このブログを長く読んでくれた人なら、お気づきのように、グイド主義とは、イタリア人になるためでも、イタリアに永住するためでもない。もちろん、そう思っている人にもヒントになるものがあるかもしれないが、グイドと彼がつくったヴィタフェリチェは、そもそも自分自身を向上させて幸せをつかむことで、イタリアと言う国のなにかが、その目的のために役に立つものを持っているとしたら、それをどう使って自分のものにするかを考え、実行することをモットーとしている。

  いくら、イタリアにあるものを、そのまま日本人である我々の生活で使おうとしても、多少の修正が必要になってくる。


  たとえば、イタリアで洋服や靴を買う場合、サイズがあうものもあれば、ワイシャツやジャケットの袖が可が過ぎたりする。

  イタリア人と日本人はどちらも小柄だと言われるが、肩幅や脇に合わせた場合、手足が長い西洋人にあわせてつくられているので、袖が余ってしまう。スラックスの場合、日本でも長めに作られているため、買ったあと、その人の足の長さにあわせて直すのは普通のことだが、袖は、直さない。

  その上イタリア人の体型や顔にあう服をそのまま日本人が着て似合うとも限らない。イタリア人が着ているものの中で日本人似合う物を選ぶ必要がある。

  

  イタメシブーム以来定着した料理も、本来肉料理が多いのも、日本の料理店では魚料理の種類をずっと多くして、ピッツァでもパスタでも小さめにされている。実際のイタリア料理は、チーズやミルクを多く使っているし、一皿にチーズ各種を大盛りで食べることもある。5%~21%を除いた日本人は、牛乳にふくまれる乳糖を分解する酵素(ラクターゼ)が欠損している。確かにイタリア料理はなんでもおいしいし、イタリア人とずっと食事を共にすると楽しいから食べることには抵抗がない。しかし、そのまま何年もそういう食事をしていて、かなりの日本人は日本食が恋しくなる。中国人の移民の場合は、中華食材が手に入るところがたくさんあり、彼らは中国で生活をするのと変わらない食事をしている。それも行き過ぎではある。

  日本食の味のはノスタルジーがなく、イタリア料理も平気な人もあり、グイドの場合もそうだが、そのノスタルジーがないために、体のアラームに気がつかず、食事内容を日本のイタリア料理店みたいに修正してちょうどかもしれない。

  ずいぶん前に、日本人の女性がイタリア料理に期待していたのに、首をかしげてこんなはずじゃなかったと言う顔をしている。どうしたのかと聞くと「日本で食べるイタリア料理はいつもおいしいと思っていたのに、これが本場の味なんですね」と言う。


  最近はイタリア人の中にも、ミルクを消化しないと言って避けている人や、菜食主義者も増えている。


  グイド流イタリア吸収法は、「一歩前に出て、ジャブを撃ったら下がる」にも似ている。つまり、イタリアの何かに夢中になる。料理でも、ファッションでも、歴史でも、人間関係でも・・・。

  ミイラ取りがミイラになるという例は、ちょっとヘンかもしれないが、ミイラをとりに行ったら、ミイラだけもってさっさと帰るようなもので、自分のためになることをしっかりつかんで、イタリア人の悪いところを真似して覚えて帰らないようにしてほしい。目的は「しあわせ」なんだから。

  

  バーゲンでイタリアの洋服をたくさん買ったら、家に帰って、作務衣や浴衣にはんてんを着てみよう。

  イタリア料理をたらふく食べたら、和食の繊細さを楽しもう。時には和食を取り入れたイタリアンや、ミックス料理。

  イタリアの家具やイタリアの家に住んでいたら、和風コーナーを作ろう。イタリア人とわいわい楽しいパーティーをしたら、日本人の友達と二人で語り合おう。


  このように「三歩進んで二歩下がる♪」で、カルチャーを自分流にカクテルする。人の数だけカクテルが出来、それこそ「世界」の財産になるはず。