昔々あるところに
こんな犬達がいました

という内容のブログです。






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2017-01-22 20:27:44

厚生省の全國畜犬調査 昭和16年

テーマ:行政/施策

厚生省豫防局防疫課では、狂犬病豫防の立場から各府縣の畜犬數、野犬數、飼犬野犬の増減の趨勢見込、野犬掃蕩の實績、廃犬捕獲犬の處分方法等に就いて警察部長よりの回答を集め、五月現在の畜犬頭數等に関する調査の印刷物を各関係官廳に配布した

「全國畜犬の調査」より

 

上記は太平洋戦争直前に実施された犬の全国調査。

3年後のペット毛皮献納運動は厚生省が指導したワケで、それを考えると薄気味悪い記録ではあります。

ただ、狂犬病対策を巡っては、大正時代から厚生省と内務省が縄張り争いをやっていたので管轄がよく分かんないんですよね。これに軍需物資としての犬皮統制を目論む商工省、衛生および野獣駆除の面から野犬皮革統制に取り組む農林省などが介入し、もう何がナニやら。

 

日本犬保存會や日本シェパード犬協會といった全国規模で活動する団体は、登録犬数を容易に把握できました。しかし、公的機関が「全国の民間人が計何頭の犬を飼育しているか」などというデータを把握するのは大変だったことでしょう。各地の飼育登録業務は警察が担当していたので、省庁の垣根をどう乗り越えたのか興味があります。

他の事例としては、陸軍と帝国軍用犬協会による軍用適種犬(シェパード、エアデール、ドーベルマン)の全国飼育数調査、各陸軍師団に対する保有軍犬数調査なども実施されました。

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2017-01-21 23:36:05

東京オリンピックに向けた野犬対策 昭和12年

テーマ:動物愛護/虐待

「東京オリムピツクまでに東京を世界で最も動物を愛する國にしませう」といふモツトーで、動物愛護の運動をする事になつた日本人道會は、その最初の仕事として、野犬収容所設立の計畫をすすめてゐる。

これは現在東京で最も非文化的とされてゐる野犬狩りの對策で、現在野犬狩りで捕獲された犬は野犬捕獲業者の手によつて三日間一日一銭の食料で三河島、板橋の野犬収容所に飼養され、その後撲殺される運命にあるものを、日本人道會の収容所に引とり、もつと文化的に適當な處分をしようといふのである。

豫算は六萬圓で、内四萬圓を一般の寄付に仰ぎ、二萬圓を日本人道會で調達、郊外に千坪位の土地を物色し、五、六十頭の収容所を建設、収容される犬は野犬狩で捕獲された犬の中、病氣、怪我、衰弱、老衰等の肉體的故障のないもので、適當なる飼養者のあるまで同収容所で飼育する。

「野犬収容所の計畫」より 昭和12年

 

オリンピックは対内的な国威発揚と共に、対外的な国家PRの機会でもあります。外国からの来客に恥ずかしくないよう、悪習や社会環境の改善、マナー啓発、国際的な基準の導入などが叫ばれてきました。

 

昭和14年の東京オリンピック開催計画でも、その辺の事情は同じです。

狂犬病予防の面からも当時の野犬対策は喫緊の課題であり、警察や愛護団体は飼育マナー啓発、去勢手術支援、廃犬買い上げ、捕獲野犬の里親探し、畜犬税増額などで飼育頭数や捨て犬の抑制に尽力。しかし放し飼いが当たり前だった時代、それは徹底されませんでした。増える一方の野犬は「五、六十頭」程度の保護では追い付かず、片端から駆除するしかなかったのです。

明治時代からの駆除方法は街頭での撲殺であり、児童などへの悪影響が懸念されていました。

 

オリンピック開催が決まると、「街頭での野犬撲殺は外国人に恥ずかしい。捕獲してからの殺処分にしよう」と方針転換。そこを足掛かりに、警察側も炭酸ガスによる安楽死措置、殺処分猶予期間の延長、里親マーケットなどの導入へ取り組む筈でした。

しかし昭和12年、日中戦争の勃発によって全てが破綻します。

「東京オリムピツクまでに東京を世界で最も動物を愛する國にしませう」という折角のスローガンも、オリンピック開催を含めて頓挫してしまいました。

 

