昔々あるところに
こんな犬達がいました

という内容のブログです。






1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2016-12-01 23:32:05

兵庫の動物養老院・大正9年

テーマ:動物愛護/虐待

是れは餘り他に類例のなきことにて、而も動物愛護の徹底的施設として廣く世間に紹介するの價値あるものと認めたる次第に有之候。

或は既に御承知にも可有之歟(これあるべきか)、當地には岩田民次郎氏なる篤志家あり。獨力養老院を創めて多数無告の老者を救恤撫育すること茲に十數年の久しきに及び候が、この人啻(ただ)に人間の老廃者を憐れむに篤きのみならず、總ての動物の老廃せるものを恵の志、亦甚だ深く、牛馬犬猫は申すに及ばず、猿、羊、鶏、鳩、鼠、鵞、魚鼈の類に至るまでも、其の病み、老ひ、傷つき若しくは虐げられ捨てらるゝを見ては、惻隠の情、寸時も之を看過する能はず。人の之を持ち來るに待つまでもなく、苟くも目に触るゝ所のものは、自ら進んで之を請ひ受けるとか、或は購ひ求めねばすまぬと云ふやうな譯にて、同氏経営の養老院には、別にまた動物の養老院又は救ひ小屋とも称すべき施設が附属せられ居り候次第に有之。

跛せる牛、盲しいたる馬、病める猫、傷ける犬、鳩の巣、鼠の宿、老ひ耄びたる鶏鵞なんどの雑然として其間に餘生を楽めるの態、宛然たる動物極楽土の活圖畫とも可申、真に人をして忍性法師の有りし昔の動物悲護の実景をば現代に寫し出したるの想ひあらしめ申候。

徳孤ならず必ず隣ありとか、茲に又動物愛護に熱心の同志あり。真言宗の僧侶にて名を伊藤嶺随と称す。

大阪府下泉南郡南掃守村念佛寺の住職として檀越の信望も亦甚だ厚し。資性最も慈悲心に富み、殊に牛馬六畜を撫はるの志極めて深く、常に幾十匹となき、而も人の投捨てたる、若しくは遣り場に窮した犬猫の類を快よく餌ひ養ふことを以て法楽とするのみならず、牛馬犬猫を問はず、若し斃死するものありと聞くときは、遠きを厭はずして馳せて、自ら之を埋葬するの任に當る。

動物に對する已にかくの如し、況や人に處するに於てをや、里人の其の徳行に感孚するの深きこと知るべき也。

師偶々岩田氏の美挙を耳にして心動けるの時に際し、更に動物愛護の時論に聴きて大に感奮する所あり。蹶然起つて、斯業に献身するの志を定め、檀信徒の挙つて苦止懇制して措かざるにも拘はらず、終に岩田氏に來り投じ、専念氏を助けて動物愛護の事に當らんことを求む。

岩田氏亦その志に感じて之を快諾し、動物楽園主催の任務を以て之を師に託す。而して師の率ひ來し所の犬族猫族總て十何疋、再び其親める恩主の下に、更に確實なる安住の所を得て嬉々申々たるの光景は、實に錦上花を添ふるものとでも形容可致歟、他に多く見るを得ざるの圖と可申。

動物愛護の真意義はこゝに至つて初めて徹底したりと断言し得られ候義と確信仕り候。

此篤志家とこの好施設と、是非動物愛護家の一訪を希望する所に有之。

 

小河滋次郎「動物改良の参考資料」より

AD
 |  リブログ(0)
同じテーマ 「動物愛護/虐待」 の記事
2016-12-01 00:22:35

2016年12月度月報

テーマ:近況報告

出張出張飲み会出張と、ホテル暮らしが続いた11月。

出先からスマホで投稿・閲覧するようになって気づいたんですけど、私のブログってどれもこれも文章がダラダラ長い。文字数制限のない唐瀬原に至っては、スクロールするのが自分でも嫌になります。

6年も続ければ、苦手な作文も少しは上達すると思ったのになあ。

 

32年後の自分や社会はどうなっているだろうか?と1984年に歌った「空き缶と白鷺」を20年ぶりに聴き返し、どうにもこうにもスミマセン的な気分のまま2016年最後の月を迎えております。

 

 

AD
 |  リブログ(0)
2016-11-23 23:12:11

チャウチャウと日本犬の交雑問題 昭和14年

テーマ:飼育/繁殖

三河犬で問題になったチャウチャウと和犬の交雑犬。「あの騒動、なんでチャウチャウと交配したの?」と思っていたら、そういう理由だったのね~的なお話。

これが始まったのはいつ頃なのか。日本犬史と日本チャウチャウ史の繋がりを詳しく知りたいんですけど、戦前日本におけるチャウチャウの蕃殖・流通・販売記録があまりにも少な過ぎるんですよね。

 

 

日本犬が流行して來て以來、都會のコンクリートの上を、引綱で引かれて歩く日本犬を多く見る。ついぞ顧みられなかつた日本固有の犬が、流行と云ふ波に乗つて、酒屋へ三里の山奥から都會へと進出して來た。

これが良いか悪いかは識者の判断に任せるとして、近頃日本犬らしくない日本犬が急に殖へた事は悲しい。

何時かの日本犬展で、或る斯業者の一人が「この會場の中で、マアこの犬だけは日本犬の香ひがして居りませう」と云つたとて、この言葉に友人が感服?をして居た。

然り、この言はその間の實情を雄弁に物語り、事ほど左様に日本犬らしくない日本犬が殖へて來たのだ。

 

殊に最近、甚だしく目に附く事は、支那のチヤウの混血が多い事だ。何故この混血が多いのだらうか。

それは云ふ迄もない事だが、チヤウを交配すると一寸見には姿の良い犬が出來る。今多くの人が好むの胴詰りの、四角張つた張子の様な犬が出來る事である。

或る斯界の識者?は、チヤウの血が入つたら舌に斑點が現れるから、直ぐ判ると云ふけれども、あながちそれに限つた事ではない。中にはそれが全く現はれぬものが生れる事もある。

然してチヤウと日本犬は、外見に於てはやゝ酷似したるところありと雖も、その精神に於ては天地雲泥の相違がある。外の型を採つて、内を空虚なものにする策は、愚の骨頂だ。

 

兎も角、日本犬が流行するにつけ、賣れ口の良いと云ふ點から一寸見に姿の良い犬が盛に作出される様になつた事は、實に歎かはしい事である。金を儲けるためには、その手段を選ばぬと云ふ事は、ユダヤ人のみにして置き、苟くも吾が日本人たるものは、日本にたゞ一つの固有種日本犬にはもつと良心的な作出が望ましいものだ。犬と正面から向き合つた時、その氣魄に押されて、人が思はず後退する様な日本犬は、もう今の世に見る事が出來ぬであらうか。

