J-castニュースというニュースサイトで、若者がお金を使わなくなったことは、若い世代のシゾフレ人間化(これに関しては解説するスペースがないので、ネットで調べてほしい)が関与しているというようなコメントを書いた(実際は、インタビュー記事)ら、泣きたくなるほどの批判メールを寄せられた。

ニュースの内容は下記
http://www.j-cast.com/2010/05/02065374.html

批判メッセージの概ねの趣旨は、下記のようなものだ。

1.若者がお金を使わなかったのは、使えないくらい貧しいためであり、それをまったくわかっていないで、いい加減なことを書くな

2.ものを買わない人間を精神病扱いするな

というものに集約されるようだ。

1に関しては、確かに、このインタビューがいきなり、「以前と比べて精神構造の変化があったのか?」という質問だったので、今の若者の貧困の問題という当たり前の問題に触れることができなかった。私自身は、このブログの読者の人ならわかるように、現在の消費不況の根本原因は、労働分配率の低下や格差、貧困問題にあると思っている。だから、貧困対策や、ベーシックインカムについては早急に行うべきだし、消費税の増税より先に、相続税を100%にして、累進課税を再度厳しいものにすべきと考えている。貧困対策だけだと治安の維持には役立ったり、あるいは左派政権の誕生を阻止することになっても、一億総中流型の国に戻らないと、「高くてもいいモノ」を買う国民に戻らないと考えているからだ。さらに死ぬまで貯金を残しても損をするというインセンティブもないと難しいだろうから、相続税100%というのは、金持ちに対するインパクト以上に、一般市民に対するインパクトが強いと考えている。

ただ、問題は、確かに若者層の貧困がひどいといっても、失業率や相対貧困率のデータを見る限り、せいぜい20%くらいの問題のはずで、正社員で雇われた若者や、親の家から仕事や学校に行く若者、おそらくは80%の若者はデフレ傾向もあいまって、そんなに苦しい生活になっていないはずなので、そういう人までものを買わない、旅行も行かない、自動車も買わないという問題である。

実は、貧困問題は、アメリカのほうが深刻である。貯えがないと、たった一度病気をしただけで破産の形式をとって、クレジットカードも作れない立場に追いやられる。大学を出ていないというだけで、一生年収二万ドルレベルの生活に甘んじないといけない。にもかかわらず、ちょっと景気が回復したくらいで、あっという間に消費が復活する。ろくに貯金もしないで、あるいはカードで平気で借金をしてまで買い物をする。まったく違う国民性と思われがちだが、アメリカも日本もシゾフレ人間の国という意味では同類と私は考えている。みんなが買えば買うし、みんなが買わないと買わないのである。

ということで、今回のインタビューは貧困層の若者の話をしているわけでなく、若者全般の話をしているのだが、誤解が大きかったようだ。

2に関してだが、これはインタビューの記事を読んでもらえばわかるように、正常な人間にも統合失調症よりの側面もあるし、うつ病的な側面があると明記しているように、ものを買わないわかものを精神病扱いした覚えはない。

統合失調症型と呼ばれることで、それだけ腹が立つということは、統合失調症というのはそれだけ忌み嫌われていることを意味する。

実は、私もそれは予想していた。だから、シゾフレ人間(このことばを使っているとなぜかこの手の講義がない。語源だけをたどると、シゾフレニアschizophreniaのほうがやや貶下的なニュアンスが強く、それを日本では精神分裂病と直訳されていたが、差別的という理由で統合失調症と呼び直すことになったいきさつがある)ということばを使うようにしてきた。

精神神経学会が、精神分裂病を統合失調症という病名に呼び方を変えたのは2002年の話だった。

呼び方を変えたくらいで差別はなくならないし、今度は統合失調症が新たな差別用語になると私は予想していたし、そういう反対意見も書いた。それが現実のものになったということだろう。

あなたはうつ病型といわれるとそれほそ腹が立たないのだろうか?私の経験で言うと、あなたはトラウマを抱えていると言われると、怒る人はほとんどいなくて、わかってもらえたと喜ぶ人のほうが多い(これは患者の話でなく、一般の人の話だ)。たとえば、今の不景気は日本人がうつ病型になっているという風に答えたら、同じような非難はきたのだろうか?統合失調症型と言われると、これだけの怒りが向けられることにかなりの失望感を感じたのは事実だ。

