跡を濁さず 其の三 | 青葉の翳り

跡を濁さず 其の三

続き。


前二回のブログを読み直して、相変らず長いと思った。

中身も相変らず、空なことを長く書いているので、染み付いた癖というのは中々抜け出ない。三年も続けて漸く自分なりの書き方が身についてきたのだと思う。


一回目のブログで書いたルールは、守らなければならないルールで、二回目のルールを謂わば「努力義務」に相当する。

その中でも特段重要なのが、

「解説をしない」

ことである。


例えば温泉に行ったことを書くとき、

「何とか温泉に行って、そこは露天とサウナがあって、効能はなんとかで、食堂には地元の何とかを使った何とかという料理があって・・・・・・いい温泉旅行となった。場所は国道何号線を北上して、何とか店を目印に左折して云々・・・・・・皆さんも是非何卒。オススメです!」

と、パンフレット風になるのだけは断固、避けねばならぬ。道中の見た風景や思ったことだけを中心に書いて、何を食おうと思って、その味がどうだったのかを書いて、温泉に入ったのは一行か二行だけでも構わぬ。それだけで、読んだ人に「充分、リフレッシュしたのだな」と思わせれば、一番の成効で、温泉が露天だったのか混浴だったのかなどはどうでもよろしい。

随筆を目指すと書いたが、心中ひそかに考えていたのは、内田百閒の「阿房列車」や「百鬼園随筆」、「御馳走帳」であって、勿論百閒先生の文章など書こうとしたって書けはせぬ。そもそも、その片鱗でも物に出来ていれば、小生は今頃、団体職員などではなく、知る人ぞ知る本格派の若手作家となっている筈である。出来たのは猿真似と引用。・・・・・・というか、文章のパクリである(すいません)。


取るに足らぬことを長文にするとか、大事なことを隠すとか、ひねくれるというのも、全て百鬼園大入道の物まねである。

ちなみに、PSOの「世の中に人の来るこそうれしけれ とはいうもののお前ではなし」というインフォボードも、百閒公の有名な御製である。重ね重ね申し訳ないことでございます。


それで、何とか「だった」「すごい」を使わないでブログを書くのにも慣れてきた頃、ふと気付いたことがあって、

「必ずしも、だった、すごい、を使ってはいけない、なんてことはない。使いすぎには注意して、使うべきときには使えばいい」

なのである。

「だった。」も「すごい」も日本語には違いないので、多用しなければいいのだ。目の前が開けた気がして、その後はブログを続けるのも楽にな・・・らなかった。もっと苦しくなった。使えばいいといって、そんならどこで使えばいいのか。全く判らない。

試しに軽い気持ちで「だった。」を使ってみたが、どうも自分で気持ちが悪い。「たかがブログ」を書くのにますます時間がかかるようになって、それでも仕方がないからブログを書く。気が乗らない。自分で決めたルールも面倒に感じるようになって、少しずつ崩していくという状態に陥ることがよくあった。馬鹿馬鹿しい限りである。

同じ頃にPSOも止めてしまって、完全に惰性でブログを続けているだけになった。この間、ゲームを殆ど卒業してしまった。ジョジョ一部ゲーと、ディアボロくらいしかやっていない。餓狼伝やメタルスラッグなんてのもありましたが。

それで本統は去年のうちに止めてしまおうと思ったのだ。去年4月に肛門科行くまでは。そして8月に入院と宣告されるまでは。

痔のお陰で当ブログは一年延期されてしまったのです。百メガショーック。