マナーの悪い若者が電車に乗っていたのに、相手が喧嘩が強そうだったから、何も言えなかったことへの自己嫌悪を感じたというメッセージをいただいた。

私も子供の頃から喧嘩が弱かったし、そのせいでけっこういじめられっ子にもなった。

高校生や大学生になると、子供の頃と違って、喧嘩で下手に殴られたり蹴られたりすると、大けがどころか死も恐れたし、失明するのではないかという不安もつのった。

実は高校2年生からコンタクトレンズを入れたのだが、体育の授業でサッカーボールが目にあたって、当時の医者に言わせるともう少しで失明するところだったなどといわれたのだ。

だから、下手に喧嘩をして目を殴られたら、失明をするのだとずっと思っていた。

そういういろいろな状況が重なって、けんかの強そうな人間に泣き寝入りをすることがいつの頃からか多くなった。

ただ、当時、もし喧嘩が強かったらどうしているだろうとも考える。

前にも書いたように、私はアスペルガーの傾向があって、すぐに手が出たり、口が出たりした。たまたま肉体的な喧嘩だと、絶対に負けるし、自分が痛い目に遭うことがわかっていたので、小学校5年生くらいからやらなくなったというのが真相だろう。

もし、あの時点で喧嘩が強かったなら、抑えが利かずに少年院くらいには入っていたかもしれない。

弱かったから、結果的に、けんかの強い奴を見返してやるというのが、人生観になった。高校1年生か2年生のときには、やくざの顧問弁護士になれないかと思ったこともある。

今でも、こうやって物書きをやっているのは、喧嘩が弱い分、減らず口をたたいてうさを晴らしている部分は大いにあるが、少年院に入ったり、暴力沙汰を起こして社会からドロップアウトしないで済んでいるし、けんかに強い奴を見返すことがモチベーションになって勉強をしたのだから、人間何が幸いするかわからない。

ということで、わけのわからないチンピラのガキによけいなことを言うより、そいつの末路を同情するほうがまだましだろう。

ただ、バカなくせに、何をやるかわからない悪ガキのほうが、まともなヤクザより怖いし、むかつく心理はよくわかる。明らかなヤクザのアメリカには、すなおに従う気になれても、ゴロツキの北朝鮮にはむかついて仕方がないのと同じことだ。

同様に、日本の秀才たち、エリートたちが、弱者に不寛容なのは、学歴が低い奴とか、能力の低い奴、若いころ勉強をしてこなかった奴を社会的弱者とみなさず、子供のころ、自分をいじめたけんかは強いけど、勉強ができない人間を投影しているのかもしれない。

仕事ができないとか、学歴が低いとかいう人間のすべてが、子供のころけんかが強かったわけではないだろう。人によっては、けんかはよわい、肥満、勉強はできないという条件が重なって、いじめられていた子もいるだろう。

そういう人が社会に出てまでいじめられるのでは、あまりに切ない。

昔の悪行がわかったら、その分だけ、生活保護費とか、ベーシックインカムから差し引くというシステムを採用すれば、若いころの、悪の抑止効果にならないだろうか?

逆にけんかが強い分だけ、いい年こいて、よけいに犯罪に走らせるのだろうか?

ところで、中国人の観光客はビジネスチャンスといいながら、彼らのマナーの悪さを問題にしていた番組があった。

資本主義の世の中ではお客様は神様である。

いい加減、日本人に金をもたせることに経営者たちが気づかないと、マナーの悪いアメリカの進駐軍に、こびを売っていた過去のみじめな日本人、「ヤスイ、ヤスイ」と連発する東南アジアの日本人相手の商人のように、日本人が堕落していくことだろう。