こんばんは、こんにちは。
今日から又新しい1週間が始まりました。それにしても酷い天気で・・・萎えますね
でもでも、今週も何人かの友達に会う予定なので元気をもらえればっと思っております
*これなーんだ 先月から購入したエクササイズ器具の箱でございます。
こちらのジムでは必ずといってよいほど置いてあるものなのですが、かなり多様性のある器具で、歯磨きしながら毎朝ぴょンぴょン跳ねていて、週に2回は本格的にこれを用いたエクササイズをしています。
*DVDもついているので、それを見ながらも筋トレするのですが、最初のうちはすっごく辛くて出来なかったのも段々できるようになるので面白いです。
ゴルフにはコアの筋肉とバランス力は必須なので、こちらで鍛えていって持病の腰痛からの怪我もなくしていって、最終的には強くなってスノーボードも又再開できれば最高です★
*っと、こちらが実物ちゃん。ツルンっとしてて、乗っかるとポヨンっとしてて可愛くて飽きません。
結構高かったけど価値アリ。後ろにあるのはヨガマットちゃん。ジムにいってトレーニングっていうのは苦手なタイプなので、この2点で自宅筋トレしております。
ちなみに、マットの下に何気なくある輪っかは正式なサイズを図って作った王子特製のゴルフのホール。これに入るようにチップとパターショットの練習やマッサージをかけた対決を王子としてたりします。
さて、今日のテーマは『サイコメトラー』
何を唐突にっと思うかもしれませんが、今読んでいる宮部みゆきさんの『楽園』という本に出てくるテーマの1つがサイコメトラーなので、ちょっと思ったことを書いていこうかなっと。。。
この本の中では、うちの息子はサイコメトラーなんじゃないか?っという母親の問い合わせからきていて、交通事故で亡くなってしまった息子さんが面白い絵を時々書いていて、それが普段書く絵とは異なっていて変だなぁっとは思っていたけれど、息子いわく幻影のようなものが見えて、それを元に書いているのだとうかっという話になっています。
前にブログで予知夢について書きましたが、それとも似ているサイコメトラーは昨今では犯罪者を導き出す方法として認められたりもしていますが、誰かの物を触ったり、どこかの現場に行ったり、誰かの顔を見ていると、その人のした行動や居場所などが見えるという能力です。
その能力が本当かどうかというのは調べてみる人がいないと証明できないものではありますが、何となく私には人間にはそういった能力を有している人がいても可笑しくないと素直に受け入れられます。
なぜなら、予知夢の時で書いたように私自身にも時々それに近い能力があるのではないかと思うような出来事が起こってきているからです。
占いを信じる人がいるかいないかというのと一緒で、何事にも二面性があるという現実主義者の私ではありますが、それでも物事をある方向から見たら全て当てはまるというような事象が起きた場合は、それを認めざるを得ないというか、ある程度の確率でその可能性はあるという風に考えても不自然ではないと思うのです。むしろ、その可能性を皆無・単なる偶然が重なったのだとする方が現実的ではないというか、それが現実であってほしくないというような科学者にありがちな現実逃避のようにも思えます。
例えば、祖母の服やかばんを持っている時に、何となくこれを着ていた頃の祖母が考えていた事、していた事なんかを感じ取ったりすることもありました。祖母はもういないから確認する事は出来ないけれど、アンティークの物を身につけ始めたら悪い事が起こり始めたというようなホラー映画があるように、物に人間の魂が宿るというか、ある程度残るというのは不思議な事ではないなっと私は思います。
この本の中では、小学生の男の子にそういった能力があるという設定で、時々先生や周りの人に不思議な質問をしたりしていて怖がられ問題児扱いされてしまうという事態になります。
子供の言ったことだからと流す人もいるでしょうし、それが大人だとしても少し空想に富むところのある変わった人だからと扱われない場合もあるのだと思いますが、自分が例えばそういう能力を持って生まれたら周りから理解されないことは、とても辛くて悲しい事だと思うだろうなっと想像できます。
知りたくないのに知ってしまう。
気づきたくないのに気づいてしまう。
聞きたくないのに聞こえてしまう。
