昔、高校の英語の授業で、politicianとstatesmanという言葉の意味が違う、前者はいわゆる政治屋という意味で悪い意味に使い、後者は、尊敬できる政治家の意味で使うという話を聞いたことがある。

今から30年以上前に習った話であるし、そうでなくても、当時の英語が古い用法が多いとか揶揄されていたから、現代英語でもそんな言葉の使い分けをしているのかはよく知らない。

ただ、その頃から、この二つの違いを意識するようになったのは事実だ。

小沢一郎という人が、世の中で、この「政治屋」の代表格のように見られているが、私は意外に単純な基準で、政治屋と政治家を区別している。

要するに政治家というものを自分ちの商売と考えているかどうかである。

私が野中広務という人が意外に立派な人かもしれないと思うようになったのは、もちろん、格差や差別と闘う姿勢もさることながら、息子に世襲させなかったことを評価しているからだ。

世間から立派な政治家の代表のように語り継がれる後藤田正晴氏は、甥の子供が世襲しているといえないこともないが、引退後、すぐに地盤を渡したわけでないし、政治を家業とみているような感じはしない。

もちろん、政治を家業とすること自体は悪くないかもしれない。それなりの帝王学だって身につくだろうし、親が立派だと子供もその信念を受け継ぐこともあるだろう。渡辺喜美氏などを見ても、親の夢なり、無念を晴らそうという意気は感じる。

ただ、多くの場合、政治家を家業と考えている人間は、子供に甘い。

小学校から大学まで続いている学校に入れ、勉強より、人気を得る方法を教える。今なら、話術やタレント性なのだろう。

結果的に、数学ができない(もちろん、学歴の話をしているわけではない。田中角栄氏などは、小学校しか出ていないが数学は抜群にできたそうだ。東京工大を出た菅氏が数学ができるのかけっこう怪しい)けれど、人気取りがうまい二世の政治家が何代も続いたため、国の借金が膨れ上がってしまった。

その計算ができない政治家の作った借金を金持ちの増税ではなく、消費税で払わされる国民はまさに悲劇である。現在の財政を赤字でなくする、つまり国債をこれ以上増やさないで済むようにするだけで、消費税を20%にしないといけない。ヨーロッパだと20%も取っている国は、学校も医療もタダである。

ついでに言うと、政治屋の人は国民のためにやっているわけではないから、国をよくするために勉強する気に乏しい。本も読まないし、ブレーンも自分にぺこぺこする人をつける。偉くなるほど頭を下げれば優秀なブレーンを集めやすくなるが、そういう政治屋は少ない。政治家と称する人に会うたびに思うが、私が無名なせいもあるのだろうが、みんな態度がでかい。灘校の後輩に、民主党でも自民党でもホープのように言われている人がいるが、あってみると、みんなタメ口か、偉そうな口をきくので呆れてしまった。若手の政治家で礼儀正しいと感じたのは、世耕さんくらいだ。威張るために政治をやるのと、少しでもいろいろと学んで国民のためになるようにしようと思う人では、人に対する態度も違うのだろう。

鳩山氏が親からの政治資金を贈与にあたるということでぼろくそに非難された。脱税の疑いもかけられた。しかし、形式的にはお金をもらったのは、鳩山氏個人でなく、その政治団体のはずだ。私有財産を政治のために使ってもらおうと寄付することが贈与にあたるかどうかは、本来は吟味が必要だ。昔から、金持ちが国を良くしようと思って、私有財産で政治家になろうとして貧乏になった話はいくらでもあるが、通常は美談とされている。

ところが、政治家の世襲の場合は、親の政治団体の金が、相続税もかからず100%引き継げる。

その政治団体の金の中には、さまざまな献金もあるだろうし、今なら国民の税金から払われる政党助成金からもらった金も入ってしまう。

少なくとも親の政治団体は、引退した時点で解散して、お金はきれいにすべきだろう。こっちのほうがよほど相続税の脱税だし、国民の税金や政治献金の私物化だ。

政治には金がかかるのは、残念ながら仕方のないことだ。子供に継がせる目的でなく、自分の政治信条の達成のためなら、ある程度許されていいのではないかとさえ思う。

何が言いたくてこの話をしたかというと、世間で政治屋と見られている小沢氏は、自分の子供に世襲させないと言っている(嘘だったら大恥だが)菅氏のほうは、息子を民主党から選挙に出している。

もちろん、政治屋であったとしても、国民のためになることをやってくれるのなら、それでいい。私は、偽善だって善行なら認めるべきだという行動主義の立場にいる。

しかし、そうはいっても、上記のような考察(私の決めつけ)があるせいか、私はどうしても、「政治屋」が好きになれない。

それだけのことである。