冬になり腐敗力のスピードが落ちて來ると、犬の撲殺期になるのが毎年の例であるので、犬撲殺人と親交を得て會員犬の保護を願ひ、旁々日頃の謝恩會を行ふ可く、去る12月20日の夕べ、彦三町竹屋にて座談會を行へり。

お客様は7名、會員は16名で實に盛會であつた。

 

加藤氏は野犬狩の必要から吾々飼育犬の現状、目的等を逐一語り以て開會の挨拶を述べられ、捕獲し易き犬、不注意な愛犬家、捕獲方法、撲殺法等微に入り細に渡つて秘傳を語られ、殊に痛快だつた事はお客側の金丸氏は、軍用犬の訓練とか或は作業犬、万能犬と最近訓練の公開を拝見をするが、一向に榮えてゐない。

あれでは犬芝居の域を脱してゐない。

殊に攻撃訓練の如き八百長染みてゐて怖いと云ふ感じが起きない。と痛い所を一本御見舞ひされて終つた。

 

吾等の訓練、JSV畑の訓練研究會と銘打ち、相當自信を持つてゐる吾人も、氏の一言を耳にして奮起せざるを得ないのである。

非實用的訓練乃至式上の訓練に惰しつゝある點確認出來やふ。外國映畫で見る犬、例へば「僕の脱走記」に現れる攻撃訓練や、犯人の禁足等照合をして、吾々の訓練が幼稚である事を思ひ、又訓練した金澤の犬は他人に捕へられ易く、然らざる犬は捕獲され難き點を對照し、以て訓練の實用化を強調し度いのである。

座談會は終始圓滑に午後11時30分に散會。

JSV金澤支部 土屋氏「犬撲殺人と語るの會」より

 

当時の畜犬団体では、駆除業者との親睦をはかることで「ウチが扱う犬種はお目こぼしを」的な接待にも努めていました。

放し飼いが横行していた時代、そのような営業活動も必要だったのです。

 

昭和12年に入ったばかりの時点では、誤って捕獲されたペットにも殺処分までの猶予期間が認められていました。

何日間かは、飼主や里親の救いの手が届く余裕があった訳です。

しかし半年後に日中戦争が始まり、犬皮が商工省の統制下におかれると、そのような温情は認められなくなりました。

犬の皮が国家の資源と化した以上、安楽死措置へ向かっていた流れは「野犬狩りで捉えた犬などさっさと処分してしまえ」に方針転換されてしまいます。

戦争後期に野犬殺処分を見学した動物愛護會では、処分を待つ犬達が置かれた劣悪な環境に驚愕。監督する警視廳へ抗議する事態へ発展しました。