Anderson .PaakのMalibuが気に入った人なら
彼が黒人と韓国人のハーフであることや
デビューに至るまで苦労していたことなどは
ご存知かと思います。


そのAnderson .Paak(以下Andy)の
Pitchforkにおけるインタビューを読んだら
新しく知ることがいっぱいあったので
本記事にて和訳したいと思います。




~以下和訳~


Anderson .Paakになる前、Brandon Anderson PaakはBreezy Lovejoyだった。イマドキのシンガーやラッパーにしては滑稽な名前だが、オールドファッションな美学も感じられる。そのアーティスト名は、音楽は癒しであるべきであり、優しさに根差しているという哲学を体現している。この信条は、Anderson .Paakとなり、Aftermathと契約した30歳の今も彼の根幹をなしているようだ。"The Late Show With Stephen Colbert"に出演後、ブルックリンのGreenpointに二日酔いで朝食を食べに現れた彼は、自身の生い立ちに関するぞっとするような話を始めた。聞いている側をも暗い気分にさせかねないほどのものだったが、彼の声に自己憐憫や憎しみは無かった。

「俺のお父さんはヤク中とお母さんへのDVで刑務所へ行ったんだ。」彼は、アルカセルツァー(※1)を自分のグラスに忍び込ませながら、ふと言った。「俺がお父さんを最後に見たのは、お母さんに馬乗りになってる時だった。道路には血が飛んでたね。たしか7歳だったと思う。お父さんは14年半刑務所に居たんだ。次に彼に会ったのは埋葬されてる時だった。」彼の父はマリファナで除隊させられた海軍兵で、家に戻ると人生は転落の一途を辿った。「お母さんは彼をリハビリ施設に入れようとしたけど、うまくいかなかった。知らないうちに彼はお母さんに対して嫌悪感を覚えるようになって、ついには殺したいと思うようになったんだ。」彼は一瞬止まった。「お母さんは、彼は素晴らしい父親だったって言う。ドラッグをやるようになって手に負えなくなったんだって。」

なんとも痛ましい話ではあるが、Paakは大人気アルバムMalibuの"The Bird"という曲で、これ以上なく優しく、寛大な言葉でこのことに触れている。「母さんは農家だった/父さんはどうしようもなかった」と彼は歌う。(彼の母親は、彼の父親が収監された後、農業を営んでいた。彼女もまた、税がらみの問題で刑期を務めることになるのだが。)Dr. Dreの2015年の復帰作Comptonに招かれるまで、何年もの間静かにソロで活動していたPaakは、痛みからポジティビティを抽出することにとてつもなく長けているようだ。

Anderson .Paak - The Bird (via SoundCloud)

「お母さんには怒る理由がいくらでもあったのに、怒らなかった。」と彼は言う。「父さんのことだって、俺に悪く言ったことはない。ただ、ドラッグに気を付けなさいって言われただけだった。遺伝的にそうだから…おじいちゃんも同じ状況だったんだ。」

何年も隙間でなんとか生き延びることで、彼は精神的に安定したようだ。彼はこの瞬間に向け準備してきた。何年か前、彼は将来達成したいことを書いたビジョンボードを作った。「俺はナンバーワンのアルバムに参加したかった。記録を作って契約を結んで、車を手に入れて、健康保険に入って、新しい場所に住みたかった。10,000枚売りたかった。単純なことさ。」



上述のこと以上を成し遂げた今も、彼は自分自身に感心しているわけではなく、ただ安心しているだけのようだ。「うまくいかないかもしれないと思う時期もあって、代わりに何をしようか考えてた。」と彼は打ち明けた。「他の人が続けてるのを見て、『本気か?』なんて思ってたよ。」父親として、夫として、Paakは重い責任を負っている。「俺は全てを嫌うようなL.A.のシニカル野郎にだけはなりたくなかったんだ。」彼は言う。「怠惰なミュージシャンになるつもりはなかった。たぶんふつうにパパになって、食べたいものを食べて太って、家庭的なBrandonになってただろうな。」そうはならなかったものの、家族のことがいつも彼の頭にあるのは明らかだ。彼の左薬指には狼の指輪があり、結婚指輪の代わりに彼のエッセンスを表すものなのだという。「俺は今も狼だよ。」彼は大真面目な顔でそう冗談を言う。「でも、飼い慣らされた狼だ。」


