工藤静香の手を上にやったあとに直角に横にやる動きがある。今だに何の意味があるんか分からない。
仮に、ある街に工藤静香の銅像を建てるとしたら、手は縦だ派と、手は横だ派で、もめにもめて、それこそ竣工までには相当の時間がかかるかもしれない。
でもこれだけは言える。手が縦だろうが、手が横だろうが、工藤静香は工藤静香。
当事者以外には、手が縦だろうが横だろうがまったくもってどうでもいい。けれど、それで本気で闘ったり悩んだりしてる人がいるならば、なんらかのアイデアを捻り出すのが社会人の務め。
右手を縦に、左手を横に。ウルトラマンのスペシウム光線のポーズのみたく。工藤静香の銅像はこれで行こう。
こういうことをやると、手は縦だ派にも、手は横だ派にも、両方にボコボコにされるのは分かってる。
けど、それこそが愛。
中庸と言われればそれまでだけど、世の中は常に振り子の原理で、右に振れた分だけ左に振れる。為政者や教育者は、右を見ても左を見てもダメなんだ。
真ん中のみに意識を集中させる。
振り子の幅が小さくなって、やがて真ん中で動かなくなった時に、ほらねって後で分かってもらえるようなアイデアを、親しみとギャグを用いて優しく伝えること。
今は嫌われても、それこそがきっと愛。
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