昨日問題にした仰天ニュースで医者が、「拒食症は誰が悪いわけでもありません」と語っていたメッセージについて。

もちろん個別事例については誰が悪いわけではない。マスコミがいくらやせすぎモデルを礼賛しても、若い人みんなが拒食症になるわけではない。自殺報道にしても、それによってみんなが自殺するわけではない。ただ、報道後の自殺が増えるだけだ。しかし、WHOも国連も自殺報道のガイドラインを出している。もちろん、日本は先進国の中で例外的に守っていない。同様に、やせすぎモデルが礼賛される国と、禁止される国では明らかに拒食症になる率が違う。個別事例で「誰が悪いわけでも社会が悪いわけでもない」ことも確かだが、確率論から言うとやせすぎに憧れる社会のほうが危険だ。たとえば、テレビが「タバコはストレス解消にいいからどんどん吸いましょう、タバコを吸った人間の全員ががんになるわけではありません。がんになるのは複合要因がからんでいるから、タバコだけのせいではありません」などとは口が裂けても言わないだろう。でも、タバコを吸わない人間でもガンになるし、タバコを吸う人間でもガンにならない人間もいるが、タバコを吸うほうが吸わないより確率が高いだけの話だ。同じようにやせすぎモデルを礼賛したり、自殺報道をいい加減にやっても確率が高くなるだけの話だが、テレビのように大勢が見るものであれば、確率が高くなるだけで、数十人、数百人の人が平気で死んでしまう。それを「誰が悪いわけでもない」で開き直るのはいかがなものかと言いたいだけだ。

携帯電話運転の危険をキー局でやっていたことを指摘する人がいた。しかし、そのキー局が携帯電話運転をした人は飲酒運転並の厳罰化をやって、会社は懲戒免職にして、免許を取り上げろと言っていたかどうかが問題だ。スピード違反が危ない、花粉症の薬が危ないとまでは、キー局だっていくらでも言う。しかし、それを飲酒運転並の厳罰化にしろというところがない。そこが問題なのだ。危ないというのと、こいつらは許さないからどんな罰でも受けさせろと言うのは意味が違う。

確かに、ローカル局でも飲酒運転をやめさせるキャンペーンは張っている。私が静岡の放送局で、地方の人は公共交通がないのだから、アメリカのように地方によって罪が違ってもいいのではという発言をしたら、見事にとめられたし、そんなことはないと激怒された。しかし、その局では、当たり前のようにタクシー券を社員が使っていた。地方のテレビ局の人間には、地元の庶民の気持ちがわからないのではと私は訝しく思ったものだ。

さて、日本の国は悪いと思ったら、許さないという点では徹底している。ついに、飲食店では禁煙が原則になるそうだ。私は実はタバコは吸わない。そのせいか、受動喫煙は、けむいと思う。でも、だからといって、国が公認して税金までとっているものについて、法とは関係なしに禁止するのはどうかと思う。いっぽうで、国が公認しているわけではないのに、また依存症になって何人も自殺者を出しているのに、パチンコの景品交換は、禁止される気配はない。このダブルスタンダードは何なのか?

さて、キムヨナを見るにつけ、韓国の国力に痛感させられる。審判を買収したかどうかはともかくとして、審判に好印象を与えるための接待攻勢くらいはいくらでもしているだろう。勝つためには何でもするところが韓国の強さなのだ。

韓国の人は学歴が高い人を素直に認め、芸能人にまで高学歴を求めると言う。しかし、パチンコ屋がスポンサーの日本のテレビ局は、ごくせんやルーキーズのような不良礼賛番組を流し続け、勉強をすることがダサいことだといい続ける。

まさにスポンサーに頭が上がらないとはこのことだ。

もちろん各種学力調査で日本人の学力は韓国人の学力に負け続ける。

しかし、日本のテレビ局は北朝鮮の脅威は伝え続けるが、韓国に負けている危険は報じず、パチンコのCMを流し続ける。

仮に核兵器をもっても、一発落とせるかどうかが関の山のぼろぼろの国と、日本と工業製品のライバルの国とどっちが脅威なのかを日本人は冷静に考えるべきだ。トヨタの公聴会でも積極的に発言したのはヒュンダイのロビーストだという。

いまだに資本主義の国は味方で、共産主義の国は敵という図式でしか考えられない能天気さ。

マスコミがクズの国の将来は暗そうだ。

かつて日本人は半島の人を、「キムチくさい」と差別したそうだが、日本人が「納豆くさいノータリン民族」と差別される日は近い。私は納豆が食べれないからそれでもいいが。