さくらの枝のように

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昨日、戸田文化会館まで藤原さくらのアルバムリリースツアーの初日を見に行って来ました。新しいアルバム中心だったけど、ちょっとだけ古いのも演ったり。広い舞台で初めて見られたし、席も6列目で顔も良く見えてすごく満足。

トークも面白かった。なんか上手かもしれない。物販に力入れてて、物販トークとか頭の中でリフレインしちゃう。笑。

 

曲の方は、実は自分的にもどうかと思いつつ、「好きよ好きよ好きよ」って曲が一番泣けたりします。福山雅治が楽曲提供しているのでなければ、なんか、もうちょっと自分の中でスッキリ好きなんですけど、泣けちゃうものは仕方ない。それからスピッツのカバーの「春の歌」は鳥肌立ちますよね。あとメジャーデビューの「Walking on the Clouds」とかそもそも好き。インディー時代のだと「愛の街」を演ってて、古いのは「流れ」とか好きだけどライブではやらないだろうな。新しいアルバムのは、どれも良いです。スペアザがアレンジしたのはもちろん、全体に力つけてるのが良くわかる。「My way」「play with me」「sakura」「はんぶんこ」、どれも好きよ。

ぜひ興味のある人は行ってみてください。昨日のチケットはソールドアウトでしたが、7/21(金)、7/22(土)の中野サンプラザのツアー最終公演はまだチケット余ってるみたいです。僕はもちろん最終日を押さえ済み。

 

それにしてもファン層が広がっててビックリします。ポールとか好きであろう年配層から、アイドルファン層から、今回は若い男女、特に女の子がすごく増えていたのが目につきました。2年くらい前に名古屋パルコのインストアライブ(サイン会)に行った時は、ホントおっさんメインで、この曲調とか、彼女の音楽の趣味とか、和製ノラ・ジョーンズって言われて、私立恵比寿中学に加入して、まぁオタク以外の若いファンつかないよね・・・、と思ってたけど、去年ドラマに出て、スピッツの「春の歌」で映画のエンディングテーマやったり、ポンキッキーズに出たりと、広がって来たなぁって。メジャー向きじゃないし実力派で通って行ったら良いなって前は思ってたし、色んな向きはあると思うけど、でもそれはそれで良いんじゃないかなと。自由ですよね、やりたいようにやれれば良いです。

コンサート自体は、そもそもの自分はもっとガチャガチャしたロックとか爆音とかライブ感のあるライブが好きなので、毛色が微妙に合わなくてそわそわしちゃいますが。せめてお酒飲みながら聴きたい。

 

こんな風に藤原さくらが好きな理由は色々あって、初めはメジャーデビューした曲をiTunesで発見してたまたま試聴してなんて個性的で良い声なんだろう、と思って曲を追って行ったら、スペアザの良太と柳がアルバムに参加してたり、hzettmもピアノ弾いてたり、そう言うとこから興味が湧いて行ったんですけど、初期の楽曲の暗さも好きだし、最近の甘酸っぱさも良いし、それから彼女の名前。

 

地元の北海道に戻りたくない理由が幾つかあるとしたら、一つは本州の桜の美しさだと思ってて、彼女からは桜の枝の様に想いが伸びます。

 

生きるに連れて抱えるものは増えていく一方で、もちろん少しずつは下ろしてて肩の荷は軽くしているんでしょうけど、思い出せることは減りはしないですよね。

好きなビールを飲んで毎日楽しく過ごして、たまに忘れかけていたことをはっと思い出して、ちょっと思いに沈んで、あぁ時間使いすぎたなって後悔して、今に立ち返って、パソコン開いて仕事する・・・みたいなことの繰り返しだけど、大切にしたことと、大切にしたかったことはこれからも自分にとって何かであって欲しいです。

 

切り替えが大事って良く言うし自分も仕事ならそうするけど、そんななんでもかんでも切り替えて行くには自分の心は乾いてはいないんですよね。これ幸いですね。

 

さて、売っているうちに良い時間になって来ました。そろそろ夕方も過ぎたし、飲むか、もうちょい仕事するか・・・、でも受付マニュアルそろそろ完成させないと経営企画の女部長に愛想尽かされそうだし、仕事しようかな。

 

駅前のカフェでこれ打ってますが、外がまだ明るいです。

少しずつ、夏が近づいて来てますね。

 


 

 

 

