路駐

  イタリアはとにかく車が多い。多いといっても、駐車している車が圧倒的だ。日本のように車庫証明がなければ車が買えないのではなく、自由に買えるからだ。イタリア人って、自由を愛するけど、自由を野放しにすると、かえって「不自由」になるのを避けられない。


  上の写真を、少し見ただけなら、車が走っていて、手前の紺色の車が、右折しているように見えるが、実はこそ写真に写っている車は一台も走っておらず、すべて路駐しているのだ。

 特に、右の後ろ側に止めている車に注目してほしい。中央分離帯にも、くまなく駐車してあり、あまりにも駐車できるスペースがないから、片方だけ乗り上げているのだ。


 バスなどの大型車を含めて、とりあえず一台通ればいい、と言う考え方である。


 イタリアの公共の乗り物の、発展は止まっている。高速道路は、日本より10年くらい進んでいる(日本のETCにあたるTelepassなんかずっとむかしからあるし、グラスファイバー混合のアスファルトで雨煙がたたない道路は、全国的に完成されている)のに、鉄道は50年ほど遅れているといえよう。というわけで、今朝は、郊外のテレビ局スタジオに行くためもあって、車でミラノに来る。電車だと、何時までに到着せず乗り遅れたら、あと何分待たなければならないか、と言う心配をしなければならない。車で直接ミラノに行けば、ガソリン代は余計にかかるが、行きたい時に出発し、すぐに到着・・・、のはずだったが、


  ミラノで駐車するのに1時間くらいかかり、しかも事務所から1キロ弱はある。結局、電車に乗り遅れてやっとこさ到着する時刻と同じ11時になってしまった。

  電車での車でも、どちらにしても変わりないことが証明された


2台のトロリーバス 線がはずれた


  ミラノの公共の乗り物がどんな風かというと、(写真)あまりにも多い路駐の末、5分間隔とかで来なければならないはずのバスは、2台一緒に来る。3台以上の時もある。おまけに、路駐の車を避けて走るうちに、架線から電気を受けて走るトロリーバスは、たびたび集電ポールがはずれてしまい、運転手が降りて設置しなければならない。


自由を野放しにすると不自由になる。


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