NO21大垣駅から尼子駅まで 一日目 大垣駅から関原宿まで | おばあちゃんと 一緒に

おばあちゃんと 一緒に

遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

春に歩いた中山道も夏の登山シ-ズンの間お休みをし、また秋になったので始まりました
今回は
10月21日から23日までの二泊三日で愛知川まで歩く予定です
台風がきて大島に大きな被害がありました。空を気に掛けながらの出発です
大垣駅に車を置いて、養老鉄道で東赤坂駅まで行きました。
そこから歩き出しました
赤坂駅です 11:05
 
池尻の一里塚跡

 

 
道が二股に分かれていました
左中山道
 
 

赤坂宿11:25
抗瀬川」(くいぜがわ)を渡ると
常夜灯と赤坂港会館の建物が見えます 

 

 
赤坂宿
東美江寺へニ里八町   西垂井へ 一里十二町  
近世江戸時代五街道の一つである、中山道は 江戸から京都へ百三十一里の道程
に六十九次の宿場があり 美濃赤坂宿は五十七番目に当たる
大名行列や多くの旅人が往来しまた荷物の輸送で交通は盛んである
町の中心にあるこの四ツ辻は北に向かう谷汲巡礼街道と南は伊勢に通ずる養老街道
の起点である
東西に連なる街筋には本陣、脇本陣、 をはじめ旅籠17軒と商家が軒を並べて
繁盛していた と説明版

 
赤坂本陣跡

 
赤坂宿の町中を歩く一行11:33

 

 
矢橋家11:35
 
 
脇本陣跡11:37

 
岐阜新聞毎日新聞の古い建物11:35

 
赤坂宿御使者場跡

 
兜塚
関ケ原の決戦の前日(1600年9月14日9.抗瀬川の戦に笠木むらで戦死した東軍
、中村隊の武将野一色母をほうむり。その鎧かぶとをうめたtと伝えれている
以後この古墳を兜塚と呼ばれている と説明されていた
赤坂宿はここで終わり

 

赤坂西公園がありました、ここで一休み11:45



 
大塚古墳
街道から左手家並みの間から見た

 
このあたり「昼飯町」
町名の由来
昔善光寺如来と言う仏像が大阪の海から拾い上げ長野の善光寺に収められることになった。
この仏を運ぶ人々は青墓近くまで来ると午後の中ごろでした、近くの山々は新緑とツツジの花が咲き乱れ素晴らしい光景です、善光寺如来を運ぶ一行は小さな池のそばで休み、ここで昼飯(ひるめし)をとりました。そこからこの付近を昼飯(ひるめし)というようになりました。
その呼び名が下品と言うことでその後、飯の字を「いい」と音読みして「ひるいい」と呼んだが
呼びにくいので一字を略して「ひるい」と呼ばれるように なったそうです



 
如来寺
善光寺の分身仏の最初の寺

 
中山道青墓宿碑 

照手姫の水汲み井戸


 
昔、武蔵相模の郡代の娘で照手姫と言う絶世の美人がいました。この娘の
相思相愛」の小栗判官正清は郡代の家来に毒酒を飲まされ殺されてしまいました。
照手姫は深く悲しみ、家を出て放浪し、青墓の大炊長者ところまで売られてきました。
長者はその美貌で客をとらせようとしたが、姫は」拒みました。長者は怒り」、」一度に
百頭の馬に餌をやれとか籠で水をくめと無理の仕事を言いつけた。
一方正清は霊泉につかり照姫を探し妻に迎えた。
この井戸の跡は照手姫が籠で水をくんだとと伝えている

 
青墓よしたけ庵
牛若丸は鞍馬山で修業を終え金売吉次をお供にし奥州(東北地方)へ落ちのぼようとした
青墓の円願寺で休み父母の供養し源氏が再び栄えるように祈った
その時江州(今の滋賀県)から杖にしてきた芦の杖を地面について
「挿しておくも形見となれや後の世に源氏栄えば芦竹となれ」
と詠み東国へ」出発した
その願いが仏道に通じたのか、その後杖にしてきた芦が大地に芽をふき根を張った
そsて見事な」竹の葉が茂りました。根や幹はそのまま
この珍しい竹を「芦竹」と呼んでこの寺を「芦竹庵」と呼ぶようになっ



 
 
中山道」青墓宿」12:45

 
伊吹山が雲にかかっています

 

 
垂井の追分
 
相川橋をわたります

 

垂井宿13:55
日本橋から440キロメートル58番目の宿場
東見付けから766メートルにわたり垂井宿に広がる
東見付け
 
旅籠14:00
亀丸屋西村家、垂井宿の旅籠屋として二百年続き、当時の姿を残している今も
営業している。

 

 
 旅籠
 
格子戸の民家

 

 
西の見付と広重の絵  14;12

 
安藤広重の絵
広重がこの付近から西を見て、雨の降る中山道松並木の中を、大名が行列を
つくり、西上り垂井宿の」西の見付けへ入ってくる様子や本陣から出迎え茶店
も左右対称敵に描いてる版画である

 

垂井一里塚14:29
関ケ原の戦い
浅野幸長陣跡

 
野上の七つ井戸 15:04

 

 野上
街道沿いに祭りの準備をしていた
俵6表を担ぐとか
 
松並木15;15
 
JR
 
山内一豊の陣跡


 

関ヶ原宿15:25

 
六地蔵

 

桃配山
 
山の上の方に
徳川家康初陣地ののぼり旗が立っていた
 

 
若宮八幡宮

 
関ケ原宿の街並み

 
今夜の宿
枡屋旅館 (真ん中の建物)
江戸時代から営業している
 
玄関」16:00
 
中山道歩きは昔の面影が残っている宿で泊まるのも、旅人になった気分が
深まりよいものである、障子一枚で仕切られた部屋がなおいっそう昔を」しのばれた