昨日は、ちょっと弱気なブログを書いたら、多数の方から激励のメッセージをいただき、本当に感謝している。

すべてにレスポンスしたいのだが、ちょっと気になるものに対して、コメントしたい。

一つの方法として、「書きたいときだけ」「暇なときだけ」書くのでなく、「たまに休んでみたら」というメッセージ。さすがに私の同業者だけのことはある。私もメンタルケアが本職だから無理はしないということも考えたい。

批判につきあっていると格を下げるというメッセージもいただいた。これはその通りで、実は、そういうところに私のまだ治せていない人間性が出ていると思う。ずいぶん、昔よりは丸くなったのだが、まだまだ発展途上である。

校正のボランティアを募集したらというアイディアもいただいた。そのボランティアには、私のゲラをサイン入りでプレゼントするとか(「← 副島隆彦さんのサイトに書いてあったののパクリです」とのことだが)。このくらいのことなら確かにできるが、引き受けてくれる人がいるかどうか。
とりあえず、この場を借りて募集したい。

「誤字はそれほど気にならないのですが、時々まったく同じ文章が二度繰り返されてるのがかなり気になります」という意見もいただいた。

実際、ときどき自分のブログを読み返してみると、そういうことが多い。コピペのせいだと思われているようだが、たぶん違う。

ある時期から、文字を大きくするために、ドラッグするときに、なぜか残りの数行の文が繰り返されるようになってしまうようだ。アメブロではよくあることなのか?それとも私のPCの問題なのだろうか?

さて、本日のブログで取り上げたいテーマは学歴コンプレックスについてである。

私がしきりに、学歴をつけろ、学歴のある人、それを得たい人に、お金より名誉というインセンティブをつけろというのは納得できるが、「学歴は無いが社会的にそれなりの成功を収めている人物達の一部が、自分に学歴が無いことを悩んでいるのではないか、とお感じになられた事はございませんでしょうか?」という痛い質問をいただいた。

この気持ちは実は非常によくわかる。

私が東大の理Ⅲに入って一番よかったことは何かと聞かれたら、こういうコンプレックスをもたないで済んだことだと答えるだろうから。私自身、非常にひがみっぽい人間なので、もし落ちて、別の大学に行っていたら、一生コンプレックスをもつか、一生、受かった連中をひがんでいたかもしれない。

逆に東大の理Ⅲに入ったことで、相手の学歴を聞いてもびびらないですむ。東大卒の政治家や官僚を目の前にしても、「たかが文Ⅰを出てるくらいで偉そうにすんな(本当に偉そうな奴が多い。民主党の官僚あがりの後輩と会うときでも、年上を年上と思わないのをみるにつけ、なんぼ学歴があってもアホはアホと思ってしまう)」と思えるのもありがたい。

ときに、あんまりアホな奴をみると、見下したくなるが、それは学歴に関係ない。学歴が低くてアホな奴もいるし、学歴が高いのにアホもいる。

要するに東大の理Ⅲに入ったおかげで学歴で人を判断しなくて済んでいる(ただし、子供の前では、子供に勉強をさせるために学歴差別をしているふりをしている。子供に学歴がつけたかったら、高学歴の人間を子供の前で尊敬するふりをするのは、重要なテクニックである)。

逆に学歴が低いのに優秀な人もものすごい数で知っている。学歴が低いのに社会で成功するということは、実は東大を出て社会で成功するより難しい。むしろ頭がいいと誇っていいくらいだ。

私が学歴重視を主張したり、学歴社会であるという幻想を親や子にもたせるべきだと思うのは、要するにすべての子供に勉強してほしいからだ。学歴社会幻想が、少なくとも庶民レベルからずいぶん薄まってから学力低下が深刻になってきている。勉強をして学歴を得たら偉くなれると子供も親も思っているほうが、世襲でないとダメと思うより、よほど子供が勉強する。佐藤栄作や岸信介を輩出した山口県などは、昔は大量に東大合格者を出していたが、今は悲惨な状態だ。

そういう点で、子供に勉強させるためのテクニックとしての学歴重視論と、実社会での学歴重視論を混同してほしくない。

ただ、今のようにまったく勉強もしないで、AOや推薦や付属校から、有名大学に入る人が出たり、あるいは三流クラスの大学だと、名前を書くだけで入れるようになってしまうと、やはりぜんぜん勉強をしないで社会で成功するのは困難だろう。

このメッセージの主が、諸事情でまったく勉強しなかったために底辺大学に行ったと書いているが、どのレベルの話なのだろうか?文章を見る限り、かなりの知的レベルと拝察されるが、勉強はしないがホンを読んでいたということだろうか?

少なくとも名門大学に入れなかったが、それだけの知性はあるということだろう。やっかいなのは、マスコミに踊らされて、結果的にそれだけの知性を得られなかった人は、この人のように後から成功するのは困難だということだ。

どうすればコンプレックスが解消するのかは私にも難しい質問だ。というのは、私だって、落ちて別の大学に行っていれば、この歳で試しにもう一度チャレンジするくらいしか、コンプレックスの解消ができない気がするからだ。

ただ、私は、知識の整理とか、子育ての足しとかいろいろな点で試しに大学受験をしてみるのもいいと思っている。昔よりは確実に問題は易しいし、実用英語ができて、国語力も社会で身につけたら、それなりの点がとれるはずだからだ。

あるいは、少しずつ資格試験を受けてステップアップするという手もある。

実は10年以内に、OECDが大人向けの学力テストを始める。それでいい点がとれれば、国際的に見ると優秀の扱いをうける。受験生のころは負けていたが、今は東大卒に勝っているとその試験の点でいうという道も開けてきたのだ。