戦況激化や節米運動により、昭和14年前後から「この非常時にペットを飼う者は非国民」という風潮が高まります。

保護対象となったのは、戦争の役に立つ軍用犬、治安維持に貢献する警察犬、野獣毛皮を供給する猟犬、国家の威信である天然記念物指定の日本犬のみ。それ以外は、無駄飯を食む無能犬と断じられました。

昭和16年以降、愛犬家の戦地出征や物資不足により、ペット商組合や畜犬団体も次々と活動を休止。組織的防衛の手段を失った愛犬家は、近隣住民の白眼視に耐え切れず愛犬を手放します。

厚生省や警視廳の調査では、昭和16年度に2000人の飼い主が飼育を止め、逆に捕獲野犬数(捨てられたペット)は1000頭増加しました。以降、この傾向は続きます。

誰が命令したワケでもなく、日本犬界は崩壊しつつありました。

 

細々と飼育が続けられていたペットたちにも、最期の時が訪れます。

軍需物資が欠乏した昭和19年、全国規模での畜犬献納運動がスタート。国家(軍需物資統制を管轄する商工省、野獣皮革統制を管轄する農林省、防疫担当の厚生省、狂犬病対策の内務省)の指導により、全国の自治体で多数の犬猫が毛皮にされてしまいました。

「最も動物を愛する国」どころか、日本は「ペットを全国規模で殺戮する国」へとなってしまったのです。

 

一億玉砕へ突き進む中、国家と国民がタッグを組んで犬を迫害した戦時日本。

日本人が犬を愛する心を取り戻したのは、総力戦の末の敗北を経た後でした。

 

ペットを巡る状況改善の契機として、今回の東京オリンピックは成功を期待しています。「外国に対し恥ずかしい」「外国を見倣え」「見て見て、僕たちこんなに西洋化したよ!」という島国根性こそ、日本が発展向上してきた原動力ですから。

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2017-01-19 21:54:38

珍島犬の歴史

テーマ:日本と東洋の犬種

名犬流行時代に長い歴史を持つ純朝鮮犬で、獰猛ではあるが飼手には温順、しかも敏感な軍用犬にも、番犬にも、猟犬にも百パーセントな適用性を持つ申分ない珍島犬を、半島動物學の第一人者城大豫科教授森為三博士の手で調査研究した結果、如何なる優秀な洋犬にも劣らぬ、世界に誇る畜犬界の王者とも称すべき良犬である折紙が付けられ、我畜犬界にセンセイシヨンを惹起す快ニユースが齎された。

京城日報「名犬流行時代に朝鮮の花形登場」より 昭和12年

 

 

南も北も、なんだか全方位へ向けて迷走しつつある朝鮮半島情勢。対岸の火事を遠巻きに眺めつつ、今回は日本統治時代の朝鮮在来犬について取り上げます。


朝鮮半島では古くから愛玩・警備・狩猟・食肉・廃物処理などに犬を利用しており、地域によって様々な品種がいました。
特に有名なのが珍島犬。
優れた資質を持つ犬として、古くから大切にされてきたそうです。

 

日本人側の評価は「純日本犬に匹敵する、貴重な在来犬である」「なんの価値も無い駄犬。和犬には及ばない」と二分されていました。それゆえか、珍島犬調査も昭和12年スタートと遅めになっています。

 

そうこうしている間にも洋犬が大量流入し、多くの朝鮮在来種は姿を消します。戦前の朝鮮半島ではシェパード愛好団体がボコボコ設立されたものの、在来犬に関してその手の動きはナシ。犬の飼育が制限されていた訳でもないのに、ペット業界は日本人主導の状態でした。

こうして日本統治時代もシェパードや猟犬が保護されていたのに対し(帝国軍用犬協会から朝鮮の警察機関に軍用犬種の保護要請が出されています)、地域に住んでいた犬達は長く顧みられることがありませんでした。

 

コレが「日本人が朝鮮在来犬消滅の犯人」的な言いがかりの遠因なのでしょう。

在来犬の現況を調査したのは日本人の森為三教授、僅かに残されていた珍島犬と豊山犬を保護指定したのは統治者たる朝鮮総督府なんですけどね。

総督府は外貨獲得資源として犬皮輸出に注目していましたが、珍島犬は保護対象でした。食肉・毛皮用として処理されたのは野良犬や廃犬手続きされた飼い犬であり、これらは一般からの買い上げと野犬駆除という手段で調達されています。

 