筆者は、何時も日本犬展を見て歩くが、未だかつて、この犬なら何んとしても欲しいと思つた日本犬を見た事がない。だからと云つて、獣猟にそれ専門の猟師の所へ行くと、退化せりと雖も、まだ日本犬固有の面魄をもつて居る犬を時々見る。

 

夫れでそれ等の事から考へて見ると、現在の日本犬のヂヤツヂ連中は一先づ後退して、今度は田舎の歴代獣猟で飯を食つてる、山の猟師を連れて來て審査させるが良くはないかテナ感も起るのだ。犬の本當の魂は、その犬と共に真剣に仕事をしたものでなくては判らぬ。

日本犬を五頭や十頭飼ひ、それも廻りアンド式に、昨日買つた犬も今日よい買手があれば賣り、また明日儲けて賣れそうな犬を物色して求める様な精神のヂヤツヂ公に、何にが日本犬の魂が判るものかと云ひたくなる。

須らく、良心あれば現在の日本犬の審査員は一先づ交代すべし。然らば真の日本犬たる日本犬が、展覧會場に現はれるであらう。

 

日本犬狂「日本犬は何處へ行く」より 

 

 

 

AD
 |  リブログ(0)
2016-11-22 23:32:40

マロ(猟犬)

テーマ:犬籍簿・猟犬

生年月日 不明

犬種 ポインター

性別 不明

地域 不明

飼主 飛田穂洲氏(野球評論家)

 

小父さん。又もや、御叮嚀な御手紙を戴きまして誠に有難う御座ゐます。

僕など小父さんに最初の御手紙を戴いてから、色々な事にまぎれたり、半ば忘れかけたりして、一週間も経てやつと御返事を差上ると云ふ不誠實さであるのに、あの下手な乱暴な文に對して御多忙の御身でありながら、長い立派な御手紙を下さつた事を、何とも言ひ様の無い程有難く思つて居ります。

 

あの御手紙を受取つた時、何とも言へない氣がして、うれしいような、何だかすまない様な氣がしました。

マロの御寫眞を拝見して、何だか未だマロは生きて居るのではないだらうかといふ様な氣が致します。寫眞に注射すると、其の中のものがノコ〃生きて、動いて來るような液が有れば、とてもうれしいのですが……。

 

本當にあれ程温順で忠實な犬もたくさんは無いでせう。

僕が犬と言ふものが少しも恐しくなく、又可愛く、温順なものだと考へ、可愛がるのもマロを最初に見て、好きで〃たまらなくなつてしまつたからなのです。

マロが若し恐い犬で吠えてばかりゐたら、僕は犬は恐しいものだ、犬は嫌ひだと考へるようになつて居つたでせうし、たとへ好きであつても、現在僕が好きである程強くは無いでせう。

家の母等は犬さへ見ればこわがるので、犬の方でもわざと傍にきて臭をかぐ様になるのではないかと思ひます。

僕は平氣ですから、犬の方でも最初から安心して來るので、益々犬に對する可愛さが増すと云ふ譯です。

犬をからかつて、取ツ組合つてふざけても、こつちが本當に犬が可愛いくしてゐるのなら、絶對に犬の方から本氣になつて怒つたり噛みついたりするものではないと云ふ事や、犬と云ふものは、そこら邊の下手な人間共より、よつぽど人なつつこくて、又一度遊んだ人を、必ず次に會つた時覚えてゐて呉れるので、可愛いくて〃たまらない等と云ふ事は、皆マロから教わつたのです。

 

又あれが五、六才で死んでしまへば、僕は知らなかつたでせうし、知つてゐたとしても會つて直に死ねば大して印象に残らなかつたでせうが、マロだけはもう忘れようたつて忘れられるものではありません。本當に良い犬でした。

全くマロが死んだ時の小父さんの御心を思ふと、何だか淋しい氣持になります。やつぱり犬に對する本當の氣持は、犬が好きで〃たまらない者にしか分りませんね。

此の頃僕の家でも犬つころ(但し日本犬雑種、耳は(繪あり)の如く、中途から折れてゐる)を飼つてゐます。

とても小さい時もらつて來たのですが、來た頃はボンヤリしてゐたので名前を「ボン」としました。又ずつと前、たしか小父さんの所にゐた日本犬に、ボンと云ふのが居たと思ひ付いたので、一つ之にあやかるようにと云ふ二理由で両方に通じて「ボン」と命名したのです。

 

ボンとも呼び、ボンチ、ボン公、ボン助、ボンチユク、ボンチヤン、等々色々ありますが、どれで呼んでものこ〃やつて來ます。

此の頃では中々生意気になつて、塀の下からのぞいて吠えたり、一人でのこ〃出掛けたり、家の中に上り込んで、僕等の顔を見ると、おこられるのを知つてゐるので、下を向いて、おしりをよた〃ふつて、恐縮の様子を致します。

御飯をやる時など、臺所にゐても庭に容器があるので、御飯を見せて「廻れ〃」と云ふと、しばらくクウ〃鳴いてから矢の様に飛んで來ます。

「待て」「よし」も覚へました。他の事を教へようとしても、すぐ手や足にじやれついて中々捗りません。

此の頃ではふざけて噛まれるといたくてたまりません。僕の手は犬の噛みあと、ひつかききず等たくさん出來てしまひました。何しろ今可愛いさかりなので、喰べさせすぎか何かで時々ゲツともどしたりして心配させます。

時々(今までに三、四回)顔と腹部(之は今度はじめて)がもくもくはれて、顔など目が少ししかあかないようになり、口のまはりもふくらんで二目とは見られない顔になります。そして、いたいのか、かゆいのかとにかく両前脚で顔をはさんでこすつて、「ヒイ〃」言うので心配します。

のどの所の毛は三本ですが、二本長くて一本みじかいのです。三本毛は臆病ださうですが、猫などはおつかけます。とにかく可愛いやつです。

 

小父さんの方でも、マロ二世を御飼いになるのでしたらどうか知らせて下さい。それから犬の事などについて、色々教へていたゞきたいものです。

中等学校では随分御多忙だつたでせう。雄ちやんは島田に勝たしてやりたかつたさうです。

角力や野球の好きな雄ちやんは、甲子園や國技館へ行きたがるのです。もう六年生ですから……。

今年も甲子園へ行つたさうでした。

マロの繪が出來たら見たいものですね。マロの寫眞の御禮に、僕自作の寫眞を入れます。御笑覧下されば光榮です。

御家の方によろしく。マロの小屋によろしく。

ではさよなら。

下手な字でどうもすみません」

中村俊一君より飛田穂洲への手紙 「童心に映るマロ」より 昭和15年

 

