「今度こそ頼むぞ」
うしろから呼びかけられるみんなの声に送られて「ようしツ!」と力強く答へて、橋板を踏みはじめた。
しばらく行つたが、體がグラツとゆらいだと思ふと立ちどまつた。
「駄目か」
隊長は思はず声をかけたが、やがて再びかけ出した。ところがびつこをひいてゐる。
「あゝ、足をうたれたな」
兵は相変わらずびつこで駈けつづけた。
「おお、行くな、えらいぞ、行つてくれ」
ちやうど声援でもするやうに隊長は叫びつづけた。
半ば以上も進んだらうか、橋の上の兵はつまづいたやうにゴロリとなると―、ドブーンと河の中へ呑まれてしまつたのである。
「ウーム」
隊長は唸つた。
「ウーム、ウーム」
みんな同じやうに唸り出した。
豪雨に阻まれて、しばし撃ち合ひをやめた南岸の池田隊の兵隊も、さつきからの有様を、一つ〃手に汗を握つて見守つてゐたが、これも「ウーム、残念」と歯を喰ひしばる。
両岸の勇士達は、橋を見つめてたゞ地団太をふむばかりである。

唸りつゞけてゐた隊長は、ハタと膝を打つた。
「さうだ、人がだめなら犬にしよう」
隊の軍用犬の中で、一番訓練を積んでゐる田中一等兵係りのシエパード一頭が、直に引出された。
田中一等兵は弾薬箱を背にくゝりつけるといつた。
「今日は伝令ではない、弾薬運びだ。それから走つて行くのは堅い土の路ではなく、フラ〃してゐる橋の上だ。
ほら、あの重いものをしよつて走つた訓練もと、丸木橋の上を渡つた稽古を忘れないで、うまくやつてくれよ。
あの時の訓練も、稽古も、かういふ時の役に立つためだぞ」
犬はそれに聞き入るやうに頸をかしげてジツとしてゐた。
「はい〃」といふ返事の代りらしく、時々尾を上げて、バサリ〃とふつた。
「そら、行け!」
命令と共にとび出した。いつもならば風のやうに走るのだが、背中の荷でさうは行かない。
それでも足を早めて橋へかゝつた。
橋の長さは五メートル。
両岸の兵士達は片唾を呑んでこのお使の一歩々々を見守つた。

上澤謙二著「弾薬箱のお使」より 昭和13年

帝國ノ犬達-運搬犬
歩兵学校でテスト中の運搬犬。画像の通り、荷車での運搬には兵士の補助が必要です。
昭和8年撮影。

後編では、日本の軍用運搬犬について取上げます。

軍用運搬犬が何時頃登場したのかは不明。

元々荷役犬を使っていた国が、自然と軍隊でも採用していったのでしょう。

日本の獣医雑誌でドイツの軍用運搬犬について報道されたのは明治27年(1894年)のこと。

翌28年には、ドイツ山岳猟兵大隊からトルコ皇帝へ送られた運搬犬の記事が紹介されています。


「土耳古のゴルツパシヤ(※フォン・デア・ゴルツ)、土耳古皇帝に軍犬の話をなせしに皇帝は之を馴養せんことを所望せられたり。
獨逸皇帝(こ)の所望を聞かれ三頭の軍犬をポツダムの親衛山猟(山岳猟兵)大隊より贈与せしめられたり。
依て此軍犬の馴養者猟兵伍長バツハマン氏は猟兵ヘルクストと共に之を護送したり。
今バツハマン氏の談話近着の獨逸軍事雑誌に出たれば左に之を抄訳すべし。
(中略)
ドレスデン付近にて本年五月廿四日軍犬の試験をなしたるとあり、此時斥候は犬と共に狭き門を通り行きたるが、其犬は傳告せんとて帰りしも、先きの門を見失ひ遂に六尺高き刺籬を飛び越へ使命を全ふしたり。
若し此犬にして不活発にして飛ぶことに不熟練なりしからば、かゝる障碍物の為に大に其体を傷けたるべし。
戦時には犬の背の両側に袋を担はしめ、而して走る時滑り落るを防ぐ為に其袋を革条にて犬の首に結び付くるなり。
此袋の中には各七十五個の薬包あるが故に総計百五十個の薬包を担ふ。
今猟兵発射して犬を目撃すれば、犬は直ちに其側へ駈け行き背に負ひたる袋を渡す。
猟兵之を取れば直ちにからの袋を負ひながら戻り来る。然るときは又薬包を負はしめ使用するなり。
敵軍の退却したるときは負傷者を捜し出し、叫吠或は挙動にて之を我軍に通告す。
其他犬の労働は大にして、湿気、寒気、暑気に忍耐せざる可らず」
「日清戦争實記」より 明治28年