森博士は豫て半島の南端多島海中の大島全南珍島に純朝鮮産の良犬がゐることを聞きこんで同島に赴き、約二週間滞在して、實験研究の結果、この島に産する珍島犬こそ、同教授が多年捜し求めて得なかつた「純粋東亜系統の犬」であり、日本の名犬秋田犬位の大きさで同一系統と見られるスマートな體格をしてをり、性質は極めて温順であるが、野山に放せば恐ろしいスピードで走る獰猛さをもつてをり、嗅覚も以上に發達して極めて鋭敏怜悧であることが發見された。

現在は食用にされてゐる哀れさに、同博士は一時も速に之を救ひ、軍犬、番犬、猟犬として世界最良犬たる真價を發揮させんと帰城早々天然記念物保存令により、内地の秋田犬、土佐犬同様に保存指定犬にすべく目下當局と交渉中である。

京城日報 昭和12年


朝鮮半島土着犬保護の目的で、珍島犬と豊山犬を「朝鮮宝物古蹟名勝天然記念物第53号」に指定したのは昭和13年のこと。

しかし前年に天然記念物指定計画が報じられると、これがアダとなりました。珍島犬は日本のペット商に買い漁られ、保護前の時点で数が激減してしまったのです。

 

耳がピンと張りスマートなスタイルをして番犬に、軍用犬に申分ない純朝鮮産名犬「珍島犬」が、城大豫科森博士によつて發見され、愛犬家の間にセンセイシヨンを巻き起こしたことは既報の通りであるが、その後珍島には朝鮮は勿論、東京、大阪、遠くは東北地方の愛犬家や愛犬クラブの人達が殺到して、寂しい珍島に時ならぬ賑ひを來し、名犬「珍島犬」は飛ぶ様な賣れ行きで、中には悪質の商人も混つて大量買占めをやり、不當な利潤を上げようと策動してゐるものもあり、この儘放置したら珍島犬は忽ちにして種切れになりさうな破目に逢着したので、森教授は文珍島郡守宛に名犬保存の見地からベラ棒な安値の賣買と大量買占めを禁止してもらひたいと通牒を出し、珍島犬保存のSOSを發した。

京城日報「珍島犬に早くもSOS」より 昭和12年

 

近代日本は、弥生時代に続いて朝鮮半島と日本列島の犬界交流が活発化した時代でした。

日本在来犬と朝鮮在来犬と洋犬が、入植者とともに互いの地域を活発に行き来していたのです。日本犬保存活動史ではあまり取り上げられない事実ですが、大陸方面へ移住した日本人の多さを考えれば当然のことなんですよね。

当時の内地ペット界でも、たまに朝鮮半島から持ち込まれた犬の記録を見かけます。彼らが互いの犬界へ与えた影響については、戦争末期に日本犬界が崩壊したこともあって、それこそサッパリ分かりません。


この流出状況は改善されなかったらしく、昭和18年発行の朝鮮総督府資料でも、「天然記念物指定した筈の珍島犬が業者によって島外に持ち出されている」「珍島に持ち込まれた洋犬との交雑化が深刻な状況である」と、保護対策に苦慮する様子が記されています。


しかも、保護活動が始まったばかりの昭和14年にはジステンパーが大流行。多数の珍島犬が犠牲となりました。

【光州】 形容と性質が独特な朝鮮犬として昭和13年天然記念物に指定され保護して来た全南珍島犬は、同郡内に千百一頭が飼育されてゐるが、この程四百二十一頭がヂ ステンパーに罹り、最初は消化器障害を来して漸次神経系統に移つて行くうち呼吸器系統の諸症を併発し、なかには胃腸カタルに皮疹を伴ひ、肺炎を冒され斃死 したものが其半分二百十頭に達してゐる 

京城日報「珍島犬の危機」より 昭和14年

朝鮮半島が植民地支配を脱したとき、古くから各地に存在していた土着犬達は大きな打撃を受けていました。 珍島犬保護法が制定された頃には朝鮮戦争が起きて……等と、朝鮮在来犬の歴史はナカナカ大変だったのです。

 

その混乱が誤解を招き、「日本人が珍島犬を滅ぼそうとした」などという突拍子もない歴史批判へ結びつける向きがあるのは残念ですね。

日本側も「言いがかりだ!そっちのペット文化が未開だったからだろ!」などと威勢よく反論しているのですが、ソレは「日本は統治下の畜犬行政すらマトモにできないボンクラ国家であった」と主張しているのと同じ意味だったりして、相手を攻撃しているつもりがブーメランの投擲になっているという珍妙な展開になっております。

