毎年3月20日、靖国神社で軍犬慰霊祭が開催されます。
そこで流される軍歌が「軍用犬行進歌(“軍用犬行進曲”とも)」。

犬の慰霊祭にブラスバンドが来る訳も無く、演奏はCDラジカセです。

現在知られている「軍用犬行進歌」ですが、元のタイトルは「軍用犬“宣伝”行進歌」といいます。
歌詞は「作詞 帝国軍用犬協会」となっていますが、正しくはこちら。

社團法人帝國軍用犬協會創立5周年記念懸賞作品

軍用犬宣傳行進歌

作詞 鳥越 強
選考 菊池 寛(作家) 碓氷 元(帝国軍用犬協会・本業は歯医者さん)

軍用犬行進歌
作曲及レコード吹込 陸軍戸山学校軍楽隊

指揮 楽長 岡田國一

(一)
伏すも走るも 命のまゝ 
獣か人か 霊妙の 
汝(なれ)が能力(ちから)は あらはれて 
武勲燦たり 金鵄章 
勇武の戦士 軍用犬 
(二)
硝煙弾雨 そが中を 
潜りつ抜けつ 傳令の 
重き使命に 身を捨てゝ 
敢然向かふ その勇姿 
稱ふべきかな 軍用犬
(三)
斥侯すでに倒れ臥し 
報告の任 汝にあり 
野越え川越え 本隊に 
もたらす手記は 血(あけ)に染む 
頼むべきかな 軍用犬
(四)
戦地くまなく 馳せ巡り 
傷痍に悩む 将兵に 
薬繃帯 捧げつゝ 
看護につくす この天使 
愛すべきかな 軍用犬
(五)
戦雲暗く 火花散る
第一線の 勇卒(つはもの)が
命とたのむ 弾薬を
運びて重き 汝が任
感ずべきかな 軍用犬
(六)
あゝ戦場に 華と咲く
可憐の戦士 汝ありて
烈々の士気 いや奮ひ
不逞の妖魔 影空し
皇國(みくに)の護り 軍用犬

この歌詞は、昭和11年に社団法人帝国軍用犬協会が一般募集したものです。同時に、児童ポスターも公募されました。


軍用犬行進歌


創立満五周年記念事業の一たる軍用犬行進歌詞懸賞募集は十一月十五日締切り、応募歌詞約三百編を菊池寛氏、碓氷元氏の手にて審査選考中の所、その一席を決定、左氏に賞金壱百円を贈呈した。

入選 鳥越強氏


翌年1月、百円をゲットした鳥越さんは、受賞の喜びをこのように語っています。

入選のお知らせに接して 鳥越強
今回図らずも私の貧弱な作品が、入選の栄に浴しまして、感激に堪へません。
私は野球で名高い高松商業高校の国語教師を勤めて居ります。
職務の余暇を好きな作歌に過して居りますが、凡才の悲しさ、お恥かしいものばかり作つて居ります。
今回の御募集は、時事新報紙上で知りました。
軍用犬については、かねてその訓練の實際を見て、霊妙なその性能に驚嘆して居りました事とて、大いに創作感を刺激され、いまだ軍用犬の各般にわたる知識がありません故、各方面をたづねて研究をかさね、随分苦心はいたしました。
一節はその性能、二節は傳令、三節は斥候、四節は看護、五節は弾薬運搬、六節は総括的賛美といふ構想のもとに、いくたびか書いたり、消したりして出来上がりました。
何分レコード吹込用といふ制約がありますので、その点大に窮屈を感じました。
拙作がいく分でも可憐の戦士軍用犬の宣伝礼讃に、御用立てゝ頂けるならば、光栄之に過ぎたものはございません(昭和12年1月)」

鳥越さん、おめでとうございます。

イヤ、そんな事より、あの菊池寛が選考者だったとは驚きました。
戦時中は帝國軍用犬協会にも協力していたんですね。
但し、菊池寛自身は歌詞に少々不満があった様です↓

選後評 
菊池寛 述 
碓氷元 記

澤山集つたが、軍用犬と警察犬を織り込めと云ふ註文であつた故か徒らにかたくなり過ぎて、苦しまぎれのオドシ文句ばかりを羅列して居り、却つて犬を殺し、字句だけが一句一句コロコロして居るのが多い中に、當選者のは別にむづかしい字句を使はず一番自然で無理がなかつた。
そして字句の連絡がとれて居り軍用犬がよく躍つて居た。
欲を云ふと『雪の進軍氷を踏んで』式のもつとくだけたものがほしかつた(昭和12年1月)」

菊池寛と犬については、こちらの記事 をどうぞ。



軍用犬行進曲

この歌詞を基に、陸軍戸山学校軍楽隊が編曲した「軍用犬行進歌」は、KVの軍犬報国運動にも利用されました。
現在では、戦没した軍用犬達の活躍を称えるために歌い継がれています。