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村上春樹の「羊をめぐる冒険(上下)」と、マイケル・ポーターの「競争戦略」を持ってゆく。ちょっと性格の違う二種類だけど、選択と集中とあう戦略の基本はさておき、ぼく自身の飽きっぽさをカバーするには、このくらいのブレがあった方が良い。
本当は「羊」だけでも良いのだけれど、「ついで」に、次の未来の戦略が思い浮かんだらラッキーだ。自由に想像力を働かせること。ここの所、その時間も取れなかったな、とも思う。
村上春樹は、この物語で野間文芸新人賞を取った。初期の作品らしい荒削りな話であり、文書だ。
どこが荒削りかというと、それは描かれるべきであろうと作者が想定している物語の広大な背景の中から、語るべき物語を言葉で削り出して文脈をつなげて形にしてゆくその様が、とても荒削りなのだ。正確無比にそれを削り出すことが出来ず、狙いの半分も実現出来ていない文脈や比喩に満ちあふれている。その後の小説群に比べると、当たり前ながら、雲泥の差だ。けれど、描くべきものを持っている作家なのだと人に訴えるものがあるし、この話でもこれ以外の話でも、村上春樹の対象物は根本的に同じだ。
さてこの物語は、主人公の「僕」が29歳の頃から徐々に始まってゆく。そして妻と別れ、共同経営する広告事務所の代表はアルコールにハマり始め、北海道に渡ったらしい昔の相棒の「鼠」からの手紙に誘われるかのように、奇妙な冒険に足を踏み入れてゆく。
こうやって書いて変な誤解を招きたくはないけれど、興味深いシュチエーションだ。現実のぼくは39歳で、物語の中の「僕」よりもよっぽど現実的には可能性が少なく、選択肢がない。ただ、次の年代に象徴されるものの足音に焦りを覚えながら、足掻いていることは一緒だ。
だから作家としての村上春樹の物語の中の可能性と、物語の外の可能性が、僕にとって必然的にクロスし、リンクするように錯覚してしまう。ただし、より正確に言えば、「僕」は焦っているわけではなくもっと傍観者的に、その焦りを「眺めて」いるだけで、ぼくはもっと現実寄りに生きているビジネスマンなので、実際に「ほぼ焦って」いる。
もうひとつこの冒険に対しての注釈は、一般的な自立心をもった人たちと同じように、ぼくは誰かに、何かへ、導いてほしいわけではない。村上春樹は答えや結論を提示しようとするような作家から遠く離れている。知的好奇心と参考意見として、ぼくは「羊」に興味があるだけだ。それに、本もなしで一人で離島なんかに行ったら、いくらなんでも暇つぶしにほと困るに決まっている。
人間は、そう思いたい、という思い込みから始まることがほとんどだけれど、だから逆にどう思いたいのか、ぼくはぼくに騙されずに、その答えを手に入れなければならない。
冒険とは、日常から逸脱することだ。それも「ほんの少し」だけ。人工的な衛星には自分の姿も自分の軌道も象徴的な姿でしか見えないが、同じくらいのサイズで同じような速度で似たような軌道を辿るそれがあれば、普通でいるよりも少しだけ自分自身のことが見えてくるかもしれない。軌道から離れすぎてはいけない。大気圏を飛び出してはいけない。ほんの少し、自分をズラすことが大事だ。アルコールや水や女の子に溺れたり自暴自棄になったり周りに多大な迷惑をかける「冒険」はよろしくない。
ともあれそんな風に冒険の程度には個人的な差異が多分にある。ぼくは比較的常識に疎いが我慢強いししっかりした人間のはずだから、車で1時間半の漁港から船で30分もあれば到着できる離島あたりで十分だろうだろう。

漁港から船が出発した。

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泣けてくるくらいに、ダメな自分ってどこかにいるんだろう。強がることも、格好つけるのも嫌になるとき。
ダメすぎて、笑うしかないとか、逆に笑ってもらえたら、救われるときとか、そういうときって、ある。全てただの勘違いであっても。

だからみんな、星みたいにきれいなんだ、っていうのは、ただの願いの類に過ぎないかもしれないけれど。
誰かのダメなところを、みんな星みたいだと思えたのは本当のこと。

今日はダメすぎると言われてほっとした。笑ってもらえて安心する。ハレンチ王子と言われようが、もうなんでも良いし。イケメン詩人とおだてられようが権威があろうが経験があろうが、この世界ではそんなことなんの足しにもならないとコンプレックスすら感じながら、もうアラフォーですよ。欠陥品のまま完成を目指すさ。

現実はリアルで具体策講じて前に進んでいかなきゃいけないものだけど、
だからそこにはめ込めない、忘れてなくちゃやってられないこともある。多少しゃべりすぎも読みすぎも、みんなそんな現れでした。


影踏み2DAYズ。
今までの影踏みと比べても、これは凄かった。何で凄かったのかと、その理由を聞かれてもよく答えられないが。

1DAYは、芯がおんなじくらいの強さの音楽が揃っていた。それぞれその強さを凄まじく光らせた。レモンくんの日記によると、バラバラの方向で、みたいにいっていて、確かに、と思ったから、その両方あっての面白さだったのかも知れない。そしてぼくは全部好きだったから、楽しいことこの上なかった。音に言葉に踊れた一日。そもそもchoriバンドの音楽は超好みであり、鈴木実貴子ズは歌もドラムも自分にとってピンポイントすぎる。満足感ハンパない。コトナは言うまでもがな。次いつやるの?って、なるね。ただの観客であれる幸せ。

2DAYは、揃ってなかったと思う。いや、揃っていたが、それはわかりにくかったはずだと思う。だからそれぞれの朗読に色んな解釈と好みと場の空気があって、たぶんそのどれもが誰かのどこかで成立した。強い詩の言葉の一日だった。
前半でういさんのJKスカートをびしゃびしゃにしちゃって申し訳なかった。三原千尋が部長芸じゃなかったのは反骨か。江藤さんはなんやだとすごリラックスしてるのが嬉しい。三木悠莉ちゃんととも9の朗読には本当にきゅんとした。若原くんにあそこまでもってかれて悔しい。choriは小賢しくセンスフルなところが今も昔もキュートである。パシャマス、フルフィルメント。荻原さんとの朗読談義の会話に最後少し混じれたのも楽しかった。分析屋な素も顔を出す。場に合わせて自分も、色とりどりだった。

ケツフェストから、ここまで、奇跡みたいな半月だったな。
ひと息つかないと、壊れちゃいそうだ。


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