自発的に愛犬団体を結成しなかったゆえ、全ての責を日本側へ押し付ける韓国側の態度。そこへツッコミを入れられない日本側の無知と不勉強さ。

全部がダメダメなので、この日韓ドッグファイトは延々と続くのでしょう。

 

やっぱり遠巻きに眺めるのが吉。

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2017-01-15 22:34:42

アイリッシュ・ウルフハウンドの日本史

テーマ:猟犬と使役犬種
西暦300年代あたりから登場する、ギリシャあたりを発祥とする超大型犬。アイルランドへ渡ったあとはオオカミに対抗し得る猟犬として飼育されました。
19世紀になると、アイルランドでのオオカミ絶滅や深刻な飢饉が重なり、この大型犬の需要もなくなってしまいます。その状況を憂いたグラハム大尉は、絶滅に瀕した個体の復活に着手。各国の大型犬と交配し、現在のアイリッシュ・ウルフハウンドとして生き延びることとなりました。


この犬は「世界最大の犬」として、戦前の日本でも知られていました。
近縁の超巨大犬として、ディアハウンドも明治時代から紹介されています。ただし、その巨体ゆえ実物の輸入は阻まれたままでした。

ディアハウンド

足立美堅著「いぬ」より 明治42年

そしてついに、アイリッシュ・ウルフハウンドが来日します。
時は日中戦争勃発直前、昭和12年のことでした。


犬
来日したアイリッシュ・ウルフハウンド

珍犬アイリツシユ・ウルフハウンドがその堂々たる巨躯を東京市芝公園アンドリウユス商會に現はした。
―と云ふことは三月初めの新聞紙上で、皆さんの既に御承知の通りである。
―珍しや、アイリツシユ・ウルフハウンド君、君が来朝を心から讃ふ―
そんな氣持ちで、一日、同君歓迎と出掛けた。

市電を御成門で捨て、アンドリユウス商會の門をくゞる。廻転ドアの傍らの受付で刺を通ずると、廣い事務室のテーブルをグル〃縫つて、受付子グン〃記者を導いて行く。
同商會は機械輸入商で、商會主チヤールス・アンドリユウス氏は大の愛犬家。
最近所用があつて加奈陀へ渡つたが、帰途英國で買ひ付けたアイリツシユ・ウルフハウンドをバンクーバーで受取り、三月五日横濱入港の船で犬とともに帰朝したのである。
受付子に引つ張り廻される様な格好で、第一の事務室、第二の事務室を抜けた記者はやつと奥まつた一室のドアの前に到着した。そこで受付の引継があつて、ドアの内部に招じられる。

秘書室を抜けて、やつと目指す商會主の部屋へ―。
アンドリユウス氏にお目にかかる。氏は英人だが、正に英國型の好紳士である。
「ようこそ。アイリツシユ・ウルフハウンドを御覧においでですか。さあ、どうぞ……」
立派な日本語だ。後ろを振り向いて
「ガイ、此方へ來い……」
これは英語である。
來朝早々の、英國生れのガイ君に日本語の分る筈がない。
氏の背後から紐無しでノソ〃現はれた巨大な動物。一瞬これが犬とは一寸思はれなかつた。偉大な巨躯、グレイの長毛が、背、足、顔を被ふて、光りを浮べた眼がジツと記者をみつめる。
表情は何處かスコツチ・テリアに似てゐる。
「大丈夫ですか」
「體は大きいが、温和しいのです」
「犬とは思はれない……」
「いや、柔順な性質で、怖いことはないのです。番犬に非常によろしい」
「随分柄がありますが、體重は?」
「十六貫二百匁です……」
さう答へた氏は、今度は巻尺を取出して體高を計つてくれた。
「體高は三十四吋……」
ガイ君を愛撫するアンドリユウス氏、犬も嬉しさうに氏に寄り添つてゐる。

