戰渦の上海に通譯として御活躍中の中村芳太郎氏から、次の様な便りを頂きました。S犬フアンの我々に示唆多いお便り、しかも生々しい現地よりのお便り。
我々は中村氏の御健闘を祈りつつこのお便りを拝讀したいと存じます。

「御變りありませんか。當方幾度か死線を越えつつも何うやら元氣、通譯として馳せ廻つて居ります。

最近○○部隊、何れも○○隊に二、三頭の犬を連行して居ります。大部分は無訓練犬、何うする積りでせう。戰線に行つて持て餘す事火を見るより明か。犬取扱兵も全然経験なし、徴發して直に連れて來たらしい。犬の食事も人間並らしいが、犬が食べず困つて居ました。餘り無茶過ぎます。
平常から充分此の點心掛けて置かねばなりません。
もう少し役に立ちそうなのを送つて、此の絶好の機會に試験し、その結果の成績から軍部及び一般が進んで飼育する様宣傳せねばならないのに、下手するとこれが分水嶺となつてS犬は皆から飽かれる様になり、姿を消すのではないかと案じて居ります。大いに注意してその結果を見、その都度報告しませう。
相馬様(※新宿中村屋の相馬安雄社長)によろしく。ではまた。
只今敵の空襲を受けて居ります。

 

十月五日夜 在上海 中村芳太郎」
「上海便り」より

 

 

中村氏からシエパード犬の涙ぐましい働きが傳へられました。S犬フアンにとつては彼等の素晴しい活躍が我が事の様に嬉しいものです。中村氏の御健在とS犬の活躍を祈りたいと存じます。

 

「暫く御無沙汰いたしました。戰勝の春、御目出度う御座います。十一月より表記部隊専属義勇通譯となって出勤して居ります。

數日前漸く會社との連絡がついて貴信二通拝受した様な始末、悪しからず。出勤後、○○、○○、○○と三度の敵前上陸部隊の輸送も大成功に終へ、只今○○で、1000人近い支那人苦力を使用して晝夜の別なく多忙を極めた日々を送つて居ります。色々申上げ度いのですが、今はその餘暇もありません。

昨年十月中旬上海の自分等の會社に宿泊し、出動した○○部隊のシエパード犬○頭の内一頭は訓練済み。他の○頭は未訓練犬の事とて、何うした成績かと案じて居ましたが、はからずも其内の一頭と當○○にて出逢ひ夢かと驚いた様なわけでしたが、その犬の取扱兵と色々話した處、他の○頭は全部戰死、しかも○○○の激戰中は弾薬の運搬や水の輸送に明けても暮れても体の持つのが不思議な位馳けずり廻り、中でも訓練済みの一頭は体の両側に水筒四つづゞつけて、500米の處を日に二三十回も往復して水に苦しみぬいて居た部隊を數日間も助けて呉れたのにと涙を流して話して居ました。

「犬と云ふ奴は賢いもので、弾の洗禮を續けて受けて居ると敵の銃聲がして危険と思ふと自然に伏せしたまゝ汝までも銃聲の消へる迄待つ様になつた」と犬の頭も人間に劣らぬとS犬フアンに取つて何よりも嬉しい話をして呉れました。

その外行軍の途中や輸送した部隊の内で見た所、軍用犬二三十頭もありましたが、大部分は悲観論を聞かされました。

「犬は遠い鐵砲聲は兎角、近い音に對しては全然駄目」と、何れも異口同音に語つて居ました。少々考へねばならない事と思ひます。

會報久し振りで當地で拝見、まさかこんな處で拝讀しようとは思もよらぬ事でした。日毎の激労に疲労しては居ましたが、何よりの心の糧とばかり寸刻の間も体からはなさず讀み終へました。

犬好きは何うしても犬で無ければ治まりません。こゝ二三ヶ月もすれば歸れる様になりませう。必ず参上致します。その節はよろしく。

陣中多忙中の事とて乱筆乱文御免、では又。

 

一月卅日於鎮江 上海派遣軍里見部隊

通譯 中村芳太郎」

「戰線便り」より

 

まだ緒戦であった第二次上海事変の時点で、充分に訓練を積んだ軍犬班が払底しつつあった事がわかります。
日中両軍が膨大な損害を出した上海の戦いでは、多数の軍犬も犠牲となりました。その穴を埋めるため急遽仕立てられた「即席軍犬兵」「未訓練犬」たちは、実戦の中でノウハウを学ぶ派目になったのです。
「日本の軍犬は大活躍した」「いや、役立たずだった」という相反する主張は、ベテラン軍犬兵と素人軍犬兵の混在が原因のひとつです。

上海デニス・ケンネルの蕃殖犬たちを救おうと奔走した中村さんですが、抗日運動に身を投じたデニス・チェン氏はシェパードの繁殖を放棄。

中国軍用犬部隊を創設した黄瀛氏も、蒋介石軍内部で漢奸(日本側への協力者)の疑いをかけられ、デニス氏を支援するどころではありませんでした。

かくして東洋最先端を誇った上海犬界は崩壊し、多くの名犬たちが戦火に消えたのです。