この翌年には太平洋戦争が始まり、昭和19年のペット供出運動へと至ります。その戦時下を、俊一君とボンはどのように暮らしたのでしょうか。

 |  リブログ(0)
2016-11-20 17:42:14

ポインターの日本史

テーマ:猟犬と使役犬種

犬界現時の熱狂をその儘続けて、後顧の憂ひなからしめる方法として、たゞ徒に流行に走らず、何等かの目的を付帯し、茲に有力なる意義を存せしむることが緊要である。
古くから我國に輸入された外国犬種について見るに、多少の流行はあつたにしても、現在或は将来、恐らくは永久に廃りなしと思はれるのはポインターやセター であるが、その理由はこれ等が猟犬としての使命を保有するからで、猟技の廃らぬ以上、猟犬の生命は益々熾んになるであらう。

農学博士板垣四郎「日本犬研究の将来」より 昭和10年

 

m20

 

【明治時代のポインター】

 

日本でポインターの記録が現れるのは明治初期から。

明治元年には「エス」というポインターが土佐へ持ち込まれ、闘犬と交配された話があります。やがて「在日外国人や資産家の飼う舶来の狩猟犬」として盛んに輸入・繁殖されるようになりました。
日本犬を使った旧来の狩猟が衰退する一方、西洋式のスポーツハンティングが一般に広まるにつれてポインターは大流行。
明治20年までに、ポインターとセッタ―が日本鳥猟犬の主役を占めてしまいました。

 

m27

「猟友」より 明治27年

 

明治時代のポインターはどのように使われていたのか。ロクに調べもせず「戦前の日本人には犬の知識など無かった」などと根拠のない説を唱える人もいますので、当時の記録をどうぞ。

「犬の知識」が無いと、鳥猟犬は使いこなせないのです。

 

余等残りの者共は晩餐を喫し、土地の猟夫を呼び寄せ明日出猟の計畫を為したりき。
其翌日は前日とは打て変つて稀なる好天気に皆々小踊りなして、土地の猟夫四人を案内兼荷物担ぎに雇ひ、御姨の深山に踏み入りたるが、中軍は大森月山の両君、左右は七峯君と余にてありき。
然るに大森氏は前日の不元気とハ似もやらで、東奔西走突進する有様ハ實に天晴、中軍の御大将とこそ見へにける。
忽ち一発轟然として山岳震ひたれば、一番槍の功名何れにありやと瞳を定めて窺ひ見るに、今や中軍の月山君は猿猴一頭を斃し給へり。
而して、敢なく進む程に余が愛犬カルは傍の荊中より肥兎一羽を追出しけれバ、斯は天の賜、逃すものかはと銃追取り直して一発、美事に撃留めたれば、漸くにして少しは意ろも落付き猟犬に向つて一層励みを与へ、且手並をサンクスしたり。
偖、行く事数丁にして右軍将に従へる案内者の牽き連れし猟犬(耳尖りて狐に彷彿たり)はきやん〃、ぐわつ〃と無闇に駈け廻り、けな氣にも一雄雉を追上げたり。
今や七峯君が撃ち落さるゝならんと思ひの外、森林鬱蒼として忽ち其影を失へるものと見へ鳥ハ遙かに中陣の方翔け来りたり。
此時、最前よりして切歯扼腕せる大森氏は隙かさずドーンと旨く撃留められたり。
彌進めば積雪三尺に近く、最早此上到底進む事能はず。
且つや時三儀は十二時を報じければ余は猟僕と倶に老松の下に憩ひ、日頃愛するポインタ種カルの頭を撫でながら同行者の到るを待ちたりしに、稍ありて一同茲に落合ひたり。
依て皆々午餐を喫し、枯木を伐裁して火を焚き以てカツヒー入の角砂糖を溶解(銃猟新書にある弁當入を以てせ志に甚だ宜し)して、一杯咽喉の渇を濕しながら今日の不猟を嘆ち、一同落胆して此山嶺を下るの元気も無さそうに見へざりけり

信山猟夫「猟遊記」より 明治25年
 

帝國ノ犬達-ダイヤ

宮内省新宿御苑犬舎で飼われていたダイヤ號。大正2年撮影

 

【大正時代のポインター】

 

大正時代には狩猟団体や畜犬団体が続々と誕生。犬のネットワークが構築されたことで、訓練・飼育法も飛躍的に発展します。

大正時代にポインター普及の先導役を務めたのが、猟犬商の田丸亭之助でした。

初期にはジャーマン・ポインター中心だったものの、後年からイングリッシュ・ポインターが主流になったとのこと。

「私が猟犬と云ふものを使つたのは、獨逸ポインタが初めてであつた関係かも知れないが、私にとつて獨逸ポインタ種は忘れられない猟犬種である。

あの堂々たる体躯、疲れを知らぬ持久性、寒氣と雨雪に堪へる抵抗性や、猟技に於ては慎重なるゲームへの接近態度、巧妙なる負傷鳥の運搬等々、この種は猟犬として、一種の特徴を持つ立派な猟犬種である。

日本に於て、現在では英國種のセタとかポインタが最も普及して居るが、この英種のセタとかポインタが今日の如く普及しない以前は、獨逸ポインタこそ、日本の狩猟家に最も多く使はれた猟犬種であつた。

獨逸ポインタを語るに附いては、この種の普及に最も盡した田丸氏(※田丸亭之助のこと)の名を忘れる事を得ないが、田丸氏こそ本種普及の一大恩人であつた。同氏が獨逸ポインタを普及するに至つたのは、氏が往年獨逸に渡り、帰途一二の獨逸ポインタを伴つて帰つたのが、日本に獨逸ポインタなるものを紹介した初めであり、またこれが本種の普及した基礎を為すものである。田丸氏は其後當時満鐡總裁であつた中村是公氏、神戸の豪商鈴木岩次郎氏等の助力によつてその他の基礎犬を輸入し、自らその蕃殖にたづさはり、かなり多くの獨逸ポインタを産出したもので、それが、一般にも逐次普及したのである。

田丸氏に云はしむれば、獨逸ポインタこそ最も日本の猟野に適した猟犬種であると云ふ。また我々も決してその説を否定するものではない。

現に近年その消息は分からないが、英ポインタの育成家として知られて居る朝鮮の小林廣正氏なども、茲十二三年前迄は熱心なる獨逸ポインタの禮賛者であつて、當時流行の徴あつた英ポインタに對し、t「英ポインタは我國に適せず」の論文を投じ、英ポの流行せんとするに一矢を報ひたもので、この論文は當時斯界に一大センセーシヨンを捲起した程である。

さて、それ程一般に普及した獨逸ポインタが、何故を以て今日の如く、凋落の一途を辿るに至つたのであらうか。これには種々の原因がある。

先づ第一の原因は、日本に優秀な獨逸ポインターが絶へ、その猟能が低下して、一般の獨逸ポインタ愛好者に失望を與へた事が、本種凋落の最大原因を為して居る。

話は餘程以前の事に遡るが、今から約二十三四年前には、獨逸ポインタの本家本元たる田丸猟犬訓練所には、ゼンター、マルコの直系の如き超弩級的獨逸ポインタが、威容邊りを拂ふの慨をもつて、我世の春をうたつて居た。事實、當時の獨逸ポインタは、猟芸も優秀であつたし、またその体躯の如きも、見るものをして頭の下るが如き堂々たるものであつた。當時の田丸系獨逸ポインタに直面すると、洋種猟犬に飢えたる吾々であつたが、何かしら心に押されるものがあつた。

