昨日のブログで、親切に送ってくださったメッセージに対して、情報操作だと切って捨てたように思われた方がいたかもしれないが、それは本意でない。

確かに、生活保護であれ、子供手当であれ、不正受給や無駄はなくすべきだ。また日本人の納めた税金がそういう形で外国人に流れるのももちろん悔しい。

ただ、私が言いたいのは、せいぜい数百万とか数千万の無駄については、役所はホイホイと情報を流すのに、数十兆、数百兆の特別会計については、具体的な数字がよほどのことをしないと出てこないし、マスコミにこれは無駄ですと流すことはまったくないという実態を考えてほしいということだ。

マスコミも報じやすい、一見無駄に見える、この手の目立つ無駄については、現実になくしても微々たる金しか出てこない。事業仕分けだって、あれだけ派手にやってもせいぜい数千億円(これですら現実にできるかどうかは怪しい)、特別会計の100分の1といった規模だ。

役人がひた隠しにする大きなところに踏み込んでいかないと、少なくとも増税をしなくてすむとか、国の財政を健全化できるレベルのお金というものは出てこないものなのである。

もう一つ言っておきたいのは、福祉的なもの、救貧的なものというのは、どうしても不正受給がでてきてしまう。ただ、不正受給があるからといって、それをやめてしまうことは役所の思うつぼだし、貧しい人が割を食う。

たとえば、生活保護の審査を厳しくしろというのは簡単だが、それで審査期間が長くなると飢え死にする人も出てきてしまう。

多少の飢え死にが出てもいいから、無駄をなくせというのでは、少なくとも福祉の精神に反する。しかも、その無駄というのが、規模で言うと、ほかの無駄とは比べ物にならないくらい小さいものなのだ。

不正受給の罰を重くするとか、損害賠償をするとか、そのような法の整備が重要なのであって、それがあるからやめろとか、厳しくしろというのは、先進国のあるべき姿ではない(何度もいうが、先進国をやめるなら、それも可能だ)

さて、カープ問題で、市場原理を批判すると筋違いだというメッセージも何件かいただいた。

私のブログの読者の方には、勝ち組の方も多いようで、この手の批判はときどきいただく。

私自身も、受験競争を肯定する立場であるから、競争がいけないと言っているわけではない。

JRにしても、NTTにしても、民営化がサービスをよくしたのか、競争がサービスをよくしたのかというと、後者のような気もする。

JRにしても、東北などにいくと、みどりの窓口の対応は決して良くないし、少なくとも平気で人を待たせる。競合相手がいないと民営化の恩恵などそんなものかと思ってしまう。

JALのような会社でも残しておかないと、結果的にANAが独占するのはあまり好ましいとは思えない。

だから、アメリカのような国でも独占禁止法はやたらに厳しいのだろう。

何が言いたいかというと、私が批判したのは、ルールなき競争、野放図な競争である。

サッカーのほうが、リーグから追い出されるくらい競争が厳しいというが、私もサッカーに詳しくないが、かなり順位が入れ替わっているということは、特定のチームに戦力が偏らないような、なんらかの方法が取られているのだろう。少なくとも放映権に関してはサッカー協会の管理と聞いている。

広島カープと巨人や阪神とで、戦力の差がありすぎることがなぜ放置されるのかということが言いたいのだ。

結果の不平等は許せても、機械の不平等はなるべく減らすべきというのが、現代社会の競争というものだろうし、laissez-faireということばにしても、アメリカでさえ、そんなにいい意味で使われていないようだ(たとえば、laissez-faire motherというのは、放任主義のしつけをしない親という意味で使われているようだ)。

自由放任であってもしつけや教育が必要なように、市場にだって一定の規律は必要なはずだ。

また、鼻から競争を最初からあきらめる人間が半分近くいる社会はやはりおかしい。

私が金より名誉をインセンティブにする社会を理想とするのは、金はバカでも引き継げるし、ずるで稼ぐことができるからだ。名誉は、親がいくら偉くても子供の努力なしには得られないし、ずるをすると逆に名誉が損なわれる。

昔の日本の親も子供たちも、名誉のための競争をしていたのではないか?昔の東大卒は決して経済的には大金持ちになれたわけではないが、名誉があった。職場でも、部長と課長で、あるいは平社員と比べても大した給与格差はなかったが、名誉があった。

お金で差をつければいいというのは、一見公正に見えるが、意外に機会不平等になりやすい。

何度も言うが、まともな競争であれば私も大歓迎なのである。