ガイ君の本名はガイ・オヴ・ペンタヴアラー。牡二才。
英國オーボラー生れ。英國ケンネル・クラブ登録犬である。
「若い割合に賞歴が豊富でしてね」
リストを覗くと、クリスタル・パレスに於けるケンネル・クラブ・チヤンピオンシツプ・シヨウで第一席といふ大物の外、第一席三回、第二席二回、第三席四回、いづれも昨年度の入賞である。
「ところで、この犬種を連れておいでになつた譯は?」
「私は、アイリツシユ・ウルフハウンドが非常に好きなのです。それで以前にも飼つてゐたことがありますが、日本に來るに就いて止めました。ところが、やつぱりこの犬種が飼つて見たくて英國へ註文したのです。しかし御覧の通り長毛種ですから、日本の夏が思ひ遣られ、實はテストの意味で一頭入れてみたのです。夏が旨く越すことが出來、具合がよいやうなら、來年あたり今度は更に牝を入れるつもりで、日本で大いに蕃殖させたい、かう思つてゐます。が、何と云つても心配なのはこの夏です……」
そして氏はガイ君輸送苦心談を語るのである。

印度洋を越させるのは何としても無理なので、大西洋を廻つて加奈陀に上陸させ、大陸を横断してバンクーバーへ。
大西洋では特に船員に頼んで面倒を見て貰つたのでよかつたが、大陸横断旅行は箱詰めなのでガイ君すつかり弱つて了ひ、皮膚病に罹つてバンクーバーでは健康恢復のため二ケ月を要し、永く入院せねばならなかつた―。
「何しろ大きいので大変です。假令テストであれ、牝も一緒に入れたい考へもあつたのですが、一度輸送と云ふことを考へると、一寸手が出ませんでした。一時に二頭買つたのではお金の方も大変ですしね……」
釈然として氏は笑ふのである。

「新聞によると、ガイ君の價金五千圓ですね」
「あつは、は。船に來た記者諸君が相談し合つてさう決めてしまつたのです。あの時耳を揃へて五千圓ポンと出すなら、或は賣つてしまつたかも知れませんがね。あつはは、これは冗談。
輸送の苦心を思ふと、一萬圓でも手放せませんよ。但し元價はそんなに高いものではありません。それは、こんな大きな犬を飼ふ人は數が少いからで、十年前は英國でも二、三人が飼つてゐたに過ぎず、今でも三、四ケ所で飼つてゐるに過ぎません」
アイリツシユ・ウルフハウンドは正に世界的珍犬と云つてよい。それが日本へ這入つたことは、色々な點からみて意義があると云つてよからう。

飼育は毎日生肉三百匁、犬ビスケツト三個(一個三百五十五瓦)で、それ犬は犬自身たべぬさうである。
「だから食餌の方は割に楽です。運動は自動車で曳き運動を行ひ、郊外を朝夕二哩位走ります。そんなに飼ひにくい犬でないと云つてよいでせう」
ガイ君は隅のマツトの上へ帰つて、いつの間にか横になつてゐる。
と、秘書室から黒い犬がチロチロと現はれた。スコツチ・テリアである。
記者のズボンへ鼻先を突つ込む。
「スコツチは可なり昔からやつてゐますが、テンパーで酷い目に逢ひました。先頃四頭生まれ、一頭上海へ送つたのが無事で、あと三頭はテンパーで仆され、サモエデも二頭テンパーにとられてゐます。目下六頭のスコツチの仔がゐますがね。
屋上で飼育し、一切屋上から降ろしません。又テンパーになられては困りますからね」
氏のパイプから紫煙が立ち昇る。煙の行方を追ふと、記者の目はガラス張りの壁に行き着いた。
ガラスの中に金魚が楽しさうに泳いでゐた―。

「世界一の大犬」より 昭和12年

アイリッシュウルフハウンドが当時の日本で繁殖されることはなく、日中戦争への突入以降は日英関係も悪化。
そして4年後には太平洋戦争へと突入し、ガイは唯一の来日個体で終わってしまいました。


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2017-01-14 20:41:33

権太(御手犬)

テーマ:犬籍簿・名犬と忠犬

生年月日 不明

犬種 不明

性別 たぶん牡

地域 愛知縣

飼主 廣庄八氏

 

忠犬権太のお手柄。

岡崎市伊賀町國立種鶏場の自動車運転手廣庄八さん方の愛犬権太が、二月十六日午後三時頃俄に吠え出した。

庄八さんの妻あさのさんが何事ならんと戸外に飛び出て見ると、愛犬が袖を咬へつゝ盛んに急を告げるので、愛犬にひかれるまゝに數町はなれた山林内に行つてみると、老婆が倒れてゐるので大騒ぎとなり、医師を招いて手當を加へたが間もなく絶命した。

