国家は国民を守ってくれている。
だから国家の存亡の危機の際には、
国民は国家のために協力しなくてはならない。
それが「お国のための戦争」の理屈です。
しかし、一回戦争になってしまうと、
国家は国民を守ってはくれません。
国家を守るために国民を捨て駒にする。
それが戦争の本質です。
例えば焦土作戦。
焦土作戦とは、戦争等において、
防御側が、
攻撃側に奪われる地域の利用価値のある建物・施設や
食料を焼き払い、
その地の生活に不可欠なインフラストラクチャーの利用価値をなくして
攻撃側に利便性を残さない、
つまり自国領土に侵攻する敵軍に食料・燃料の補給・休養等の現地調達を
不可能とする戦術及び戦略の一種である。 (ウキペより)
撤退する場合に敵方に利用価値のあるものを残さないことは
戦術・戦略上の要諦であり、
対象物が軍事施設だけに限定される場合などは
焦土作戦とは呼ばない。
焦土作戦と呼ぶ場合には
民間人の家屋や田畑はおろか、
町そのものや自然の山林まで焼き払うことである。 (ウキペより)
これが戦争の本質。
- 前ページ
- 次ページ
http://
↑
このコラムは結論ありきのクズ記事でしかない。
菊池美佳子とかいうライターは恥を知った方がよい。
いかに酷い記事であるのか引用して検証しよう。
(引用)いまの時期は繁忙期だとか、急に同僚が退職しそのしわ寄せが来ているとか、昇進で責任の重いポジションに就くことになったとか、様々なケースが想定できます。それらのすべてに共通して言えるのは、「時間を上手に作れない」ということ。そして、時間を上手に作れないのは、彼が「仕事ができない男性」という見方もできます。(引用終わり)
「様々なケースが想定できる」と言いつつ、何の根拠も示さず、
それらのすべてに共通して言えるのは、「時間を上手に作れない」「仕事ができない」と、
強引に結論を導いている。
様々なケースをお前はどれだけ検証したのか?
現在の労働環境を全く知らないとしか言いようがない。
知らないのは当然である。
コイツの視点は労働者側にはないからだ。
(引用)筆者の知り合いに、若くして脱サラし、起業しているリッチ男性がおります。まさに、仕事のできる男性なのですが、彼いわく、「忙しいって言っているうちは、ひよっこ」とのこと。また、「忙しいと言わないようにしている」がモットーの人気女性タレントさんも存在します。タレントさんより忙しい一般人なんて滅多にいないはず!(引用終わり)
ここからはコイツの自慢話です。
私の知り合いには起業したリッチ男性がいるのよ、という。
そのリッチ男性は「忙しいって言っているうちは、ひよっこ」と戯言を言っているらしいが、
若くして成功しているのなら、たいした苦労もしていないだろうし、
そんな奴が本当の苦労を知っている人に対して「ひよっこ」という無礼さも理解できていない。
さらにこのライターの無知ぶりをさらけ出しているのは、
「タレントさんより忙しい一般人なんて滅多にいないはず」という文節。
アホかお前は。
全盛期のピンクレディは忙しかったかもしれないが、
現代では、タレントと呼ばれる職業は、待ち受けがメインなので忙しくなんかはない。
フルタイム働いている一般人より忙しいタレントがどれほどいるというのか?
忙しいタレントは売れっ子カテゴリーにいる僅かな人々で、
そういう人たちは苦労というよりラッキーというべきだろう。
その下層に売れないタレントが山ほどいる現実も直視すべきだろう。
ルールは決め細やかに書かれてはいるが抜け道もある。
だからルールは常に最新のものに書き換えられる。
しかしルールを書き換えないで、解釈を勝手に変えて、
ルールを逸脱しようとする悪人がいる。
それを許してもいいのか?
