広島の高卒の会社員の方から6年後輩の大卒の人の3分の2の給料で、子育てに頑張っているのに、子供が勉強してくれないという趣旨のメッセージをいただいた。

こんな時代だから子供を勉強させるのは大変だろうし、政治が悪いせいで公教育をぼろぼろにされた広島はなおのこと苦労が多いだろう。

この方は、母が書いた本も読んでいただいたそうだが、あの本でも多少の見栄があって書いていなかったことがあるので、それを正直に伝えたい。

私の父親も学歴社会の、あるいは学閥企業の犠牲者だった。

父親の会社は慶応閥のひどい会社で、慶応を出ていないと出世できないといわれていたし、その会社は今はつぶれてしまったが、物心をついてからわかったことだが、父親が出た大学は夜間で、会社には大卒の扱いを受けていなかったらしい。

結局、子会社の課長止まりで定年を迎えたが、わが家の暮らしは決して楽ではなかった。

私たち兄弟が私立の中学に行くだけの財力がないため、母親はしばしばパートに出ては体を壊してやめていた。

そんな中で、われわれ兄弟は、社会の現実をかなり小さい頃から、正直に聞かされていた。同じ実力なら学歴がないと損をすることも正直に聞いた。それに怒るより、学歴をつけたほうが得だし、世の中はそう変わるものではないという話も聞かされた。

ついでに言うと、私は小学校を6回も転校して、どこに行ってもいじめられたのだが、「お前は社会に不適応な人間だから、医者なり弁護士のような資格をとっておかないと生きていけない」などとも言われた。変わり者なら医者になればいいというのは、今考えたらひどい話だが、母親なりに子供の行く末を考えた結果だろう。

そういう点で、私も貧乏をしたくないし、差別されたくないというのが勉強をする強い動機になったのは確かだろう。

父親の立場で、自分が高卒で差別されているということを告白するのは、沽券にかかわることなのだろうが、代わりに「お父さんは本当は仕事ができるけど、大学を出ていないばかりにひどい目にあっている」と言ってくれる人がいないなら、そういう社会の現実を正直に伝えることも必要だと思っている。

私も、今(いつ落ち目になるかわからないが)たまたま恵まれているが、資産家でもないし、娘達に「私はほうぼうで相続税を100%にと言っているので、お前らが財産の相続を受けると恥をかく」と言って聞かせて勉強させたものだ。(それでも思ったように勉強してくれないが)

娘を見ていて思うのは、私は親が貧しい中から一生懸命学資を出してくれたのを痛感したが、彼女達はそれがないから勉強しないのかなということもある。

私が映画監督になりたかったから医学部に進学したというと「ふざけるな」という人がいる。

そんなに映画を撮りたいのなら、大手の映画会社が助監督を採らなくても、小さな製作会社にはいるなり、ピンク映画から始めればいいという話もある。

実際、大学生のときに映画の製作会社で使い走りをやっていたので、こういう選択肢もあるのかと思った。

でも、貧乏な中から身体を壊してもパートをやってくれて私立の中学高校に行かせてもらったのに、親を泣かすわけにいかなかった。人間としてできなかった。今でも、映画会社に入らなかったことに後悔はしていない。

医学部に入って、自分で金を稼いで映画を撮り、だめなら僻地診療でもしてまた金を貯めようというのは、当時の私にできる最大限の解決策だった。

結果的に、家族をもって映画を撮るのが20年以上も遅れてしまったが、これからは、もう少しそっちに力を入れていきたい。

何度もいうが私は学歴社会の是認論者ではない。ただ、そう見せておくほうが子供が勉強するので便利だと思っているだけだ。

私の父親は学歴の犠牲者だったが、当時の日本は累進課税も厳しかったし、高卒と大卒の給料も人が考えるほど多くなかった。でも、学歴社会に見えたから子供が勉強した。少なくとも私には、父親のようになるのが怖かった。

今は高卒と大卒の給与格差が大きくなったが、子供は勉強するより、教育に金がかかるのであきらめる人が増えてしまった。

学歴社会に見えるが、高学歴者とそうでない人の給料の差が少なく、公教育がしっかりしている社会が私には理想のように思えるのだが。

どんな方法であれ、子を思う親の気持ちが、そのメッセージの主の家庭で伝わってくれるものと念じている。