明治より、農林省や府県の行政機関は狩猟法や狩猟規則によって乱獲・密猟・誤射事故を防ごうとしました。しかし山野に警察の目が行き届くワケもなく、毒薬猟や口発破などの違法行為は横行し続けます。
こうして大正末期までに里山の自然は崩壊。「自然豊かな戦前日本」など、現代人の勝手なイメージに過ぎません。

猟友のKが愛知縣の船猟に連れ立つて行つた。

餘り澤山打つと鴨の目方で船が沈むかもしれんと、とても心配しながら踊る心臓を押えつゝ鴨の大群へ近付ゐて行く。指先きは引金に、心は鴨に。猟友の居るのも船頭の居るのも勿論、自分の居るのなぞは頭から忘れてしまつたのである。

俄然船の動揺は銃を自發せしめずには置かなかつた。

轟然一發。残る者は飛び立つた鴨の羽音と煙りばかりではない。Kの一人は自分で自分の大腿を打ち抜いて瀕死の重傷を負つてしまつたのだ。

二人共縣猟界の老武者でありながら、實に悲惨な目に遇つた物だ。多分魔がさしたとでも云ふのであろう。

 

先年も猟友のYが同じ地方に船猟をして、供の猟師に腰部を撃たれ命だけは取りとめたが生れもつかぬ不具の体となつた。鴨の命が大切か自分の命が大切か。此の邊を宜く考えて、乗り慣れぬ船猟などはやらぬ事だ。

 

裸祭で有名な見付町の近くに鶴が池と云ふ大きな池がある。初猟間際には大小の鴨が三四百羽も首を差し伸べて晝日中楽寝をして居る。池の東部の一部は郡道で、他方は山で囲まれてゐる。十月十五日の暁を破る銃聲は、池を挟むで谷の底より山の頂迄、八番を先頭に三十六番の一つ弾迄飛びだして實弾演習を開始する。

 

鴨を打つのか人間同士打合のか、目的が更に不明であるが、先年手負の青首を拾て聞いて見たら、旦那残念な事には人間と間違へられて、此の通りの深手を受けましたと眼を白黒にして、ぐう〃啼いて居つた。實に同情に堪へない次第だ。

まさか日が出てから打たれる様な頓馬な鴨でもあるまいに、恐らく日出前に戦争が始つて謂闇討ちと云ふ奴にやられたのだらう。

武芸の名人柳生十兵衛でも闇夜の鐵砲は防ぐに途なしと云つて、見へる方の片眼を防ひだと云ふ位だから、鶴が池の鴨君もあきらめるより外に仕方があるまい。餘り鴨の提灯持をして彼奴葱を背負て居るなどと甘く見らるるも残念だから、少し山の方へ廻り道をする。

 

大正十四年十月十四日迄は磐田郡敷地村より周智郡一の宮村方面へかけて、雉子山鳥の繁殖夥しく少なくも二十腹は巣立たと云ふ確實の通信があつた。一腹五羽、平均で百羽。六羽平均で百二十羽の雛鳥が産れたのだ。

僅か一里半四方位の面積の中に此の多數のゲームが居るのだ。慾の皮の突張つた地方なら直ぐ猟區設定とか何んとか云つて猟師の上前をはねる相談を始めるに違いない。

 

處が雉子山鳥の解禁當日の有様はどうだい。

僅か二週間の中に松旭齋天勝嬢の妙技でもあるましが、たつた一羽の羽音すら聞えぬじやないか。荒しも荒したり捕りも捕つたりと、只々感歎するばかり。斯ふ徹底的に違反行為をする様では只の人間の仕業ではあるまい。多分狐か狸のいたずらだらうと専ら評判されたのだ。

 

さでなくとも彼れ等は鐵砲で打たれる事は殆ど無くて、肉の中へストリキニーネを混じた物か、或は爆發薬を混入されて生んが為の食漁りとは云へ情けないかな無残の最期を遂げてしまう。實に人間と云ふ奴は何處迄陰険だかわからない。

然し過ぎ去つた事を洗ひ立てるもいやだ。

來る猟期に萬一改むる所が無かつたなら、氣の毒ながら姓名を並べたてゝ堂々と筆誅を加へ、去年の狐や狸の無實を立證してやるよ。

 

