改正臓器移植法の「親族優先提供」などに反対、懸念を示している人からのメッセージ。

私は、基本的に、少なくとも脳死移植については、情報操作、少なくとも必要な情報がきちんと提示されない形で論じられていると言う考え方の持ち主である。要するに、助かる人が少なすぎるのに、あたかも法律を変えれば多くの人が救われるような幻想を、一般の人にも臓器待機者やその家族にも持たせすぎているのが問題だ。

心臓移植だって、肝移植だって、毎年1000以上はやらないと必要な数にはとても追いつかないが、法改正の前は年に10を超えたことはない。趣味で移植をやる医者にとっては(でも、こんな少ない数で、移植手術が本当にうまくなるのかという疑問もあるが)、ちょうどいい数なのかもしれないが、本気で人を助ける数としては少なすぎるのは言うまでもない。

実は、日本は脳死移植が合法化されるまでは、人工心臓では世界一の記録ももっていたし、子供にでもできるし、また近親者からのものなので、生着率もいい生体肝移植でも世界でトップレベルだった。もちろん、合法化された脳死肝移植より数十倍の人を毎年救っていた。

今後iPS細胞から臓器を作ることができるようになったり、人工臓器の開発が進んで移植が必要なくなることが理想であって、過渡期である以上に、希望者の1%未満の人しか救えない、99%以上の人を見殺しにする脳死移植などという中途半端なテクニックに過度な期待を寄せるべきでない。ついでにいうと、移植を運よく受けられた患者だって、一生免疫抑制剤を飲み続ける、つまり軽いエイズのような状態で一生を送ることになることも忘れてはならない。

実は薬害エイズについても、非加熱製剤を打った医者はぼろくそに言われたが、クリオしか使えなかったころの血友病患者の平均寿命は20代半ばだった。移植を受けないと20代までしか生きられない人を移植医療で免疫抑制剤を飲ませて半エイズ状態にする医者は学会の重鎮だから、英雄視されて、ほっとくと20代半ばまでしか生きられない人に非加熱製剤を与えた医者は、その患者が運悪くエイズになると(約半分の確率だったようだが、免疫抑制剤は移植を受けた人全員が飲まされる)、逮捕された。こんなダブルスタンダードがあっていいのだろうか?

第二外国語について、昔私が中国語を勧めたことについての質問。

私自身は、日本が将来中国の属国になるのではないかと心配しているが、中国がこれから発展することがあっても落ち目になる可能性は低いと私は信じている(意外にそうでないというまともなエコノミストも多いことは付記しておく)。やっている人の数を考えると悪くない選択のはずだ。

大学院受験に失敗したが、塾就職とどっちか迷っている人。

塾に勤めながらでも大学院の受験準備はできる。むしろ大学院の多くは就職先が意外に少ないという覚悟ができているかの話だろう。

医学部の定員増について既存の医学部の定員を増やしたほうがいいのではというメッセージ。

残念ながら、既存の医学部を増やしても、今ある医局の体質が変わらない限り、臨床軽視の、専門家ばかりを作って、高齢社会には対応できない。

これから認可される医学部がどういう教育をするかわからないが、新しい分だけ、時代のニーズに合わせた医師教育をしてくれる可能性が高いことを期待したい。

さて、本題に入るまでの質問への答えが長くなった。

実は私、学研から『和田式 勉強のやる気をつくる本』という本を出した。

また和田式ですかと言われそうだが、今回は、やる気の出し方をなるべくたくさん紹介した。75のテクニックや変化球を含めると150ものやる気の出し方を書いている。

というのは、最近の心理学では、どんなやり方でやる気がでるかは人それぞれという考え方が強まっているからだ。アメとムチではないが、ご褒美をあげるとやる気になる人もいれば、出来そうだと思うとやる気になる人もいる。周りがやっているからやる気になる人もいる。あるやり方でやる気がでなければ、別のやり方を試せばいい。

そのためにはやる気の出し方をたくさん知っているほうがいいというのが今回のコンセプトだ。

どれか一つくらいは絶対に役に立つと思うので、ぜひ買ってほしい。