其後時代が移つて、次第に狩猟家の心が、英ポインタに転ぜんとする時、田丸氏等は、獨逸ポインタこそ日本の猟野に最も適した猟犬であると、口に筆に、大いに力説それに努めたものである。しかしこれを一般の猟人達は、田丸氏の一種の宣傳と解して、決して耳をかさなかつた。しかしそれは果して、単なる自己飼育犬種の宣傳であつたであらうか。

私はそれを一概に宣傳と解する事を躊躇する。即ち事實獨逸ポインタ種は田丸氏等の云ふ如く、日本の猟野には適合した猟犬である。それには決して掛引きはない。但しその宣傳が利かなかつた事は、當時既に田丸氏の手許にも、また他を見渡しても、惜しいかな、獨逸ポインタの優秀系統が根絶、或は品種低下して、世の狩猟家を満足せしむるに至らなかつたのである。

薬などの効能書や宣傳と違つて、猟犬は猟に使用して見れば、テキ面にその猟能が判る。獨逸ポインタ種のあらゆる効能を聞かされ、長所特徴を吹込まれても、事實實物がそれと異るものであつたならば、世人は決してそれでは満足しない。獨逸ポインタに勝る種類はないかとあさるのは當然の事であつて、次第に英ポ、英セに肩がわりしたのは當然の事であると云はねばならぬ」

喜多生「獨ポの今昔」より 昭和15年

 

全盛期に系統の確立失敗を招いたジャーマン・ポインターは、こうしてイングリッシュ・ポインターにその座を奪われたのです。

 

犬

田丸亭之助が販売していたポインター。昭和15年の広告より

 

堅苦しい話はこの辺にして、大正時代のポインターによる狩猟風景でもひとつ。

 

猟期もあと一と月足らずといふ此日午後、ワン公を引き出す。道々とある池の堤防を通ふとすると、中程で犬がポイントした。堤の上からのしかゝる様にして汀(なぎさ)を覗き込んでゐる。
ハゝーン、お誂への通り秧鶏だな。
近づいて小声で「ヨシ」と云つてみるが犬は一向にとび込まぬ。一心不乱になつてのぞき込んだまゝ、聊か不審の體である。
そこでフト悪戯氣が起つた。
待てよ、クヒナならば打ち洩らしても惜しくはない。一つどの位ポイントしてゐるか試してやらうといふ氣で、ソツと犬の尻つぺたの所に腰を下して、銃を膝に横たへ、衣嚢からバツトを一本抜きだして火をつけた。
一息吸ひ込んでフーツと烟を犬の尻へ吹きつけてみるが、まだ棒立ちのまゝである。
いよ々々面白くなつて来たから今度は烟草を咬へて双手で「ワン公いゝ加減に行かないか」と犬のからだを押そうとしたら、その瞬間決然として三四尺上方の葦原の中へ、勢猛に踊り込んだ。
と同時に間髪を入れず猛烈に大きな怪鳥(そう見えた!)がバタ々々々々と飛び出したではないか。ヒヤーツと驚いてよく々々見ると、真鴨の雄である。
ウムこれはとばかり銃を取り直すなり座つたまゝで、盲目滅法に打ち出したら、何といふ気まぐれな鴨かコロリト落ちて水面をバタ々々やつてるところを苦もなくワン公が泳ぎついて咬えて來た。受取つてみると頭をやられてゐるので、小粒弾ながら半死の有様。
イヤ過ちの功名、勿怪のケのケだ。

 

犬

こちらは大正13年のイングリッシュ・ポインター広告。


だが考えてみると、これとよく似た失敗の方の歴史も實はあるので、日外(いつぞや)道端―それは貨物自動車も荷馬車も自転車も通る、おまけに人家近い街道筋―で犬が妙な恰好をするから、「止せ々々小鳥なんかにポイントしちや笑はれるぜ」と若犬振りを叱つてやつたら、豈計らんやそれが餌見の雄雉子だつて、銃を肩にかけたまゝ見事な空中滑走振りを目送し、あべこべに犬に笑はれたことがあるが、こういふことはどちらにしても、あまり他人にはホメてもらへぬ事らしい。
現にこの話はどちらもあとで猟友の軽挙妄動を戒めた揚句、甲君の曰く「苟くも銃を執り犬を連れた者が、猟野に出たる以上……」とか何とか、乙君の曰く「古来油断大敵……」云々、猟夫曰く「ウヘエツ」。
そして頭かき々々口の中でボヤくように「テイー(犬の名)よ、これからはお前を信用したるぜ」
大正十四年六月十日於 松堂医院北窓下稿了

舘康正「続々雀羅庵猟話」より

 

犬

大正15年に輸入されたジャーマン・ポインターの広告

 

【昭和のポインター】

 

戦前から、流行の犬種に飛び附いては飽きることを繰り返してきた日本人。昭和初期に大流行したブルドッグなどは、いつの間にか姿を消してしまいます。

しかし、ポインターの人気だけは長期に亘って安定していました。昭和9年度に警視庁が調べたポインター登録数は2361頭とありますから、全国規模では相当な数が飼育されていた筈。

 

犬

昭和9年の広告より

 

昭和に入ると環境破壊が進み、それまで大都市近郊に残っていた猟場も縮小の一途を辿ります。

都会のハンターたちはポインターを列車に積み込み、遠くの猟場や海外(主として朝鮮半島)まで出かけるようになりました。それが可能な餘裕と財力の証として、優秀な鳥猟犬は一種のステイタスシンボルでもあったのでしょう。

大日本狩猟倶楽部のような全国組織も発足し、各地で飼育されるポインターの犬籍簿が整理されると共に、交配や通信販売などが広域で展開されるようになりました。

 

帝國ノ犬達-エス

船遊び中にご主人が溺死し、それを救おうと川へ飛び込んだ忠犬エス號。昭和8年
 

昭和12年に日中戦争がはじまると、「この非常時においてペットを飼うなどけしからん」「駄犬は毛皮にしてしまえ」などという乱暴な主張を、国会議員、官僚、マスコミまでが公然と唱えるようになります。

そんな中でも、ハンターたちはポインターやセッターを使い続けました。

彼らには、鳥獣の羽毛や毛皮を国家へ献納する「狩猟報國」「毛皮報國」という大義名分があり、それを支えるポインターたちは「国家の役に立つ有能犬」として扱われたのです。

各地の猟友会では、警察署にイノシシ、兎、鳥を大量献納。猟犬たちも戦時体制の維持に貢献しました。

太平洋戦争突入後もそれは変わらず、敵国アメリカ製の猟銃と敵国イギリス産のポインターは使われ続けます。

敵性語の自粛が叫ばれた昭和18年以降も、狩猟界だけは下記のような状況。横文字使いまくりですね。

 