やがて、日本陸軍も軍用犬の研究に着手しました。
陸軍歩兵学校での運搬犬研究は大正8年から開始されます。
それから昭和3年頃までの運搬犬訓練は荷車の牽引、つまり「輓曳犬」に主眼が置かれていました。
しかし、その頃既に(というか、第1次世界大戦中に)世界の軍用運搬犬は次の世代へと進化していたのです。

犬よりも軍馬や車両を優先すべき、というのは御尤も。
しかし、戦場には鉄道や車道が整備されているとは限りません。悪路や急傾斜地、クリークや泥濘が行く手を阻むことも珍しくありませんでした。
その万が一に備え、運搬犬も研究されたのです。


帝國ノ犬達-泥濘
大陸の泥濘に悪戦苦闘する日本軍の荷役馬。


帝國ノ犬達-交通事故
交通事故の復旧作業をおこなう日本軍輸送部隊。


まずは、歩兵学校による「輓曳運搬犬」と「駄載運搬犬」についての解説を。

帝國ノ犬達-運搬犬

帝國ノ犬達-弾薬運搬

歩兵学校でテスト中の運搬犬。輓曳と駄載を組み合わせた、珍妙な運用法ですね。
昭和3年

【輓曳勤務】

犬に物品を運搬させる為には輓曳駄載とがある。

犬は體高が低く敵に目標を呈することが少ないから、戦場付近の物品の運搬には極めて有利であつて、弾薬衛生材料軍用鳩食料品等の運搬或は機関銃其他軽量の兵器材料の運搬等、其の利用方面は決して尠くない。

輓曳勤務は初めての犬は嫌がつて中々行はぬものであるから、最初は極く軽い車輌に犬を繋ぎ、訓練者自ら先頭に立つて好餌を示し、要すれば時々之を与へ愛撫しながら誘導せねばならぬ。

此の際、訓練の完成した犬と共に輓かせることが出来れば非常に有利である。

訓練開始時期が遅れると我儘の心が出て、輓曳意志が少なくなる。

而し余り早く始めると、犬の成育を害するから、生後六七ケ月頃に開始するがよい。

積載重量は極く軽量のものから始め、逐次に其の重量を増すことが必要で、訓練の進むに伴ひ輓曳意志も旺盛となつて来る。

而して輓曳犬に對しては運動即ち輓曳と云ふ様に常に之を行ひ、輓曳力の向上、持久力の養成を図らねばならぬ。

之が為め、土地の景況も漸次困難なる坂路傾斜地等を選び、又輓曳の時間並距離も増加せしめて戦場に於ける各種戦闘行動に堪へ得る様にせねばならぬ。

陸軍歩兵学校 昭和5年



帝國ノ犬達-運搬犬

大正10年に撮影された、陸軍歩兵学校荷車犬の連続写真

まずは行進中の輓曳犬。


帝國ノ犬達-犬車

一旦停止する輓曳犬

帝國ノ犬達-運搬犬

伏せる輓曳犬

帝國ノ犬達-運搬犬

御主人も一緒に伏せます。


帝國ノ犬達-運搬

たとえ御主人がいなくても伏せ続けます。

因みにコレ、昭和になって絵葉書用に着色された加工写真。元画像に「弾薬車」の文字はありません。

大正10年に歩兵学校が公表した元の写真はこちら↓


 帝國ノ犬達-運搬犬

 

上記の連続写真はとても有名で、軍事サイトなどでは「日本軍が荷車犬を活用していた証拠」として取り上げられたりします。

しかし、これが撮影されたのは大正10年。日本陸軍歩兵学校が軍用犬研究に着手して僅か3年目。

千葉県内の演習場で試行錯誤していた時期の写真を挙げて「戦地で活躍した」とかいうのは、どうみても無理があります。


帝國ノ犬達-犬車
それでは歩兵学校で研究されていた犬用荷車をイロイロ。

まずは大正時代の初期タイプ。


帝國ノ犬達-犬車
昭和5年頃に試作された電話線敷設車。

帝國ノ犬達-運搬犬

同時期にテストされた機関銃運搬車。


帝國ノ犬達-犬車
昭和10年頃にテストされていた無限軌道タイプ。

変り種といえば、関東軍軍犬育成所で試作された兵員輸送用犬車というのもあります。
自転車と荷車と犬橇のキメラというか、犬で動くケッテンクラートというか、とにかくそんなモノ。
実験では、人員を載せて結構なスピードで走ったそうです。

歩兵学校の輓曳犬研究は、樺太犬などの優秀な曳き犬を得たことで順調に進むかに見えました。

しかし、研究内容が運搬から伝令へ移行した段階で、シェパード達がズバ抜けた才能を発揮し始めます。

結果として荷車牽引しか出来ない樺太犬や秋田犬は候補から外され、軍用適合犬種には伝令・捜索・警戒・運搬等オールマイティに対応可能なシェパード、ドーベルマン、エアデールテリアが選ばれました。

