雨の朝に思うこと | 新居昭乃 オフィシャルブログ powered by ameba

雨の朝に思うこと

私が原発に反対する理由はただひとつ。

そこで働く人の日常的な危険性です。
放射能は目に見えないし、その影響は完全にはわからない。

わたしたちの生活を支えるために誰かが犠牲になっているとしたら、と
チェルノブイリで原発の存在をはじめて認識して以来、長い間
ずっとそれが心配でした。

超越的な精神力と勇気を持って立ち向かう英雄がいなければ
どんなことになるのか知れない今回の事故は、
それが究極の形となって現れたのだと感じています。

科学に強い人は「安全性」から
私のような人間は「危険性」から、考えてしまう。
だから どうしてもぶつかってしまいます。

そういう議論は行き場が無いのです。


利権や政治利用云々は置いておいて、
今まで安定供給をがんばって日本の経済を支えてくれた、
開発者、技術者、現場の人たちには、本当に頭が下がります。

海外の反応を見ると、当たり前ですが、
日本の技術は世界一だと思ってたんだなぁってわかります。
日本でダメだったらもう他ではムリなんじゃ、、って思ってるに違いない。

その一方、自分たちの町に原発を置いてくれた人たち、
国の経済発展のため、自分たちの町のためなら、と
もっと置いてもいいよ、って言ってた人たちが、一時的にでも
生まれ育った町に住めなくなるのは本当に心が苦しいです。


こうなったからと言って、今すぐに
すべて廃炉にして!と声高に叫ぶつもりはありません。
この社会のシステムの中で私も生かされているし、
こうなることをどうにもできなかった責任が自分にもあると思うので。

人間は弱い生き物。って考えたら、
儲けたいとか、偉くなって威張りたいとか、自分だけは得したいとか、
そうしたかったら、してていいよ。って思います。

多かれ少なかれ、それぞれの小さいところに入り込んであがいている部分が
みんなあるんじゃないかと思うので。自分しかり。

でもそれが「誰かの命が犠牲になっても仕方が無い」という方向に向いたとしたら
私は全身全霊で反対します。


よくよく考えたら私、ほうれん草だって食べられるし雨に濡れてもいい。
子供もいないし自分が死んだあとのことは知りようが無い。
だから原発のことなんてみなさんの目に触れるような場で発言したって
なんだか無駄、っていう気にもなります。

でも私、本籍地を、ある公園にしているのですが、それは
死ぬ時にはお日様の光があれば他に何もいらない、という
私のちいさな覚悟で、
それだけで充分幸せって言えるような生き方がしたい、と思っているのです。

そのためには、それこそ全身全霊で愛することしかないのです。
口はばったいですが、ダメダメでも人間が大好きです。
季節の移り変わりや、遠い国の生き物、空と海が大好きです。

こんなふうに愛することを教えてもらったこの世界に、心からのお礼がしたい、
こんなに大事だと感じることなのだから、正直に口にしようって決めたのです。

みなさんに、私と同じように考えてほしいなどと言うつもりは全くないです。


こうやって書いてみても、文章で伝えるのは難しいと感じます。
やっぱり私は歌を、精一杯歌います。



1日も早くみなさんの心から、少しでも不安が消えますように。