多い。

しかし、肉食人種の連中に下手に出ると、いいように食い荒らされる。日米安保を破棄して、中国と軍事同盟ということになれば、彼らに差し出す基地は今よりずっと少なくて済むだろう。アメリカは一応、民主主義、資本主義国家だから、そうなったからと言って日本に核を落とすとかいうことはないだろう。ただ、中国と組もうとした政治家が消されたり、社会的に消されたりすることはあるだろうが。

イラク戦争にしても、ときどき暴発はあったが原則的に国際法に則って、一般市民を殺さない形で戦争をする。トップの政治家や自衛隊の人たちは殺されることはあっても、アメリカが攻めてくる分には、日本人の一般市民がそう殺されることはないだろう。

だから、「ひょっとすると」アメリカと軍事同盟を組むより、中国と組むほうが安全かもしれないということだ。(なんどもいうが、そういう可能性があると言っているだけで、そうにきまっているというつもりはない)

でも、属国というのは、国民の自己愛は傷つく。いまだに朝鮮半島の人が日本を嫌うのもそこが大本だろう。

対米関係にしても実質属国であっても、体面上は平等関係ということになっている。

面子や体面や自己愛は重要なことなので、中国のように露骨に属国になれという国は、アメリカのようにオブラートで包んでくれる国より不快なのは当然だ。

実より面子や体面をとるならアメリカのほうがましということにもなる。

で、本題だが、そこまで誇りを大切にするなら、なぜ教育レベルを下げるのか、劣等民族と思われるのが、国際社会ではいちばんの屈辱のはずなのに。

なぜ貧困を放置するのか?これも体面を考えるとかなり恥ずかしいことだ。

尖閣のビデオ問題にしても、悪いことをしたのは中国なのだから、流出させて当然という世論が強いし、それを堂々と公言するコメンテーターもたくさんいる。

しかし、相手が無法だから、こっちが無法になるのなら、自分から野蛮国になるようなものだ。

こっちは情報の秘匿もしっかりしているし、約束は守るし、法も守るという毅然とした態度をとるほうが、周囲からみてはるかに神々しいだろう。なぜガンジーが、ヨーロッパ人を動かしたかを考えるといい。

拉致被害者には気の毒だが、拉致問題だって、日本人があの北朝鮮と同じレベルに落ちていくほうが、私には情けない。

やられたらやり返すというレベルの国ではないはずだと思うからだ。

向こうが無法だから、こっちだって一時帰国の人間を帰さないというので本当にいいのか?

こっちも野蛮だと言っているような気がする。

正当防衛という考え方もあるだろう。

でも、尖閣の問題の場合、ぶつかってくる船長を撃ち殺したら通じる理屈かもしれないが、あとからは正当防衛は通じない。

たとえばケンカで殺されそうになったときに、相手を殺しても正当防衛が認められることはあるだろう。

しかし、ケンカが終わった後、こいつを生かしておくと自分が殺されると思って、その人間を殺しに行った場合は、やはり殺人罪になってしまう。

昨日は、いろいろな考え方を提起したいと思って過激な発言をしたが、実は、私はこの手の建前は大切(属国になったほうが楽でも、意地をはるように)と思っている。

テレビがあまりに感情的な反応を煽る(出ているコメンテーターの出自を考えるとそうなるのも仕方ないが)中、品位のある対応とは何かを考えるのも、日本人として悪くないのではないかと私は信じたいのだ。