敷地の奥に百古里(スガリ)と云ふ山里がある。

其處にはJと云ふ猪打専門の猟師が居る。仁田の四郎の再來とでも云をうか、時々猪と組打をする。先年大きな手負猪に追はれて大木を中心に七廻りも逃廻つて居りながら、隙を見て射止めてしまつた手腕には敬服したよ。

足の強い事天下一品、谷にかゝると犬の與太〃するのを面倒臭くて引抱へて歩く。つまり犬より足が達者だと云ふ事を証明する。

 

此の地方では狐狸は鐵砲では捕らぬ。皆毒薬或は爆發薬で捕る。

いくら猪追の名犬でも根が畜生の悲しさ、山へ這ひ入れば置き忘れの御馳走に欺されて、狐狸と同様の最期を遂げる。

昨年の如きは生き残つた猪犬は主人公の留守番に家を守り、人間同士が犬の代りに猪の足跡から寝巣迄探し廻り、犬以上の能率を上げて澤山の猪を捕つた。

やれウインチエスターだブロニングだなどと十連發や五連發をかつぎ廻る、否供に持たせて猟をする人々は猪の跡を打つ衆の事、此のJの様に腕と足で猪を捕る衆は肉を賣つて職業にするだけの事。此の二つの理由がわかれば、猪打なんぞは楽な物だよ。

 

場面は一変して三方原に移る。

旦那欺されたと思つて稲が刈られてしまつた時分に一度來て御らんなさい、鶉がぶる〃出ますよ。そうですね!弾は一日百發では足りますまいよ。旦那の腕前なら一發で二羽宛落とせばば二百羽は確實ですとの事。

話半分と聞いて五十發の弾丸を用意して案内人をすつぽかしにして単獨目的地へ向ふ。

口留されて居る為め目的の地点の發表が出來ぬ。只濱松を去る二里以内の地にて、三方原の一部と御推察を願ひたい。

小松原を別けて障害物も無き野原に出る。ことわつて置くが、小生の犬はポイントするのダウンするのと云ふ様な名犬では無い。

仔犬の時、腕白小僧が縄をつけて水葬にしやうとするのを氣の毒の至りと貰ひ受けた日本犬。俗に云ふ、かめ犬だよ。ゲームに近づけば尾の振り方が猛烈になる。全身此れ力と云ふ様な緊張振りを見せる。動物電氣の一種で、主人の吾輩にも直に感電してゲームの舞立ちを直覚する。

 

犬がポイントする。日頃高價な犠牲を拂つたクレー打の腕前は、此の時とばかり柄にも無い大聲でどなつた為に肝心のゲームはする〃と這ひ逃げて、っても方角違ひの遠方から舞立たれ、打つは打つたが跡を打つて罪もな犬を𠮟り飛ばす様な殿様芸とは一寸違ふよ。

さて此の草原へ來た犬の動作でゲームの飛び立を直覚した。ブル〃と鶉が出ると思ひの他、じいーと田鴫が舞立つた。をや飴の中から金時さんじや無いが、乾いた草原から田鴫が出るとは驚いた。

田鼠化して鶉となるではなくて、鶉化して鴫となるか。世も文明進化したものさ。

 

兎に角五十發を射ち盡し腰は軽くなるし、相對性原理に従つて獲物は重くなつたわけだよ。何羽打ちましたかと、馬鹿にするない。憚りながら静岡縣の非天狗だ。などと云つた所で鶉だ〃と思つて居た内は残念ながら見事失中さ。聊か修養の足らぬ感がしたよ。後で聞いたら此所は濱松のY等の秘密猟場との事。氣の毒の事をしたと思つた。

 

其れに付ても他人の大切な猟場を荒すのは宜い氣持の物ではないよ。吾輩だつて、たった一個所田鴫のつく山中の秘密猟場があるよ。此處は始めから鴫が出ると云事が明らかだから、一發でも無駄矢はないよ。

天気の都合で百羽位の大群にぶつかると云ふ始末さ。其の時の腕前を見せてやりたいよ。

然し此處を公開すれば吾輩の狩猟の生命は零さ。

鐵砲をやまたら必ず公開するよ。まー時節を待つて貰つて、此處らで筆を置く事にする。

大正十五年七月十日

 

非天狗「猟界雑話」より