その老婆は同市伊賀町梅林さんで、松葉拾ひの最中に心臓麻痺を起したものであるが、十八日葬儀に際して前期愛犬権太の御手柄がはじめてわかり、称賛の的となつてゐる。

「でかした忠犬 老婆の急死を知らせた権太」より 昭和12年

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2017-01-10 21:30:44

ハンター

テーマ:犬の漫画/絵画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和11年

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2017-01-10 21:26:29

流行のファッション

テーマ:犬の漫画/絵画

昭和11年

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2017-01-10 21:25:14

雉射ち

テーマ:犬の漫画/絵画

昭和11年

 

むかしは仔犬を連れて山歩きに出かけると、猛禽類に攫われることがあったそうで。なかなかエゲツない体験談が残されていたりします。

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2017-01-10 21:20:21

お前もやってみろ

テーマ:犬の漫画/絵画

コドモマンガペーヂより 昭和11年

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2017-01-10 06:00:00

呉市の犬界(「この世界の片隅に」を観て)

テーマ:国/地域

各方面から絶賛されている映画、「この世界の片隅に」。私も三回ばかり観に行きましたが、原作の世界観を綿密な調査で肉付けした、素晴らしい映画でした。

映画自体はちいさなエピソードの積み重なりで、130分近い上映時間も気になりません。

驚かされるのは呉市の再現度。何気ないワンカット毎に費やされた取材の量を想像するだけで、瞬きするのも勿体ない気分になります。

だから映画の感想も、モノ作りやレポート作成に取り組んだり、それに伴う資料集めに苦労した経験のある無しとかで

「この映画スゲー!」

「なんか地味な映画だな」

に分かれるのでしょう。

 

「戦時下のホームドラマ」と「ミリタリー映画」を混同するのは変ですが、そちら方面の考証もしっかりしています。呉空襲の描写も、他の邦画みたいな「B29の絨毯爆撃で街が大炎上」という表現とは段違いの怖しさでした。

小型艦載機による在泊艦船への襲撃に始まり、B29の無差別爆撃へと戦法がエスカレートしていく過程。昼夜をとわない波状攻撃に、防戦側が疲弊してゆく様。炸裂する砲弾や爆弾、個別の標的を狙う機銃掃射、家屋を焼き尽くす焼夷弾の殺傷能力が、轟然と噴き上がる爆煙や、高速で降り注ぐ対空砲弾片や、呉上空を乱舞する艦載機の影でアリアリと表現されるのです。しかも空襲の合間に晴美さんのツッコミが入って、客席から笑い声が上がるというカオスっぷり。

兵器の威力が可視化された反面、この手の映画に出てきがちな「軍人の狂気」みたいなものは希薄です。軍国日本の醜悪さを体現したのは憲兵くらいで、軍人も戦時下を暮らす普通の人々として描かれていました。

原爆投下も原作同様アッサリした描写でしたが、物語に没入するあまり「二度目」があることをすっかり忘れていて不意打ちを食らいました。

 

妙なトコロで肯かされたのが、すずさんのケガです。身内に戦傷者がいると、腫れ物に触るでもなく、かといって無神経も許されず、周囲もあんな対応になりますよねえ(少なくとも、祖父が傷痍軍人だったウチはそうでした)。モチロン本人の心情や怪我の重さや被災の度合いで、ソレも違ってくるんでしょうけど。

戦時下の日々を描き出すことで、この映画は「そういえば自分の祖父母はどこで何をしていたんだろう」と思いを馳せる道標にもなります。

時間軸での繋がりだけでなく、あの時代を水平展開もできるのが、この映画の素晴らしさでしょう。

 

残念な点は、原作ファン共通の「リンさんとの交流や鬼イチャン冒険記が大幅に削られたこと」位でした。削らざるを得なかった事情や、それで説明不足になった部分を批判されることが残念という意味で。

 

観客の年齢層は小学生からお年寄りまで幅広かったのですが、ED中に席を立ったのは4分の1くらいでしたか。残りの人は座敷童子の伏線が回収されるまで、シラミ少女の成長を見守っておりました。

そんな感じで個人的には大満足だったんですけど、「戦火の中のメロドラマ」みたいなのを期

待していた人は、肩透かしを食ったんだろうなあ。

感想文は以上。

 

 