かつてダーティハリーは言った。
「腐った法でも、それが施行されている間は正義だ」
わけのわからない法案が成立しそうだけど、
それによる不利益は、(とりあえず自分だけには)なさそうだし…。
だから余計な労力を消費しない方がいい。
そういう思考が多数を占めて戦争法案は成立する。
戦争法案と言われていても、日本が今すぐ戦争するというリアリティが感じられない。
まさか、戦争にはならないよね、という根拠のない安心感が世の中を支配している。
大きな流れ抗することは困難である。
いまさら反対と声を上げても、この流れを覆すことは不可能…というあきらめ。
それらを私は非難しない。
あなたが今さら声を上げても、おそらく結果は変わらない。
それがリアル。
ただ、問われるのは、今この時、
2015年9月という歴史に残る瞬間に、
あなたは何をしたか、ということ。
戦争法案にNOと言ったか、容認(黙殺含む)したかということ。
あなたの子孫が戦死した時、容認したあなたに責任があることをわかって欲しい。
NHKニュースからの引用
―安倍総理大臣は山口市での会合で、みずからが2018年まで総理大臣を務めれば、明治元年から50年ごとの節目の年の総理大臣は、すべて山口県出身者になるとして、来月の自民党総裁選挙での再選に意欲を示しました。自民党は、安倍総理大臣の総裁としての3年間の任期が来月30日に満了することに伴って、来月行う総裁選挙の具体的な日程の調整を進めています。こうしたなか安倍総理大臣は、12日に山口市で開かれた自民党山口県連の会合で、「私は、山口県出身の総理大臣としては8人目の総理大臣ということだが、明治維新から50年は寺内正毅さん、100年が佐藤栄作さんだ」と述べました。そのうえで安倍総理大臣は、2018年が明治元年から150年に当たることを念頭に、「何とか頑張って2018年までいけば、2018年も山口県出身の安倍晋三ということになる。『山口県出身の総理大臣として恥ずかしくない実績を残していきたい』。こう静かに決意している」と述べ、来月の自民党総裁選挙での再選に意欲を示しました。―(引用ここまで)
安倍晋三!戦後レジュームの脱却どころか、幕末-明治の長州藩の利権強奪レジュームから全く脱却できてない。
映画『原子力戦争』について黒木和雄監督が、著書『私の戦争』(岩波ジュニア新書)の中で書いている文章がある。
(引用)
原子力戦争(一九七八年)『とべない沈黙』から一二年後の一九七八年に『原子力戦争』という映画を作りました。この映画は、岩波映画出身でテレビディレクターをしていた田原総一朗さんが書いた『原子力戦争』(筑摩書房、一九七六年)という本から着想をえたものです。田原さんは、アメリカなどの例をあげ、原発の危険性、秘密主義、事故隠しなどを、歯に衣着せぬ鋭い舌鋒で告発しています。ですから、この映画のドラマとは直接関係ありません。物語は、日本の黒い霧のなかで原子力発電所という、地元の町にも大きな影響を与えつづける現代の怪物が、不気味に蠢動している話です。主人公の坂田正首(原田芳雄)は失踪した恋人を追って、この町にやってきましたが、原発事故を隠蔽しようとする事件に巻きこまれ、林の中で包囲され無数の人々に襲われて殺されてしまいました。地元の新聞記者野上(佐藤慶)も真実の追究を断念します。そして原発の事故はまたもや闇に葬られてしまった、というものです。私は一九五九年『海壁』という、東京電力の火力発電所を撮った記録映画を演出したことがあります。その映画を作るときは、単純なPR映画にしたくないという思いはあったのですが、やはり結果的には、建設礼賛映画になってしまったのではないでしょうか。私のどこかには、この『原子力戦争』の映画を作ることで、そうした自分の過去を少しでも償いたいという思いがあったように思います。最初に目標にしたのは、福島第一原発です。田原さんは「福島原発の無事故とは事故を起こさないということではなく、事故を外部に漏らさずもみ消すことだ」と書いています。ときどき放射能漏れをおこしていたにもかかわらず、地元ジャーナリズムの追及がほとんどなく、真相は闇に包まれていました。原子力発電所では、事故が起きても、秘密主義のもと、ほとんど事故がうやむやに葬り去られているようです。撮影は、いわき市に合宿して福島第一原発、第二原発の近くで行われましたが、映画の内容を知っていた原発側は私たちの出入りを一切禁止しました。東電の監視者がクランクインの日から現場近くに張り付き、撮影の様子を仔細に某所に報告している様子もあって、いささか緊張したはりつめた日々のロケでした。映画では、福島原発で起きた事故を隠蔽しようとしたことにたいして、内部告発をしようとした技師が殺され、「チャイナ・シンドローム」という言葉も出てきます。この映画には、あの『二十四時間の情事』(前述のようにこの作品も原爆を扱っています)に出演した岡田英次さんに原発の黒幕として登場してもらいました。風吹ジュンさん、山口小夜子さんが新鮮でした。この映画は、日本の劇映画としてはじめて原発の事故隠しを描いたものだったといういささかの自負と、サスペンス的構成が、もうひとつ練られていないという思いもありました。友人の寺山修司さんから「こんなタイトルじゃ当たらないよ」と言われたのですが、やはり興行的には惨憺たる結果に終わり、その後ATGではなかなか映画が撮れないという状況になってしまったのでした。しかしそれなりの試行錯誤した思い出の多い映画でした。この一年後の一九七九年、アメリカ、ペンシルバニア州のスリーマイル島で原子力発電所から放射能が漏れるという事故が起こったのでした。
(引用終わり)
「チャイナ・シンドローム」という言葉も出てきますと書かれてあるが、映画では「チャイナ・アクシデント」という言葉だったので、黒木和雄監督の記憶違いかも知れない。この『私の戦争』の初版は2004年で、黒木和雄監督は2006年に亡くなっている。なので当然、2011年の福島第一原発事故のことは知らない。でも、上の文章は、恐ろしいほどに現在を予見している。