和田式の勉強法で大学に合格されたという方から、「人は成功体験がないと努力する気になれないというのが身にしみてよくわかりました。大学に入っても勉強を続けたいと思います」というメッセージ。こういう話は嬉しい。和田式勉強法を批判する人からは、受かりさえすればいい勉強法だと受かってから努力しなくなるなどと批判も多いが、実際には、成功体験が人間を変えることは多い。人間観察ができていない人や長期のフォローができない人が勉強法の話をするのは、やめてほしいものだと常々思う。

私の暗記数学についても批判が多いが、数学は思考が大事などと言われても、現時点で数学嫌いの人間は数学に手をつけようとしない。暗記だといわれるから、文系の人間や数学嫌いの人でも数学をやる気になるのだ。

手品を見せても手品をまねする子供はほとんどいないが、種明かしを見せるとまねをする子がものすごく増えるのと同じ原理だし、また人間というのはできそうなことにしか努力はしない。ゴルフをしたことのない子供や運動神経が悪いと思っている子供は石川遼がどんなにスターで金を儲けていても、まねをしようとはしない。

建前ばかり言っている人間には教育問題は解決できない。これがいろいろな勉強法を20年以上訴え、また学力低下を10年以上嘆き続けている人間からの結論だ。

お笑いの芸のレベルが低い話をしたら、関西の芸人の関西の自虐ネタが不愉快だというメッセージ。

確かに大阪出身だけでお笑い好きだと思われるのは不愉快だし、大阪出身だと面白いと決めつけられるのも不愉快だ。昔、黒人の人に、黒人だというだけで、音楽が得意と思われて不愉快だという話を聞いたことがあるが、それと同じことだろう。

実際、街の声を聞く時、そうでなくても、大阪の声を聞くことはないが、たまに聞くときは必ず道頓堀の橋の上だという。これもおかしな話だ。ここにいる大阪人が大阪の代表というのは、歌舞伎町にいる人間が東京人の代表とするのと同じようなもんだ。

さて、オリンピックたけなわだが、東海大学のスノーボードの選手が服装が乱れているということで大問題となっている。

もちろん、だらしのない格好は私も不愉快なタイプだが、国威の発揚だとか、お金の出し甲斐という点では、服装はきちんとしているが全然世界の相手にならない人間より、服装はだらしなくても、メダルをとる選手のほうがありがたい。日の丸がみれたり、あわよくば君が代が聞けるほうが、国威の発揚になるからだ。

おそらく、この選手が勝てば手のひらを返したようにほめることだろう。

そういうマスコミのダブルスタンダードが不愉快だ。

本来、日本語の見本にならないといけないアナウンサーが漢字ができないことを自慢するようにバラエティ番組にでていたり、服装以外の乱れもひどい。しかし、日本の子供たちは国語の年間の授業時間の10倍以上の時間テレビを見ている。おかげで地方の子供も方言をあまりしゃべらなくなっている。

朝青龍も含めて、スポーツというのは勝つことが第一だろう。朝青龍だって、相撲のルールは守っている。土俵の上で反則は指摘されていない。ドーピングの薬剤を使っているわけではない(実際はわからないがばれたことはない)。

実は、ルールを守っているし、警察にもつかまったわけではないのだ。

ルールブックに出ていないルールで人を縛り、気に入らない奴だけ追放するという制度がむしろ日本的だ。

東海大の学生さんが勝ったとたんにもてはやすのなら、朝青龍はなんだったのだろうと本当に後味が悪い。

こんな差別をするのなら、外国人など最初から入れなければいいのだ。