パーキンソン病とパーキンソン症候群の区別についてメールを受けたが、これは、とくに高齢者の場合は、口でいうほど簡単なものではない。やはり神経内科の専門医に診てもらったほうがいい。パーキンソン病よりパーキンソン症候群のほうがいいかのように思われているようだが、パーキンソン病のほうが難病指定も受けているし、薬も効きやすいことだけは書き添えておきたい(露骨にいうと有利な点が多い)。

別のメールで、高齢者の自殺についてのご意見。これは深刻な問題だと私も思う。私の本業は老年精神医学であるため、なお胸が痛む。ただ、これについても、社会が悪いという単純な問題だけでなく、高齢になると脳が老化して、セロトニンの欠乏が起こりやすいため、うつ病になりやすいなどの問題もあるし、自殺予防教育で7割の高齢者の自殺を減らした新潟県東頸城郡の例もある。一ついえることは、高齢者専門の精神科医が少なすぎるということだ。

さて、昨夜は、保守系の編集者と4時まで飲んだ。久しぶりの痛飲である。

途中から、やはり靖国論争になってしまった。

私は松平某がやったA級戦犯の合祀を納得していない。

天皇陛下がそれ以降参拝しなくなったという事態が、侍従などのメモの真偽はともかくとして、やはり、陛下サイドの判断があったと考えている。

私自身は、極東軍事裁判の結果を肯定しているわけではない。ただ、戦争に負け、多くの国民を死においやったことと、権力の座からすべりおちたということについて、きちんとけじめをつけるべきだと考えている。

戦争で尊い命を落とした人間と、戦争が終わった後の戦死でない死に方はわけるべきであるとも考えている。

判決や手続きに問題があったとしても、A級戦犯の死刑を戦死としてカウントするのは無理がある。

その保守の編集者がいみじくも言った。天皇陛下は権力でなく、権威である、だから敬うのだと。

私も基本的にそれには同意する。明治新政府にしても、決して、天皇陛下の独裁政治ではなく、むしろ薩長軍閥(もちろん薩長の人間だけでなく、彼らが認めたよその藩出身の人間を含むことはいうまでもない)の権力機構があり、それに天皇陛下の権威がオーソライズするという構図だったはずだ。

要するに、鎌倉時代があり、室町時代があり、江戸時代があったように、明治から敗戦までの間も、一種の薩長幕府のような権力体制があった。徳川が敗れて、薩長の時代になったように、戦争で負けて、軍閥が野に下ったということだろう。ただ、これまでは日本人同士で争って、権力がかわったが、今回はじめて、外国の手で権力が追い出されたり、死刑になっただけの話だ。

確かに、明治時代は例外的に前の権力である徳川家を殺すこともなかったし、厚く遇した。しかし、それはむしろ例外にあたる。負けて権力の座を追われた人間の霊を、ときの首相がいちいち参拝する必要がどこに
あるのか?

歴史を誇り、権威を誇る天皇家の歴史であれ、日本の歴史であれ、明治から終戦までは、ほんの一時代にすぎない。しかし、そのときの政府が作ったものを日本人は大切にしすぎるし、それが日本の伝統だと勘違いしている。

江戸時代までは、天皇陛下は終生天皇という制度ではなかった。国民に災禍があると退位した。また子供に継がせるより兄弟につがせることは通常のことだった。

たとえば阪神淡路大震災のようなことがあった際に、陛下が退位し、弟君に譲るというようなスタイルだった。そういうことをしていれば、天皇家も昔の姿に戻れたかもしれない。

君が代を歌い日の丸をあげる習慣は、江戸時代まではなかったはずだ。

鹿児島に行くと、日の丸は薩摩の旗だと公言するタクシーの運転手がいた。真偽のほどはわからないが、地元の中にそう信じている人がいるのは確かだ。

皇室典範が、今のような形になったのもおそらく明治時代の話だろう。

結局、薩長軍閥という権力が決めたやり方が、日本の伝統と思って、日本人はありがたそうに日の丸を揚げ続け、君が代を歌わないと教員をクビにされ、薩長の軍閥の死刑になった人を合祀した神社(この神社だって明治以降に建てられたものだ)を首相が参拝しないと、愛国者でない、中国のいいなりのように思われる。もちろん、安倍氏のような長州出身の首相が、長州人の誇りをもって参拝するのは、立派なことだと思うが、よその出身の人まで、ありがたがる必要があるのかに疑問を呈する。もちろん、戦争で亡くなった方を参拝する気持ちは大切だろうが。

明治以前の日本は日本人として誇るべき点はいくらでもある。一般大衆の教育レベルの高さや、文化レベルの高さ、清潔さ、礼儀正しさ。戦国時代にあっという間に、世界の銃の85%を作っていたという技術レベルの高さ。

私は真の保守として、明治から戦争までの日本より、それより前からずっと続いていた日本の伝統を愛したい。