これらの犬種に求められたのは重い荷車を引く牽引能力ではなく、その脚力と嗅覚を活かして少量の荷物を迅速に届ける駄載能力。

兵士のサポートを受けながら荷車を引く輓曳犬は、単独行動が可能なシェパード達に駆逐されていきます。


帝國ノ犬達-運搬犬
歩兵学校以外での珍しい輓曳犬使用例。群馬県の演習で用いられたケース。
昭和9年


【駄載運搬犬】

シェパードが来日したのは、青島攻略戦があった大正3年前後。ドイツ租借地の青島には、警察犬として多数のジャーマン・シェパードが繁殖されていました。

青島攻略戦直後、ドイツ軍俘虜と共にシェパードも連れて来られたのです。

シェパード来日と歩兵学校軍用犬研究が重なったことにより、日本軍伝令犬の研究はスムーズに進捗しました。

そして、伝令犬のノウハウを応用した新世代の「駄載運搬犬」が我が国にも登場したのです。


帝國ノ犬達-運搬犬
駄載具を装着した歩兵学校運搬犬。
昭和5年。

【駄載勤務】

駄載勤務は訓練すると総て犬が皆多少の駄載能力を持つて居る。

駄載具に馴れない中は伏せたり坐つたりして歩かないものであるが、之に馴れると漸次内容品の重量を増して行くのであつて、駄載量は犬の體格に依つて差異があるが、中等大の犬では約十瓩(キログラム)内外のものを駄載して速歩若くは駈歩で疾走することが出来る様になる。

駄載具を装着するには肩甲部に近く犬の背に左右の重量を均等にし、前脚の運動を碍げない様にすることが必要である。

陸軍歩兵学校 昭和5年


帝國ノ犬達-運搬犬
歩兵学校の駄載運搬犬。

昭和8年


帝國ノ犬達-運搬犬
同じく、歩兵学校の弾薬駄載運搬訓練。昭和5年



憎い敵の弾丸は、この動物目がけて、ヒューン、〃と飛んでくる。その間をおぢず怖れず走つて行く。
「行つてくれ」と北の岸で叫べば、「来てくれ」と南の岸で叫ぶ。
犬の腹は橋板にくつつくやうに低く、スレ〃に擦れるやうにして歩き出した。
「あゝ、重いからか」と北の岸でつぶやけば、「あゝ、弾をよけるためか」と南の岸でもつぶやく。
やがて中頃まで行つた時だ。
水の勢ひが加はつたためか、橋は半円形になる程、グーツと弓なりにまがつた。
犬はその上にかぢりつくやうにしてしばらく動かない。
グラ〃として背中の重みが中心を失ふと、箱もろとも河の中へ落ち込む危険があるからだ。
両岸では冷々して、「あゝ」「あゝ」と声をあげる。
が、やがてもとへ帰つてまつすぐになつた。
犬は又歩き出す。
「ようし〃、うまいぞ」と北の岸でいへば、「おお、大丈夫だ」と南の岸でもいふ。
けれども敵弾は益々烈しい、雨の中を雨よりもかたまつて飛んでくる。
危なくて一歩も進めない。
そこへ立ちすくむより外なくなつた。
と―、犬は四本の足を投げ出して、橋板の上でペツタリ貼りついたやうに寝てしまつた。
「おや、どうしたんだ?」と北の岸で声を立てると、「やられたのか?」と南の岸でも声を立てる。
が、しばらくたつと、ムク〃と起上がつた。
「どこか撃たれて、びつこでも曳くか」と思つて見つめたが、何の変りもない。
タツタツと早足で歩き出した。
両岸の兵士達はホツと胸を撫でおろす。
かうして犬はとう〃橋を渡り尽くして、南の岸へ上がると、一目散、塹壕へ駆け寄つた。
待ちかまえてゐた兵士の何人か、一度に手をさし伸べて、足をつかまへ、身體をつかまへて、抱きおろすやうに中へ入れた。
早速弾薬箱はおろされる。
「よく来たな」
「えらい〃」
「有難う〃」
あつちからもこつちからも声がかゝつて、手が出されて、撫でられる、さすられる。
「少しは休ませて、休ませて」
隊長から声がかゝつて、犬は長々とそこへ寝かされた。
「お前は、今日第一の殊勲者だ。
犬なればこそ人が出来ないところをやつてのけた。
犬なればこそだ。ほんたうによくやつてくれた。
お前は我が隊の守り本尊だ。さア、これが御本尊さまへの御供物だよ」
さういふとポケツトの中から乾パンを出して目の前に置いてやつた。

上澤謙二著「弾薬箱のお使」より 昭和13年