犬

昭和18年の猟犬登録簿より。

 

しかし、物資不足は次第に深刻化。燃料不足で猟場への移動が制限され、銃や薬莢は軍需優先、猟犬の飼料すら事欠くようになります。

本土空襲が始まると、狩猟だなんだと呑気なことを言っていられなくなりました。昭和19年末からはペットの毛皮献納運動が全国で始まり、献納対象外と指導された猟犬まで供出させられた地域もありました。

こうして、戦争末期の日本からはポインターの姿が消えてしまいます。彼らが復活するのは、戦後数年経ってからのことでした。

 

【猟犬以外の用途】


近代日本において、ポインターの活動範囲は大きく広がりました。

公的機関としては、明治43年には台湾総督府蕃務署が警察犬として7頭のポインター(あとブラッドハウンドも)を配備、大正8年には陸軍歩兵学校が軍用犬研究の為にジャーマン・ポインター「三保號」をテストします。しかし、猟犬種は小動物に反応する習性があることから治安・軍事任務には不向きでした。
海外の文献でその事を知っていた歩兵学校でも「最初から獨逸ポインターを軍用犬種に指定する予定は無かった」と記録しています。

 

因みに日本軍のポインター評はこちら。

 

2.犬の役務の適不適
内地各地に飼養せらるる雑種犬(本邦に飼養せらるゝ犬の大部分)は、輓曳用として使用し得るも傳令勤務に服せしむるを得ず。
優良なる猟犬として賞揚せらるゝセツター種、ポインター種及秋田犬は軍用に適せず。
獨逸番羊犬
(※シェパードのこと)は軍用犬として良好なる種族と認む。樺太犬は傳令勤務に使用し得ざるも、輓曳用として最も適當なり。

陸軍歩兵学校 大正10年

 

帝國ノ犬達-ミキ

小樽にて、荷車運搬中のミキ號。ポインターと土佐の雑種だそうです。昭和10年


猟犬以外の用途としては、戦前の京都でポインターを荷車犬として多用していた記録があります。

 

「私は夕方ぶらりと阿部野橋筋へ出た。夕方のこの大道は交通地獄の名に背かず車、車、車でタクシーなどの動きを見てゐると、連結自動車發明のヒントが得られさうなほどだ。北へ北へ北へ、南へ南へ南への自転車には、出先で油を売つてゐたのか慌てゝ速いのも、集金が思はしくなくてどう言訳したものかと遅いものもゐる。
その中に、いよう!これは、これは!
素晴らしい車が南する。こましやくれたロードスターやダツトサンよりも遙かに素敵な箱車だ。
リヤカーほどの大きさの箱を一頭のポインター雑種が牽いてゐる。
馭者は天王寺から大和川の塒へ帰りを急ぐ。車上悠然と英國紳士のやうな重厚なすまし顔でハンドルを把り、犬を操つてゐる。犬のトロツトは軽快で顔の表情にも私の心なしか働くものゝ愉悦が漲つてゐる。
スピードは小店員君の自転車よりも速い。
車が交叉點のストツプにかゝると、犬はピツタリと止まる。
ゴーでの發進も鮮かなもの。眼まぐるしい車の綾の中を危気なく抜けてスマートな?箱車は南の夕靄の中に消へて行つた。
とまた眼の先へ同じやうな車。今度のは二頭立てである。
続いて一臺、二臺、三臺と私は深い興味をもつてその数を暗くなるまで数へてみたら、堂々實に三十一臺。一臺の車には大抵二三人乗つてゐたから、全員自家用車御通勤といふ勘定になる。思へば羨ましい御境遇である。これから先の駄文のオチは多分お判りでせうね。では誌面節約」
村上耕三 昭和12年


T12

こうして日本社会に定着したポインターは、戦後もポピュラーな品種として飼育され続けます。

私が初めて出会ったポインターは隣家が飼っていたアンで、しばしば垣根を飛び越えて遊びに来ていました。特に何をするでもなく私の周囲をウロウロしては帰ってゆくのですが、獲物か何かと思われていたのでしょうか。

 

 |  リブログ(0)
2016-11-18 00:02:32

戦時における猟犬の飼料問題

テーマ:アウトドア/狩猟

私もこの犬の飼料に困つて居る一人でありまして、米が切符制度になつてからは、少人數の拙宅では犬の米が不足して、それを如何なるもので補充しようかと迷つて居たのであります。

そして一時は麦を多量に混入して見ましたが、これは消化不良の為め下痢を誘發する。うどんも一時はやつて見ましたが、それだけでは腹が空くらしい。

勿論副食物は相當のものを與へて居りますが、今まで米が主食物であつた犬としては、やはり少量と雖も米を混入してやらねば氣が済まぬのであります。

そこで、人間の方も代用食を攝ることにして、一人當り何程の切符制度配給米の中から、犬の米だけ浮かせることを考へました。

それでどうやらこうやら犬に毎日米食を與へることが出來る様になりましたが、しかし犬の健康状態を見ると、以前に比較してぐつと落ちた様である。

猟期は真近く迫つて居ります。猟人として力と頼む愛犬の栄養が衰えるのを、どうして見て居られませう。種々と副食物や米に混合する代用食品をあさりましたが、これはと思ふものはありませんでした。

ところが前號に、米ヌカを混入することが説いてあつた。米ヌカは昔からカツケの薬になると云はれて居る。即ちヴイタミンBの含有量が多い物であります。私は早速とそれを試みようとしましたが、待て暫し、何時か或る人にこれは良いと勧められて、或る駆蟲劑を與へ失敗した苦い経験がある。尤も米ヌカなれば薬の副作用の様に恐ろしいことはないであらうけれども、先づそれを少量試用して見て、その結果によつて常用の用意をしようと思ひました。

ところが、近頃米は七分ヅキであるから、米ヌカは米屋にも不足して居る。それを田舎の人に頼んで漸くのこと手に入れた。

そして或る日これを熱湯の中にブチ込み、かきまぜて居るのを見た女中が「それを犬におやりになるのですか」と訊ねるのであつた。日頃から女中に「犬を大切にせよ」と申付けてある。

我輩の大切な愛犬に、如何に近頃の米不足とは云へ、ヌカを與へるとは云ひ渋つたけれども、今はもう背に腹はかへられぬのだ。

それで「そうだ」と云ふと、平素口數の尠いその女中が「妾の家でも牛に米ヌカをやります。他の家の牛は大概麦ヌカですが、父さんが牛を可愛いがるので妾の家では米ヌカのみです。米ヌカを牛にやると、麦ヌカをやるのと違つて、毛が艶々として、シツトリとします」と云ふのでした。