そんなような経験は誰にでもあると思いますが、私も思えば幼い頃から大人びた感性をもった子で、大人たちに囲まれて態度をコロコロ変えては気に入られるように、周りがどんな反応をするのかを試すようにしていた時期を覚えていて、そんな事を客観的にみている事を当時の大人がもし知ったら、この子はちょっと怖いとか末恐ろしいと思われたような気がします。
私にはサイコメトラーとは違うように思いますが、よく昔から人を観察して分析する癖があるせいか、その人の言ってる言葉を直ぐにそのまま受け取れません。
大げさに言えば、心の声が別に聞こえるというか、当たっているかも分からないので勘ぐり過ぎというか、だからこそ誰かに対しての印象が他の人と異なる事は結構あったりします。
特に誰にでも笑顔で常に明るく元気の良い人を見ると、そんなに無理しないでも良いのにと言う風に思えてしまいます。言葉では上手く言えませんが、人の中にある陰と陽や、ヒカリと影を微妙に感じ取るという癖があるのだと思います。
心理学の本を大学の頃に読み漁った事も1つの癖の始まりなのですが、私自身を自己分析する為にも当時は人間の行動と言葉と本心が必ずしも一致しないというのを知る必要があったのです。
話戻って、サイコメトラーですが、彼らは普通の人が見えないものが見えてしまう人達です。
そのイメージは余りはっきりしないものだったりもするようですが、それでも急に頭の中に殺人現場や悲しい少女の顔、変な関係性の人間なんかが見えたら嫌ですよね。
そういうものを無駄な能力としないように、変人扱いされないように、犯罪捜査に使うというような傾向にあるというのは素晴らしいことだと思います。
ただし、それが本当なのかとか信憑性に関しては冒頭で書いたように実際に誰かが調べてみないと立証されないので難しいというのが現状でしょう。
私はなるべくなら何も知りたくないし、聞きたくないし、見たくないタイプの人間です。
だけども、残念ながら私は人よりも敏感で周りが気づかない事にも気づいてしまったり、知りたくない事も想像できたり、妄想癖もあるので、その与えられた数少ない事象から色んな可能性を見たりして、頭の中が常に忙しいのだというのも理解しています。
それと同時に、時々凄く強い感情がわきあがると、途轍もない威力を発するというのも信じています。
話すと怖がられて、現実主義の人からそれば、それは単なる偶然だという風に言われてしまうことではありますが、過去に凄く強い感情を誰かに抱いた時は本当にそんな風になってしまうことがありました。
恐ろしいのは、この感情というのが負のものでして、、、所謂さそり座特有の「リベンジ」という言葉に由来するような感情、「決して忘れないし、許さない」という醜い感情が沸く時に発揮されてしまいます。
なるべく人は嫌いにならないようにしようと心がけていて、人の良いところを見る癖をつけている私ですが、今までに人生でこの人は許せないというような人が数名いました。
そういう負の感情こそパワーが強いものだと思うのですが、普通の人でも殺人を犯すほど狂うように憤慨してしまうこともあるような人間を悪魔に変えてしまう恐ろしい感情だと思っています。
あえて、ここには書きませんが、私がそのような感情を持った相手には立て続けに色々な不幸が起きてしまったというのは事実で、それが偶然であれば良いと願いますが実際は分かりません。
っと、ちょっとサイコメトラーから私の怖い話になってしまいましたが、そんなマイナスの感情を誰にも今後は抱かないように生きていければ最高ですね♪
なるべく人の良いところを見る癖は今後も続けていこうと思っているSatchでした。
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絶対に許さないから
絶対に忘れないから
こんなことを言われたら
誰でも怖くなるよね
絶対に裏切らないから
絶対に幸せにするから
こんなことを言われたら
誰でも信じたくなるよね
言葉には相手の感情を
揺さぶる力があって
とにかく凄いパワーがあるんだ
傷つけてしまう事もあれば
怒らせてしまう事もあって
とにかく凄いパワーがあるんだ
笑顔にしてあげられる事もあれば
幸せに出来る事もあって
とにかく凄いパワーがあるんだ
だからこそ気をつけなければいけない
自分が話す言葉1つ1つを
だからこそ選ばなければいけない
自分が発する言葉1つ1つを
文章にしても同じ事だね
だから僕は文書を書くのがすきなんだ
僕の書いた文章で誰かが笑顔になれば良い
僕の書いた文章で何かを感じてくれれば良い
だから僕は書き続ける
僕の選んだ言葉たちを並べて
そして僕は書き続ける
僕の思ったことを言葉に託して