誤字、誤変換を指摘してくれた方を私がひどく攻撃したように、あるいは立腹したように思われているかもしれないが、彼が攻撃的だったわけでも、非難めいた言い方でもなく、基本的にはジェントルなメッセージだったと思うし、悪いのは私のほうである。ただ、事情をわかってほしい、あるいは改善の方法が、ブログに書いたようなことしか思いつかないということである。

多くの励ましのメッセージをいただいたが、会ったこともない人間に身長詐称とか言われたような話とは全然異質の、ただしい批判だと思う。私の理屈に異論があるのは結構だが、私としてはいろいろな考え方があっていいとは思う。しかし、字の間違えのようなものは、ないに越したことはない。ただ、逆にこっちが一方的に悪いもののほうが言われてつらいのは夫婦喧嘩と同じことだ。

昨日、妻がカンブリア宮殿を見ていたのだが、残りのすべてのチャンネルでバラエティしかやっていないので、仕方なく見ているという。

なんでこんなに教養番組のない国なのだろうと情けなく思うし、ニュース番組にしても、この手の番組にしても、MCが自分の意見を押し付けすぎるのはいいとしても、ほかに選択肢がないのがまずい。

要するに、自由経済至上主義の番組と、規制派の番組があれば選択の余地があるが、選択の余地がない状態で、MCが自分の意見を押し付けるのなら、簡単に大衆が洗脳されてしまう。

学力世界一のフィンランドでは、討論番組とドキュメンタリーとニュース番組が人気番組のベストスリーだそうだが、親が6時くらいまでに家に帰ってきて、番組にあれこれ意見を言うから、そのような状況になるらしい。日本では、テレビのいうことをうのみにする人が多いから、簡単に政治家の支持率が下がるし、表紙を張り替えるだけで支持率が急上昇するようなふざけたことが起こる。

で、その番組の中で、中国とインドの若者パワーの話をしていた。

確かにインド工科大学は7000人の定員のところに50倍の競争率だそうだが、受けるレベルの人だけで東大理Ⅰに入る人並みかそれ以上の学力だろう。毎年35万人くらい東大並みの学力の人間が高校から出ていくということがすごい。

学力では、中国やインドに端から勝てないが、村上龍氏は、日本の政治家や財界人が歳をとりすぎているし、インドや中国は若いことをしきりに指摘する。

しかし、日本と中国やインドで事情が違うことは、番組の中にも答えが出ている。

日本は中高年以上の学力が高いが、中国やインドでは中高年以上の教育レベルが低く、若者が教育レベルが高いのだ。

要するに年齢ではなく、知的レベルの高い層が指導層になるのは当たり前の話だ。

若い人のほうが考えが柔軟で、実行力があり、年寄りがダメというのは、私に言わせたら完全なバイアスだ。

少なくとも私は、過去は平気で決めつけをやるし、考えることもつまらなかった。人生経験を重ねるうちに世間様と違った考えができるようになったと自負している。

実行力だって今のほうがあるから、後先のことを考えずに映画を作ったりしている。

若ければいいというバイアスに支配されて、今の低学力の若い世代を登用すれば余計危険だろう。

むしろ、インドや中国がまねできない技術は中高年以上の熟練労働のほうだろう。ITなんかは彼らのほうが勝っているかもしれないし、こちらが勝っていることもすぐまねされる。

でも、ファスナーやベアリングやレンズの技術などはいくらまねをしようとしても、なかなか追いつけない。

ところが、こういう国際競争力のある労働者を平気で日本は切り捨てて、中国や韓国に献上している。

金持ちがアホな国だから日本はダメなのである。

中国やインドに対しては、彼らの汎用品市場を目指すなら、労働力を彼ら並みの値段で使わないといけなくなるが、彼らが高級品だとあこがれるものを作ることに特化するなら、労働力をむしろ大切にしないといけなくなる。

日本のボンクラ経営者たちにはそれがわかっていない。汎用品市場で勝てる目算があるのだろうか?

ついでにいうと、インドやアメリカのような例外国をのぞくと、中国もふくめて、ヨーロッパでもすべての国が高齢化の問題を抱えている。

中高年や高齢者を上手く使って、高齢者向けの優秀な商品を開発するほうがマーケットが開けているという発想がいつまでももてず、政治家や財界人は若いほどいいという日本のマスコミは、定年年齢、現役引退年齢(テレビでは、40になると現場から離れさせられるらしいし、雑誌では40代半ばの人を編集長にするために、編集者はみんな若い)が日本の年齢構成(44歳が平均年齢なのだから。日本では、雑誌やテレビの作り手のほとんどすべてが、若い方半分に入ることになる)のミスマッチを早く解消すべきだ。