毛が艶々してシツトリとするのは、栄養分があるからである。私は女中の言葉に力を得て、それから米ヌカを常用して居るが、犬の栄養は前にも増して良好であります。

犬にはそれ〃特異質と云ふものがあると聞いて居ます。随つて私の犬は英ポですが、他所様の英ポにも良いと限つては居ないでしよう。

しかし別に毒にはならぬものですから、一度御試みになつては如何です。

 

香月生「犬の配合飼料」より 昭和15年

 |  リブログ(0)
2016-11-16 21:42:03

戦時狩猟界の悩み

テーマ:アウトドア/狩猟

ウサギやイノシシの毛皮を献納する「狩猟報國」「毛皮報國」の大義名分のもと、大手を振って狩猟に励んでいた戦時下のハンターたち。

しかし、彼らも戦時体制から逃れることはできませんでした。狩猟税が値上げされ、物資不足も次第に深刻化し、配給される弾丸や薬莢の量、猟犬の飼料確保に厳しい制限がかけられたのです。

 

 

流行の新體制が何處まで發展し、如何なる善政が布かれるか知るよしもないが、新體制をとる事によつてよき制度が實施され、遺憾なき統制が行はれるものならば、日本の狩猟界なども須らく新體制に依つて新しくスタートせねばなるまい。

小役人の机上作製に盲従せねばならぬやうな現状を打破する事の急務なるはいふ迄もない。

 

大日本聯合猟友會といふやうなものは現存するのか、現存するとせば如何なる事業をなしつゝあるか。府縣猟友會は多少活動してゐるやうであるが、顕著なる事業の一例は兎皮羽毛の優秀献納者に木杯や賞状を贈呈したに過ぎないのではないか。

真實報國狩猟の為め、霰弾やケースの資材に就いて當局と懇談し、その配給に就いて深甚の考慮を拂ひつゝあるか。

 

猟犬の配給米に就いて意を用ひつゝあるか。

猟場で猟人以上の活躍をする猟犬も、喰はずには生きてゐない。犬を殺して節米をと提唱した人の話は歯牙にかけなくとも、税金を徴取して存在を肯定してゐる畜犬に對する統制は刻下の急務ではないか。

 

更に地方に公然と行はれる畜犬の撲殺行為、これは警察官にも一部の責任はあるが、上層問題として決して看過さるべきではあるまい。

地方の狩猟家は、これ等犬殺しの横行に戦々兢々として、警察に訴えても何等の反響がないから、吾等は吾等の愛犬を自衛するほかない。

犬殺しが立廻つたら、容赦なく叩き伏せると悲壮な決心を語つてゐる。野犬と雖も人前で撲殺するやうな非人道的な行為をしてよいわけのものではない。

しかも畜犬票をかけてゐるものでも、時に此の厄に遭つて最期を遂げた例が屢次ある。打殺して首輪を隠蔽してしまへば抗議の餘地がないからである。

これは必ずして猟犬に限らぬ事であるが、一般の畜犬家には團體もなく勢力もないから、狩猟團體が代表して厳重に其の筋に抗議し、取締らねばなるまい。この任務を遂行すべきものが、府縣猟友會であるべきはいふまでもない。

 

霰弾、ケースの資材についても、當局に懇談すれば何んとか流用して呉れるに相違ない。無論軍事資材に影響するが如きは自ら遠慮すべきであり、そこは適當に判断してしかるべく、吾等が銃後のつとめを果し得るやう協力せねばならない事はわかりきつてゐるが。

配給霰弾が前年度の兎毛羽毛の成績、或は狩猟期間に於ける前月の成績に依つて配給の多寡が決せられるやうに聞き及んでゐるが、かくては一度不成績をとつた猟友會は何時までも成績が擧らぬ結果を生じはせぬか。

優良なる成績を収めた猟友會に賞として特別配給のある事は已むを得ないであらうが、成績不良の猟友會に配給弾を減少すれば、ます〃成績は低下するに相違ない。

 

飛田穂洲「銃猟新体制の要望」より 昭和15年

 

 |  リブログ(0)
2016-11-14 22:59:46

ウワバミ対ワンコ

テーマ:事件/出来事

長期出張で民宿暮らしをしていた頃、「現場へ向かう林道でツチノコを見た」と言い張る爺様に出会ったことがあります。挙句、そのツチノコ老人から「魚の干物だ」と騙されて炙ったマムシを喰わされたのですが。

明治時代の新聞雑誌には、大蛇出現だのウワバミ騒動だのが結構頻繁に登場します。当時の日本では、深山幽谷に棲む実在の生物だと信じられていたのでしょう。しかし、所謂「ツチノコ型UMA」に関するものは滅多に見かけません。

 

今回は、戦時中に目撃された大蛇のお話を。残念ながら地域は不明。

 

 

午前十時頃、とある山路の分岐點へ差しかゝると、けたゝましい犬の鳴聲が、吹上がる谷風に聞えつ絶えついたします。

 

人夫の人は、どこか炭焼きの人の連れた犬が、兎でも追ひ出したのでせう?と言ひましたが、多年犬に親しむ私の耳へは、その聲は非常時の叫びである様に感ぜられました。

私は一寸待つてくれと中置いて、直ちに路傍の小高い岩石の上に這ひ上がり、遥か谷底の渓流からつゞら折に見え隠れて、その分岐點へ通ずる細道の中程の、少し平らかな雑草や茨や葛藤蔓など生ひ茂る中の小径で、一疋の白い犬が何かに向つて、一生懸命に吠へて居ります。

 

私が暫く見て居りますと、犬の挙動が普通の獣類等に向つて威嚇を咆叫して居るのとは違ひ、全身に逆毛を立てゝ居るらしいので、望遠鏡と思ひましたが、あひにく足場が悪く、背の負ひ袋から取り出す餘地が無く、とにかく一度現場へ急行してやる氣持ちになりまして、展望箇所から下へ降りて、人夫さんに其旨を告げますと、人夫は捨てゝ置きなされ―と申します。

私は、それでもなんだか不思議だ、暫く此處に待てと頼みまして、背の嚢を渡し、採鉱用の二尺程の樫の枝をつけました。三磅(ポンド)ばかりの鐡槌を持つて、身軽に雑草の生ひ茂る細道を、注意深く現場へ急ぎました。

 

一二丁を距てゝ犬を見まして、呼びますけれども、犬は聞えないのか、一生懸命に吠えかけて居ります。白と茶の和洋雑種らしい、高さ尺五寸位ひの中犬です。

その犬はやはり、背の毛を逆立てまして、吠えついて時々前後左右へ身を翻します。

私はてつきり、犬の相手は犬以上の力を持つもので、雑草の中に居て、犬に對して牽制を行ふて居るものと直覚しました。

敵手(あいて)に依りては、危害を感じましたのと、武器としては唯一の鐡槌でありますから、私は多少の不安を感じつゝ、先づ手頃の破砕し易さうな岩塊を見付けて、屈強の飛礫として、徐々に近寄りました。

