やっと本題とは 君らしい。

・・・だから あなたによく はしょられる。
それはいいとして
ある方とPCでメールのやり取りをするのですが
今度は 私の誤解から自分が
首を傾げることが在りました。
その方のメール内容は ある方への
不信感と意思疎通が出来なくなっていたことでした。
ただ その相手の方との状況共通点が私にもあり
てっきり 私の事だと思ったのです。
そのメールの方も後から主語が無くて
誤解させてすいませんと言われたのですが
その時は 私にも至らないところがあり
不安にさせてしまったのではと 少し焦りました。

 相手は ずっと君とのメールのやり取りをし
君なりに気が合っていると思っていたが故
その内容は ショックだったのだろう。


はい・・・けれど 私は誤解とは言え
その残念な結果の中でお返事したのは 
私がどれだけ気が合うと思っていたこと
どんなことがあっても これまで共にした時間に
嘘偽りなく 私が私で在れた事 その方を
とても大事に思っているという事でした。
その時は その方がどう思おうと
私は 私が楽しく心地良かったことを
否定しようとは思えなかったのです。
昔の私なら きっと 自分を疑い拒否する人は
自分の敵になった としか思えなかったでしょうね。
嫌われるなら 相手を嫌ってしまえなんて。

 で 君はもう そうではない自分に気が付いた。
前回の事もあり ちゃんと出来る自分を再認識した。

そうです。そんな自分が愛おしかったです。
愛せる自分だと思いました。

 結局 どんな勘違いでも
相手がどんな対応をしようとも
君が自分を愛せる自分でいる事が
肝心だと知ったわけだ。
この世界は 誤解と勘違いで成り立っている。
それが無ければ 本当の自分を知ることも
選択し体験することも出来ない。
今回 無条件の愛を体験出来たんだね。


きっと そうでしょう。
自分では なかなか自覚しておりませんが
自分の気持ちが愛していると感じていることを
受け入れられたような気がします。
その方は 後のメールで私がその方を思うように
自分も思っていると言ってくれました。
謝られたのは 主語が無かったのと
誤解をさせてしまったという事。

 今回 どちらのケースにしても
謝罪は関係ない。
ただ 「ありがとう」だとは思わないかい?
許すとは 
罪悪感を消すための謝罪ではなく
「感謝」なんだよ。
君や相手が互いに与えるのは
「愛」だから。
君がさっき言ったように
自分を責めるは敵 の概念を選ぶより 
君だけは敵を作らない事ではないかい?
相手の反応に応じて憎み返すより
自分が信じた愛を貫く方が君は幸せだよ。


ええ おっしゃる通りです。
やられたらやり返すではない選択
誤解や勘違いを許す選択
自分の本当の思いを信じる選択
それが「愛」・・・ですよね。

 その通り。
君がした選択に改めて自分を知れただろう。
ずっとしたかった選択さ。
やったらやり返す 自尊心を傷つけられたなら
やってもいいという選択ではなく
こう思えば幸せになれるではなく
君が幸せのままで居られる選択。
それは「愛することを止めない」事だ。
もちろん本当の愛を知っていなければできないがね。
だから 私は君達を愛し続けられる。
求める愛ではないから。
「愛している」そして
全ての君達の選択をただ見守っているよ。

それが「愛」。