「誰にでも自分より格下みたいに話しちゃいけない。いつ自分が助けを必要とするか分からないから。」
-Anderson .Paak

Pitchfork「Dr. Dreに拾われるまで、変わった仕事をしてたんだよね。特に記憶に残っているのは?」

Anderson .Paak「18か19の頃、精神障がい(※2)を持った人たちの所で働いてたね。オムツを換えたりカテーテルを換えたり。16時間の夜勤で、薬を配ったり、家から出ようとする人を捕まえなきゃいけなかった。時々彼らが発作を起こすと、病院まで急がなきゃならなかった。面白くて、自分の小ささに気づける仕事だったよ。やったり辞めたりで2年そこにいたんだ。当たり前のことに本当に感謝するようになった。五体満足で、目が見えて息ができるんだから。

自分が共感できる、小さなことに出会うんだ。言葉を使わずに会話をしてたりなんかすると。30年だか40年だか結婚してる夫婦がいた。二人とも下半身不随で、多発性硬化症で、ほとんど話せなかった。理解することはまったく問題なくできるんだけど、身体・筋肉の機能がダメだったんだ。50代だったから、そう年寄りでもなかった。最初に彼らのために働いてる時、彼らの言うことが何も理解できなかったんだけど、数ヶ月すると完全に会話ができるようになってた。そのおばさんが本当にいい人でね、俺が遅刻してもスニッチ(※3)しないんだよ。俺の車は89年産のちっちゃいホンダでエンジンがなかなか掛からなかったんだ。そんなときはいつもAAA(※4)を呼んで俺を助けてくれたね。」

Pitchfork「その経験は、音楽へのアプローチにも活きた?」

AP「ちょっとね。うまくいかないときも、みんなを同等に扱うのが大事なんだ(って気づいた)。みんなが大事なんだよ。誰にでも自分より格下みたいに話しちゃいけない。いつ自分が助けを必要とするか分からないから。そんなつまらない奴になりたくないでしょ。」

Anderson .Paak - Am I Wrong ft. ScHoolboy Q (via SoundCloud)

Pitchfork「音楽にまつわる最初の記憶は?」

AP「お母さんのトラックに乗って、Frankie BeverlyやMaze、Stevie Wonderを聴いてた。お母さんはオクスナードで農業をやってて、俺らは長い時間かけて農家やいろんな流通業者に話しに行ってたんだ。学校が終わると俺らを車で拾ってくれて、昔のソウルやR&Bを爆音でかけてた。SnoopやDreやTupacを知る前にO'Jaysの曲を全部知ってたね。」

Pitchfork「ラップを聴いて最初に興奮したのは何歳の時だった?」

AP「たぶん6歳で、小1とかだったと思う。The Chronicが出て、Snoopが出てきて、いい映画がいっぱい出た。JuicePoetic Justiceに、Above the Rim。俺は踊ることもアートも映像も大好きだった。MTVっ子だったんだ。両親がずっと働いてて、姉がずっと年上だったから、姉たちとは遊ばなかった。それでよくMTVを観ながらKriss KrossやAnother Bad Creationで踊ってたね。SnoopとDreが出た時、リリックを全部憶えて学芸会で見せつけたかった。"Gin and Juice"と"Nuthin' but a 'G' Thang"を演って、汚い言葉を使ったせいで校長室に呼び出されたな。ちっちゃなサグだったよ。」



Pitchfork「最初にやってたのはドラムなんだよね。いつ始めたの?」

AP「12歳で学校のバンドを始めるまでやってなかった。サクソフォンは残ってなかったんだ。継父が家にキットを持ってて、それまでにないくらい早くに理解してできるようになったね。すごく自然と。俺の人生で一番楽しくて、一貫して好きなものなんだ。お母さんが入ってきて『うそでしょ、あんたもうドラム叩けるの!』って言ったのを憶えてる。それまで彼女が踊るのを見たことがなかったんだけど、何かがそうさせたんだろうね。

それからいつだったか、名付け親の娘が、俺がビートで遊んでるのを見て、教会に来るように言ったんだ。郡で数少ないバプティストの黒人教会だったんだけど。そこに着くと、聖歌隊とかみんなが叫んでて、『これはヤバい』って思った。そんなの経験したことなかったから。俺のお母さんは養子で、その父親は聖職者だったんだけど、そういうのを俺らに押し付けたりしなかったんだ。俺はただ音楽のためにそこに行ってた。教会では想像できないくらい素晴らしいシンガーやミュージシャンに囲まれてた。そこで俺はたくさん歌に触れ、無意識のうちにそれを全部吸収した。俺の音楽を聴けば、教会の要素がいっぱい聞こえるでしょ。」