左手にハンマー、右手は投げつける様に岩塊を差しあげて……。

 

所で依然、犬は私を見上ぐる隙もないらしいのです。奇妙な事には、僅かに通ずる坂径の下方から、私の歩み寄る上方に向つて、さかんに吠えます。

私等を見て吠えつくならば、犬の眼は私に向けらるげきです。然るに犬は、何か他の方に敵手が居るらしく、然も私の近くづくと否とに関心するの餘裕を有せないらしいので、愈々これは通常の場面でないと断定することが出來ました。

 

すると、私は犬の敵の背後か又は側面から近寄り得るものと信じました。そして犬と私との間に敵を挟むものだと、ます〃緊張して接近し、ヰシ!〃と、犬へ聲援を與へますが、犬は依然として、最初見た姿勢から転換すべき餘裕がなさそうです。

私は、何物かゞ姿を現はしたら、直ぐ様一撃を喰らはす身構へをして、場合によりては敵手と犬とをもろ共やつつてけも致し方なしと考へまして、大聲を張りあげて、姿の見えない、上の方の人夫を呼びました。

 

オーイ、〃と二聲三聲叫びました。聞えたのか聞えないのか?

すると又犬はパツと身を下方へ飛び退きました。

その姿を追つて、黒い一條の鈍い光がさつと立ちました。と、犬は又猛然と吠えつゝ上方に向つて、進み姿勢に立直りました。

私は直ぐ一二間の近くまで進みました。小径に掩ひかぶさる、雑草の中に鈍い黒い光りが……。

私は蛇だ!と直感しました。

どうでせう!?一尺か一尺五寸にも足りない道巾に、狭しとばかり、とぐろを巻いた蛇です。

一番太い所と見らるゝのが、大人の足首大の廻りはあります。頭は割合に小さく見えて、まづマツチ函位です。

 

別段恐怖心を起すのでは無いでしたが、それでも私は、首筋から背筋へかけて、ヂゞツと悪寒のはしるのを覚えました。

マツチ函位の鎌首を、平つたくS字型に半ば浮き上がらせたその下で、黒鉛の様な鈍光の、のろい渦がゆるく流れる様に動いて居ます。

恐らく、犬は通路の進退に窮して居ります。一寸の油断があるならば、その平つたくS字型にかゞめられた、毒舌の炎を吐く、鎌首が紅い口を、かつと開いて飛んで來ます。

たとへその毛さきへ噛みつかれても、もうそれは犬の為の致命的な動機を作る事になります。

噛みつくならば、その瞬間に蛇の黒い長いうねりは、犬の胴體を捲くでせう。捲かれたら最後、犬の牙がよしや蛇の胴體へとげの様に刺る程噛傷を與へましても、時計の秒針が十秒と刻まぬ間に三重五重に、螺旋の様に捲きつかれて、一と締めで悲鳴を上げねばならないでせう?

さうして三分と経たない内に、犬のからだの過半は、蛇の鱗の波が、ヂリ〃と黒い油の流れる様に、捲き塞がるでせう……。

 

犬はまだ一年か一年餘りの若い犬です。それでも、山稼ぎする者の飼犬だけに、勇猛心は尋常でなく、さかんに吠えかゝります。

私は見兼ねて、傍に近寄り、犬にあたらない様に、手にした岩塊を蛇の胴體の渦巻きへ投げました。バタン!と音がしたゞけで、その犬に向けられて居る、S字型の鎌首は微動だにもいたしませぬ。

とぐろの渦は、緩急を整へてヂリ〃と流れる様に動いて居ます。私の癇癪玉が左手のハンマーを右手に持ち換へますと、直ぐ蛇のS字型の鎌首へ見舞ひました。

しまつた!

二尺の柄では甚だ短いです。狙ひははづれて土を打ちました。

その餘勢で、白い軍手の中から柄がすべり抜けて、蛇の左側の草の中へ……。草の中の岩角でカチンと音をたてました。

チン……と鳴つた響きに、犬が瞬間、氣をやつた刹那に、何とどうです?蛇の鎌首は、桃色の口をかつと開いて三尺位伸びました。

あはや!やられたか?と思ひましたが、蛇の鎌首が飛んでも、私の眼に見える速度ですから犬の方が早いです。つツと、後へ身を退きました。

そしてます〃怒りを發して、吠えます。けれども犬の吠える威嚇が、蛇に取つては毫も脅威ではありませぬ。

又そのとぐろ巻は、ゆる〃と緩急を渦巻いて、黒いにぶい光りのある鱗が、油の流れる様に、その鎌首とは無関係に運動を起して居ります。

 

もうこの勝敗は、明らかに犬が牽制せられ、犬の逸走を許さぬ様です。もし犬が首をめぐらして尾を向けるならば、直ぐ鎌首は執拗にいぢ悪く飛び附くでせうし、よしや此犬の牙が狼のそれの様に鋭くても、恐らく噛み着くべき隙がありませぬ。

私は意を決し、叢から白い柄の先が見えるハンマーを拾ふべく進みまして、更に驚きました。大人の足首ほどの太さの部分は、まだそれが蛇の前半身である事に氣付きました。

かゞみて中腰になりハンマーを草の中から拾ひ取るべく、うつむいた私の足元には、私の十文の運動靴(ゴムとゴロス製の編み上げ)の幅員と同じ位いの巾の楕圓形の蛇の中腹部の、黒い鱗の光りが、油の流れる様に……、ぢり〃つと、なめらかな運動をして居りました。

 

どきりツと胸に應へましたが、かんじんの唯一の武器であるハンマーは拾いました。大きな石でもあればですが、一寸見當りません。

再び金槌を振りかざし、蛇の鎌首を目がけて打ちつけました。

今度は狙ひ違わず蛇の鎌首を打ちすゑました。蛇の首が一寸調子を悪くした時、犬はその小太い蛇の胴體へ噛みつくなり、ブル〃ツと、二三回振りましたが、その為に蛇の體は波を打つて犬を捲かうと致しました。犬は直ぐに身を引き退いて、又吠えました。

それからは既に蛇の一部を見ましたが、全體は、草の中へ隠れて見えずなりました。犬を呼びまするが、中々犬はこちらの命をきゝませぬ。相變らず吠えてやみませぬ。

人夫が迎へに來ましたが、恐れをなして近寄りませぬ。私も何時までも犬の味方をする事が出來ませぬので、人夫と共に坂道を攀ぢて又山深く犬の鳴聲を後ろに登りました。

 

午後四時頃、山からの帰り道で、小學生らしい子供達五六人が、山の奥へ参るのと出會ひました。今時分子供が山へと思ひましたが、尋ねる氣もせずでした。

犬の話を口々に申して居りましたが、もしや、犬の帰らぬのを探しに行くのではあるまいかと……、おかしな感じがしました。

其後の蛇と犬との争ひの結果は、私等は見極める時間がありませんでした。

 