ちなみに、この呼び名を変えた際の精神神経学会の理事長は佐藤光源という男だ。私の学位論文(これは日本人で初めてアメリカ精神分析の最大学派である自己心理学の国際年鑑に採用された論文である)を、統計解析をしていない(これでは精神療法の論文はぜったいに学位論文にできない)という理由で落とした人間である。その年に百編以上出た東北大学の学位論文で落ちたのは、私の論文だけである。日本人で初めての論文が、佐藤光源氏に言わせるとその年の東北大学の学位論文の中で最低だったということになる。精神療法が精神科医にいらないというような人だから、名前を変えたら差別がなくなるという短絡的な考え方しかもてないのだろう。

実際、私に寄せられたメッセージは偏見にみちあふれたものが多かった。お前のほうが治療を受けろとか、お前が精神病だとかいうものだ。人と違う意見を言うと精神病の治療を受けないといけないとか、強制入院させられるような社会(北朝鮮でもそこまではやっていないだろう)の怖さを考えてみればいい。そうなった際に、政治の片棒をかついで、人と違う意見をいう人間を病院に入れるのは、我々精神科医の側であって、メッセージを送る側の人間ではないという危険も気づいてほしい。

おそらくは自分たちの貧困がわかってもらえない不満のはけ口が私になったのだろうが、本来なら為政者や、あるいは、金持ち向けの減税を行って、消費税を上げないと日本がおかしくなるというようなことを書いて、金持ちに有利な言説をふりまく(実際、そういう人のほうがはるかに影響力がある)ような人に向けるべきことだろう。

ただ、一般的には、批判メールや批判メッセージで人の意見を変えることは困難だし、逆に意固地にさせることが多い。私も、金持ちの味方のような言説を吐く人に直接のメッセージを送ることはなく、ブログや著書という形をとるのは、本人より周囲の意見を変えたいと思っているからだ。

人間は感情の生き物である。あまり口汚く批判されると、ついムカつく。貧しい人と連帯するのは損だから、金持ちの味方に「変節」してやろうかと思うことだってあるだろう。

私もたぶんにもれす単純な人間だ。私が在日の人を嫌いになったのは、小学校4年生くらいのときと、中学校に入ってから、在日の同級生に殴る、蹴るの目を受けたという、ただの個人的な私怨からだったし、逆に韓国好きになったのは、私の著書が評価され、元首相も参加するようなカンファレンスの基調講演に呼ばれたからだ。

だから、精神障害者解放運動をやっていた際も、相手をやりこめるというやり方が建設的と思えず、そこから身を引いた。

本来、精神障害者という別の弱者と連帯すべき貧しい人たちが、精神障害者と一緒くたにするなと怒り、おそらく精神障害者のほうも貧しい人や在日の人と一緒にされることを喜ばないだろう。

でも、それでは力にならない。

金持ちは賢い。私が、相続税100%論、累進の復活などと唱えても、批判してくるのは、貧しい人のほうだ。「そんなことをすると金持ちが日本から逃げていく」と。

金持ちたちは、そういう形をとらずに、私の前ではニコニコしながら、執筆依頼や講演依頼を減らすという形で私をじわじわと兵糧攻めにする。

金持ちケンカせずとはよく言ったものだ。

ただ、これだけの嫌がらせを受けても、私は国のためになると思うから、相続税100%や累進の復活を含めて、貧しい側に有利な政策が展開されるように頑張りたいし、精神障害者への差別をなくすように頑張りたい。

実際、精神分析の理論では、自己愛が傷つくと攻撃的になるとされている。貧しい人たちは、そういう心理状態なのが痛いほどわかる。

実は、私が2ちゃんで批判されているが、誤解によるものだし、相続税100%論を知ってもらういいチャンスだから、怒らずに、そういう人を味方につけるように進言してくれたメッセージを送ってくれた人がいる。心から感謝したい。

ところで、シゾフレ人間の適当な解説はないかとネットで検索していたら、私の中学生のころから尊敬していた筒井康隆先生が、シゾフレ人間の引用をしてくれていたことを知った。

それだけで本日は嬉しい気分だ。