Pitchfork「Malibuの"The Dreamer"にも聖歌隊を取り入れてるよね?」

AP「ああ、あれは姪たちだよ。姪が4人いて、みんな歌うことが大好きで、俺はいつも彼女たちをどうやってスタジオに入れるか考えてるんだ。」

Anderson .Paak - The Dreamer ft. Talib Kweli and Timan Family Choir (via SoundCloud)

Pitchfork「あなたのスタイルはDungeon Family時代のCee-Loを思い出させるけど、それはただの偶然?それとも、影響を受けた?」

AP「俺の一番好きなアルバムの一つが(Goodie Mobの)Soul Foodで、(OutKastの)ATLiensも大好きなんだ。それとSpeakerboxxx/The Love Belowは最も影響力が大きかったアルバムの一つだね。The Love Belowを聴いてHip Hopの可能性を感じた。あのアルバムは本当に今のR&B世代をインスパイアしたし、あれがあるからKanye WestやFrank Oceanみたいな人がラップだけじゃないレベルのHip Hopに達したと思う。」

Anderson .Paak - The Season / Carry Me (via SoundCloud)

Pitchfork「"Carry Me"では『床で寝てた、新生児の男の子/奥さんが送還されないために貯金箱』ってラップしてるけど、あのラインの背景にあるストーリーを聞かせてくれる?」

AP「俺の妻は韓国で生まれて、俺らは音大で出会ったんだ。彼女はボーカル、俺はドラムでそこに通ってて意気投合した。彼女は韓国に戻ってまた帰ってきて、その時妊娠したんだ。俺は21歳の時すでに結婚…デキ婚してたんだけど、すぐに離婚してもう二度と結婚しないって誓った。でも(今の)妻はまったく俺にプレッシャーをかけずに、いつも俺を俺でいさせてくれた。俺はそれが好きなんだ。彼女も音楽をやっててキーボードをやるしね。それまで英語が母語でない人と一緒にいたことはなかったんだけど、彼女がどんどん上達するのを見ると、天才だと思った。彼女は身寄りもなくここに来たから、俺はその手助けをしてた。俺は彼女が信頼できると思ったんだ。だから彼女が妊娠した時、『頑張っていこう』って伝えたよ。俺はその頃小銭稼ぎくらいしかしてなくて、彼女の居住権と子供を育てるための何千ドルかをどうやって集めたらいいか何も分からなかった。ウィードを買うのに十分なお金さえあれば大丈夫な奴だったね。それでその時、ウィードを売り始めたんだ。最終的には数日ごとに5000ドル稼げるようになってたよ、現金で。」

Pitchfork「それはかなりだね。」

AP「人生でそんな大金を手にしたことなんてなかった。でも稼ぐのと同じくらい早くに無くなったね。俺はお金の管理の仕方を知らなかったんだ。(移民の)期限が近付いていて、でも彼女に無理矢理仕事をさせたくはなかった。だって、そうなったら誰が息子の面倒を見る?でも、俺は彼女と一緒にそのプロセスを乗り越えて、子供のためにお金を使って、みんなで一緒に暮らせた。息子が生まれる頃にはウィード関連の仕事からは足を洗ってて、音楽に戻ってテープを出してちゃんとやってこうと思ったんだ。("American Idol"出場者の)Haley Reinhartと一緒に音楽をやって、それで最初に巨額の小切手を貰った。そのお金で家族で暮らせる家を買ったよ。それからはツアーに出て、全てが毎年よくなっていったね。」


※1
海外の鎮痛剤みたいです(参考)。

※2
後段の話を読むかぎり、必ずしも精神障がいではないように思いますが、Andyの言葉をそのまま訳しました。

※3
"snitch"で「チクる」の意です。ここで憶えてしまいましょう。

※4
アイドルグループでなく、アメリカ自動車協会(American Automobile Association)の略です。日本でいえばJAFみたいなものですね。




(元記事)Anderson .Paak and The Power of Positive R&B | Pitchfork


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