音楽から奪い去りたいものがある、といったのは萩原朔太郎。

TOKUZOでバンドの音と詩を聞いて頭と心臓を振りまわしながら、その朔太郎のことを考えていた。
リーディングで、ラップで、歌で、音に言葉を乗せてゆく彼らを見て、気分良く音にまみれながら、二つ目の頭で言葉のリズムのことを、考えていた。
朔太郎が奪いたかった音楽は、リズムか、ライムか、それ以上のものか。

昔、北川透らが言ったように彼の理論が音韻について行き詰まっていたかどうかはともかく、詩論なんて、所詮それらしい後付けとも言える。整然としたルールだけで詩をつくることはできない。それが何になるのだろうと、混然とした音と言葉の波の中で感じていた。マラルメがポーを間違って解釈して結果成功してしまったように、それが何を成すかについて、詩論もほとんど美しさにしか意味がないように思うときがある。

理論の研究は重要だ。けれど一方でコアなファンが、業界をダメにすると言った新日本プロレスを買収した某企業の社長は、正しいことを言った、と思う。どこまで届けるかではなく、その場がどこまで受け入れるかの問題であり、受け入れるためにどうするか、なのだと。
お陰で新日本プロレスの売上はV字回復し、レスラーは息を吹き返してさらに輝き出した。

この日は、choriの告知メールで急遽行ったイベントで、彼はライブハウスデビューしたTOKUZOでは12年振りの二回目らしかった。
俺らのあれから、もう12年なんだね、と思いつつ、自分も何度か立った場所ではあるけれども、choriがステージ上で言ったのと同じように、自分にもTOKUZOは昔よりは小さく、というよりは等身大に見えた。そのサイズを、そのサイズのままに感じた。
それでchoriバンドの素晴らしいプレイを見て、その他の素晴らしいバンドも見て、今がここにあるんだな、と感じた。それに他の3組とも好きだと感じたから良かった。
はっきり言って中でもchoriバンドの音は凄く好みだ。TOKUZOで聴けてなおさらに良かった。

音楽から奪い去りたいものがある、といったのは萩原朔太郎だった。もう何十年も前に呟かれたその言葉の意味が、ようやく分かりかけた気がした。

音をやれよ、詩を、読もうよ。心を揺らそうよ。気持ち良く音律にまみれて、迷いなく上機嫌にそう思えた。

爆音響くブルースタービルの二階。
世界が回っているのは、
たぶんアルコールが回っているから以外の何物かのせいであり。

明日も、二日酔いの予定。