朝雄生「犬と蛇との争闘」より 昭和14年5月20日

 |  リブログ(0)
2016-11-10 23:17:26

羊頭を掲げて狗肉を売る 昭和5年

テーマ:ペット業界

悪徳ペット商、とはいかないまでも、誇大広告や商品に偽りあり的なペット商は戦前から跋扈しておりました。

現代の通信販売詐欺と似たようなことを、昔からやっていたんですねえ。

 

「此頃の不況から犬の廣告などにも、安い價格を表示して客を呼ぶ傾向がある。

特價分譲と云ふのはまだしも、優秀犬兒四十圓にて分譲などゝ廣告してあるので、自分もこれは近來にない掘出しものだなと思つて早速注文してやると、右の値のものは「賣切れた」との返事。そして百五十圓出せば最優等のものを譲ると書いてあつた。

餘りの値の相違にそのまゝ返事もしないでほつて置いたら、十日程して「五十圓のものもあり賣切れぬ先きに早く求められよ」と寫眞を添へての通信があつた。値も自分に適當したものであつたから、早速送金して犬を送つて呉れるのを待つた。

二、三日して「イヌオクツタ」の電報を受取つたので、どんな犬かと、早速驛へ駆けつけて犬箱のふたを開けて見た。

處が驚くべし。私の想像したものとは大變な相違であるばかりでなく、犬は管理の不十分からヤセ細つて、眼ばかりキヨロ〃して居て、如何さま猟犬として将來の働きは望むべくもない。

餘りのことに私は失望して、早速其意味を申送り、犬を返送した。先方からは代犬を送るとの返事はあつたが、其後三ヶ月にもなるのに何の返事もないので強い手紙を出すと、一頭のポインターを送つて來た。

犬は以前と同様のもので如何さまこれがポインターかと思ふ様なものではあつたが、仕方ない辛抱する事にした。相手は種々な雑誌に犬の寫眞を載せて宣傳して居る人物で、相當人格者と過信したのが私の誤りであつた。所謂羊頭を掲げて狗肉を賣るの輩である。

其後或る信頼する人物にこの事を告げたら「犬を買ふのは即ち人間を買ふ様なものだから」との返答であつた。

如何さまこれは適切な言だと思つた」

岡山 村上生

 |  リブログ(0)
2016-11-09 23:57:34

日本犬界の推移 昭和7年

テーマ:世相/暮し

畜犬界の一部の流れと謂はゞ、何の事だか考へて居る自分の谷は知れないかも知れぬ。

自分は此の語に、現に犬を飼育して居る人々の間に流れて居る、或る流れ、或る流れとは誠に抽象的ではあるが、一種の傾向を示して居る事である。

元來、非常に人真似に長じた我國民性と、模倣を喜ぶ現代人が、深い理由も論拠もなしに、徒に、所謂、流行を追ふて犬を飼ふたことに基因して發生した、一種の結果であると看られる。

 

畜犬家と謂ふと、種々な意味に取れるが、茲では一般に犬を飼ふ人の事を指して謂ふもので、此の畜犬家が、雑誌や、ラヂオや、説教強盗や、何かの宣傳で、急に犬が欲しくなり、ひやかし半分に犬販賣店の店頭に立ち、二言三言話して居る内に、餘り大金でもないから、まあ道楽したものと思ふてと謂ふ氣分で仔犬を買つて來る。種類が何であらうと、系統が如何であらうと、無論問題にはして居ない。斯くして出來上つた犬の飼育家も、此の畜犬家の内にはある。

 

又某男爵の奴、今度英國から何種の名犬を取寄せたとの事だ、よし己は、今度は此の種類を取寄せてやる。或は、某男と某子爵は英國から引いたとの事だから、我輩は米國のケンネルから取寄せてやると、参謀格の出入の犬商人を相手に謀議を練り、二、三ヶ月の後には、數千金を投じた名犬が輸入される。御蔭で出入のものは仕事も出來て喜んで居る。斯くして、出來上つた畜犬家は、理解の出來ない血統書を唯一の誇りとして居る。

 

郊外住居の傾向から、平面的に擴がる都市集中の結果から、麦畑は宅地となり、竹林は庭園となり、茲七八年來郊外の膨張は、蓋し甚しいものがある。斯く郊外の發展に連れ、どうも郊外は犬が居なくては物騒だからと謂ふので、犬でさへあれば何でも宜しい。御用聞きの八百屋や肴屋に頼んで貰つて來て育てる。セツタアだと謂ふて呉れたものが、毛の短いポインタア型の犬に成つたと、交配中の寫眞と見比べて、不思議な疑問の解決に没頭する勤人の畜犬家もある。

 

秋田犬は國犬である。徒に外國かぶれの洋犬萬能を排して、大に國犬主義で行かなくてはと、柴犬を柴犬をと探し、漸く手に入れた柴犬の仔が、一年近くになつても耳が立たない。何とかして立たせる方法はないかと獣医と相談する愛國々犬党の飼育家もあり、御蔭を以て柴犬も近頃では、非常な勢力と成つて畜犬家の脳裏を支配して居る。此の點より見ると、日本犬保存會は、實に先覚者として賞賛すべきであると考へる。

 

銃猟家を看ると、東京附近の銃猟家では、銃は可なり高級なものを選定して使用されて居る。然し犬はと看ると、銃の半分も注意が拂はれて居ない。此の點は、まだ我銃猟界が發達の餘地あることを示すもので、猟の趣味を充分に解し、趣味としての銃猟の域に達して居ないからだと思はれる。甚だしい狩猟家になると、全然犬を持たずに、案内人の犬に頼る銃猟家のある事である。蓋し、都會仕込の下手な猟犬ならば、或は此の主義の方が徹底して居ると謂ひ得るかも知れない。恰も、體だけ運ぶベビイゴルフのフアンの様な考へて居ては、真の銃猟の趣味は味へない。何と謂ふても、可なりの仔犬を求めて、自ら手を下して教練して、活動して呉れる犬を連れて出猟し、氣持よく、面白く、一羽でも二羽でも、無理しないで銃猟の趣味を満喫したら、氣は皓然、正に俗界を離れた三味の境である。然し、銃猟家の内には、犬は放り出し、銃のみ心配する人の多い世の中で、世知辛い、斯る畜犬家も狩猟家の内には尠くないものである

小林信三「犬界一考察」より 

 

世間のアレコレが日本犬界に多大な影響を与えたという、なかなか興味深いお話でした。日本洋犬史の基礎としていいかもなあ。

人口減だの高齢化だの税収減だの、コンパクトシティ化ですったもんだするであろう今後の地域社会において、人と犬の関係はどうなってゆくのでしょうか(特に郊外生活の愛犬家)。……なんてコトは都市計画に組み込まれないのだと思いますが。

散歩とか飼育スペースとかの点で、将来はネコ派が占めていくんだろうなあ。

 |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。