それでは、犬のブログなので犬の話を。

映画の舞台となった広島県は、日本海軍の犬にとって「発祥の地」であり、日本陸軍の犬にとっては「帰国の最終ゲート」でもありました。

日本海軍の軍犬史は、昭和7年に呉軍需部が火薬庫警備犬を配備したことから始まります。呉の成果を見た横須賀や佐世保の軍需部も、後に独自調達へ動きました(陸戦隊に関しては調達経路が不明)。

そして呉の隣、似島には、戦地から帰国した軍馬や軍犬の検疫施設がありました。帰国軍犬は似島で家畜伝染病の検査を受けた後、本土への上陸が許可されます。ただし、何らかの感染が判明した個体は島内で殺処分となりました。

※「戦地の軍犬は一頭も帰れなかった」とかいうのは、敗戦後のお話です。わざわざ動物用検疫所を設けたとおり、戦時中には普通に帰国していました。

 

ついでに広島の畜犬史を調べようとしたのですが、思ったより大変でした。

広島犬界の記録自体が少ないので、呉市限定となると更に困難です。できるのは、帝國軍用犬協會の会員名簿から呉在住者の名を探すことくらいですか。

 

「シエパードの優秀犬が四國高松方面及び廣島縣下に移動しつゝあることはシエパード界周知の事實であるが、廣島縣大竹一本杉は正にシエパード村の観があり、軍用犬の資源充實の實際方法に暗示を與へる點から見ても非常に興味がある。
この村は畜犬に實に理想的な土地で、會つてヂステンパーにかゝつた犬がないと云はれる程、環境が犬の生活に恵まれてゐるが、こゝの青年團長格と云つた素封家陣場氏を盟主に、松本端三氏が實際的采配を振ひ、大竹シエパード倶楽部が組織されてゐて、盛んに気勢をあげてゐる。今や世界的名犬ウツヅ・フオム・フツセン號もこゝにあり、その発展に多大の期待が寄せられる。
一面、軍用犬の畜産的發展と云ふと語弊があるかも知れぬが、とにかく農村の副業飼ひとして括目に値する。そしてよきに付け悪しきにつけ、先覚の模範村となることであらうから、切に正しき發展を祈つてやまない」
「シエパード村現る」より 昭和8年

 

犬

広島で飼われていた日本テリア。昭和9年

 

鳥や昆虫やカブトガニを除き、映画に登場する動物はネコが中心でした。「ホームズやラッシーのノリで、片渕監督が犬を出してくれるかも……」と勝手に期待していたのですが、犬は戦前と戦後の場面にチラッと写るだけ。すずが呉に嫁いだ戦争後期には姿を消しています(同時期のペット毛皮供出と関連づけたのかどうかは不明)。

原作を加えても、犬は計4カットほどしか登場しません。

 

伊豆下田

 

数少ない「出演犬」のうち、一頭は野良らしき立耳の雑種犬。戦前の広島市街を、画像のような感じでひょこひょこ歩いてました。

洋犬が普及し、放し飼いが当たり前だった時代に見られた光景ですね(画像は伊豆)

 

もう一頭が、進駐軍のペット。「ギブミーチョコレート」の場面で、米軍のジープに乗っていたブルドッグです。

 

 

日本へ進駐したアメリカ軍の将兵は、正規の軍用犬以外にマスコット犬(要はペット)を飼っていました。敗戦直後の記録を調べると、入手方法は「その辺の仔犬を拾った」とか「日本人からのプレゼント」など様々です。さすがに大正~昭和初期で流行が去ったブルドッグは戦時中に姿を消してしまい、本国から持ち込まない限り入手は難しかったことでしょう(ちなみに、ブルドッグの輸入再開は昭和25年になってから)。

 

そんな中、戦前の呉犬界の記録を発見。

当時の広島県では運搬犬が活用されていたりと、興味深い内容です。当時の荷役犬としては、南樺太・北海道ではカラフト犬が、中部~中国地方ではポインターや土佐犬が中心でした。

これらの荷役犬も、戦時中には畜犬税を免除(=野良犬扱い)されて、毛皮供出の対象となってしまった地域もあります。呉はどうだったんですかね。

 

帝國ノ犬達-犬車

戦前の輓曳犬(東京にて) 昭和13年

 

四月以來私は所用あつて呉市に數回往復した。

呉は海軍の鎮守府がある丈けに中々活気に富んだ町である。何時も雨にばかり降りこめられて、用事が済むと這う這うの體で逃げて來るのであるが、五月の初旬久し振で好い暖い天気にぶつかつた。折角だから博覧會でも見たらと勧めらるゝが儘に、僅かな暇を利用して見物することにした。

