活動2日目②【DCFC】 | パワフルキッズ ひで先生ブログ 『Sports Make Smile』

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株式会社パワフルキッズ代表取締役の、ひで先生です。幼稚園や公共施設、小学校や個人指導、体育教室やスイミング。接した子どもは、かれこれ10万人以上・・・。
指導者研修や保育連盟での講演、岩手県でのスポーツ支援活動なども行っています!



2陣活動報告です!!


活動2日目① 記事はこちら

http://ameblo.jp/vimsas-hide/entry-10947821825.html







7/6、田老児童館での運動終了後は、児童館から約40km。


岩泉小学校へ行きました!!


こちらの小学校は内陸に位置し、津波被害は免れました。


同町内の小本地区の小本小学校は、現在も津波被害の影響で使用できません。


小本小学校の子ども達は、岩泉小学校の3階を使用しています。







昼休みを利用して、小本小学校5~6年生の陸上教室!!


5~6時間目は・・・



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岩泉小学校5年生&小本小学校5~6年生と水泳!!


上の写真は、岩泉小KIDSです(^-^)/


下の写真は、小本小KIDS!!



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小本小学校は、ニュースにも取り上げられました。


「避難階段があって、本当に良かった。」


校長先生からいろいろとお話しを聞けました。



ニュースはこちら↓

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110320/dst11032020090083-n1.htm

リンク切れに備え、本ページ最下部に記事をコピー&ペ―ストしています。



今この子達の笑顔に出会えたのは、避難階段のおかげかもしれない。


あの時、みんなは津波から逃れるために、あの階段を必死に登ったんよね。


みんなに出会えて、本当に良かったです!!



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七夕のみんなの願いが、きっと叶いますように・・・








お次は、田老学童の家で遊び♪


前回4月に、物資として持ち込んだ遊び道具や本。



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みんな大切に使ってくれていました(´∀`)!!


学童の家の終了時間まで、1人1人と遊びました(*^ー^)ノ


その後は、前回お世話になったお家へ



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この子達のおじいちゃん&おばあちゃん(後ろに写っている2人)は、田老地区で民宿を営んでいました。


3月11日の津波にのまれ、民宿かわと屋は無くなりました。


実は、左に写る娘さん(子ども達のお母さん)、おじちゃん&おばちゃんに、昔お世話になりました。


遠くに嫁いだ娘さん2人にも!!


小5(14年前)の夏に、東北へ1人旅をした俺。


泊まったのがかわと屋さん。


当時は娘さん達は結婚しておらず、民宿で働いていました。


ちょうどあの日は、田老地区の夏祭り。


民宿の人たちと、田老の祭りに行きました。


そもそも俺が東北で何かしよう!と思った時に、まっさきに思い浮かんだのは田老地区。


田老地区のお祭りを覚えている。


インターネットで調べると、田老地区は壊滅状態。


4月の時点では連絡手段もわからず、田老へ行きました。


そこで偶然、学童の家の先生がかわと屋さんの避難先が娘さんの家と知っていて、無事を確認できました。


5年生で泊まった時、夕食の時におじちゃんがオレンジジュースを持ってきてくれて、おじちゃんと晩酌したのを覚えています。


2011年4月のDCFC第一陣の時、おじちゃんに焼酎を手土産に一緒に飲みました。


当時はジュースだったけど、お酒好きのおじちゃんの酒臭さ、懐かしくなりました。


東京から小学5年生が1人で来た!!ということもあり、皆さん鮮明に俺の事を覚えていました。


再会した時、覚えているか不安でしたが^^;


俺の顔を見たとたん、涙を流してくれました。


驚いたのは、当時生まれていない子ども達も、俺の事を知ってたこと!!



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↑4月(第一陣)の写真です!!




おじちゃんおばちゃんが、話題にしてくれてたんだね!!


14年前にお世話になった田老地区。


思い出をくれた田老地区。


岩手県でも、たくさんの子ども達が家を無くし、親類を亡くし、友達を亡くし・・・


俺たちに出来る事を、田老地区をはじめ、宮古市、岩泉町でやらせてください。


子ども達が大きくなるまで、子ども達の笑顔が溢れる町になるまで、岩手に通います!!








~産経新聞(小本小学校)記事~


 東日本大震災による津波は、岩手県岩泉町小本地区にある高さ12メートルの防潮堤を乗り越えて川をさかのぼり、家屋をのみ込みながら小学校まで迫った。間一髪で児童88人の危機を救ったのは、2年前に設置された130段の避難階段だった。(原圭介)

 太平洋に臨む岩泉町小本地区は、小本川沿いに半農半漁の住民158世帯、428人が暮らしている。小本小学校は同地区の奥に位置し、背後には国道45号が横切っているが、高さ十数メートルの切り立ったがけに阻まれ、逃げ場がなかった。

 同小の避難ルートは以前は別だった。数年前の避難訓練の際、伊達勝身町長が「児童が津波に向かって逃げるのはおかしい」と国土交通省三陸国道事務所に掛け合って変更。平成21年3月に国道45号に上がる130段、長さ約30メートルの避難階段が完成した。

 今回の巨大津波は小本地区と川を挟んだ中野地区(175世帯、422人)を直撃。130棟の家屋をのみ込み、校舎手前の民家もなぎ倒した。児童は予想外のスピードで迫る津波から逃れるため、避難階段を必死に駆け上り、高台の広場に逃げ込んだ。校舎と体育館は水に浸かり、今も使えない。

 高橋渉副校長(51)によれば、階段のおかげで避難時間が5~7分短縮できたという。広場の倉庫には毛布やテントも用意してあった。児童88人を救った130段の階段、高橋副校長は「あと10分、避難が遅れていたらどうなっていたか分からない。少なくとも何人はけがをしていたかもしれない」と胸をなで下ろした。

 卒業式と入学式・始業式は延期した上で町役場近くの町民会館で実施する。校舎での授業にはめどがたっていないという。

(2011年3月20日・産経新聞)