 

第一會場の奥の方に本願寺の出張が出來て居るのが目に止まつた。

善男善女が財布の底をはたいたお賽銭の山、流石は偉いものだと感心した。ずつと中の方へ入つて見ると、親鸞聖人の御誕生から入寂に至る迄の場面が、頗る巧妙に現はされて居るので、宗教心に乏しい者でも自ら敬虔の念にうたれざるを得なくなる。

夫等の場面の中に白犬が聖人の徳を慕つて、彌陀の説法を聞いて居るがの如き光景があつた。聖人と犬、詳しく研究して見たら、唯興味あることゝ思つた。

 

呉には至る處に荷車を牽かした犬が居る。丁度土佐の雑種らしい。

是れが中々訓練されて居て忠實に良く主人を助け、一生懸命荷物を引張つて居る。そして主人が車を離れる時は、その下に入つてちやんと看守に勤めて居る。

見た處別段立派な犬舎や、営養食も與へられて居る様子も思へない。之れを見た吾々シエパード党、作業犬云々も聊か恥しい様な気がした。

 

六月になつてからも、二度ばかり往復した。

何時も暇がある様で又ない様な、割合忙しい旅行なので、好きなシエパードの姿さへ實はまだ見て居なかつた。

夫故今度こそはとJSV(社団法人日本シェパード犬協会)會員名簿を用意して來た。之れで見ると當地にも會員が二名ばかり居られる。是非一度お目にかゝつて状況を承はり、且又愛犬家にも御紹介を願ひ度いものあと、態々遠方迄お訪ねしたが生憎行違ひで残念であつた。

 

呉市にはF氏と云ふ愛犬家がある。

看板こそ掲げては居れ営利主義一方ではなく、従つて造詣も中々深く、又親切に病犬の相談相手ともなつて、よく愛犬家のお話をして居られる。

こんな人があればこそ呉市のシエパード熱も、急激に盛んになつたことゝ思はれる。

同氏のお話によると、當地のシエパード犬は、数に於ては可なり居るが、少数の優良のものを除く外、殆んど青島系が占めて居るとのことで、甚だ遺憾に思つた。

所謂禮節の前の衣食時代だと思へば又止むを得ないのである。私は暇さへあればF氏のお店に邪魔をした。

其處へは絶へず色々の人が入つて來る。

或る時島から一匹の小型犬を連れて來て「此犬にはブルが少し交つて居る様だと近所の人が云ひますが、若しさうだとすれば賣つて仕舞ひ度いと思ひます。一寸見て下さい」と真面目に聞かれた。

そこでF氏もどう答へてよいか、躊躇して居られたので、私はお気の毒だとは思つたが、正直に教へて上げた方が却つて親切ではないかと思つて、「全く此犬にはシエパードが係かつて居る様です。良い買手があるならお賣りなさい」と即直にお答へした。

續いてF氏も同じ様な意味で親切に教へられたので、大変喜んで帰つて行かれた。

こんな話は此處では決して珍らしくないさうで、海軍の人達が青島邊りから安物を連れて來られるのが、転々として居るとの事でさもある可きことゝ思つた。だが併し熱心な愛犬家達によつて、先頃シエパード犬の會が造られ、會員も既に百名を突破したとの事で、必ずや堅實な發展が齎される事と思ふ。

藤田治夫「近況一束」より 昭和10年7月12日

 

戦前にはたくさんの犬が飼育されていて、独自の犬界が形成されていた呉市。

過酷な戦時下、これらの犬たちがどういう運命を辿ったのかは不明です。

原爆で壊滅した広島犬界の様子も知ることはできませんが、せめて戦後復興期の記録を載せておきましょう。

 

あの惨憺たる原爆の災禍を蒙り、世界の全人類を戦慄せしめ、今以てその後の御動静如何にやと御案じ申上げて居たわがJSAの広島支部が、森信支部長を中心として雄々しくも立上り、1953年度の西部準ジーガー展の主催を買つて出られ、しかも模範的な大展覧会を開催せられたことはわれわれの驚異であり、より一層の感激でありました。
有坂光威 昭和29年

 

全国のあらゆる町や村に、犬を含めてそれぞれの戦時史があったのでしょう。そんな当たり前の事実を、再認識させてくれた作品でした。

 

ありがとう。あの世界の片隅に、犬を登場させてくれて(オチを一生懸命考えました)
 

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